一昨日はオンラインのベイトソン勉強会、
昨日はオンライン事例検討会だった。
今日は絶対的休日。友だちに連れられて遠出をした。
作陶展に行って、大変美しい白磁のマグカップとミルクピッチャーを買った。
マグカップは、新しい職場で使おうと思って。
どんなことが起きても、私がこの世界の美しさを思い出すことができるように。
苔生した延々と続く石段を上って、ひっそりとした神社にお参りした。
強い風が吹いて、鬱蒼とした木々の間に光が差して、全ての色が輝いて、
ここに神さまがおられて、今私たちを祝福してくださっていると感じた。
水鳥を観察する施設に行って、望遠鏡で鳥たちを眺めた。
雪を頂いた大山が、少しかすみながらそびえていた。
風が水面に様々な模様を描いていた。
一月に一度ぐらい、私は彼女とこうやって遠出をする。
たくさんのことをおしゃべりして、私は羽を伸ばさせてもらう。
私が持つたくさんの顔を、くるくると気ままに見せられる。
世の中の美しいものと、美しいものを作ったり愛でたりする人たちに出会って、
世界は広くてあたたかいなと一緒に感じることができる。
本当にありがたい。
完全なオフモードで一緒にいられる相手は、とても貴重だ。
私の持つたくさんの顔は、ほとんどが一生懸命に何かをしようとするオンモードの顔だから。
よく考えると、私はひとりでいるときも、ほとんどオンモードで暮らしているように思う。
建設的な思考、生産的な行動を目指している。YouTubeを見るときだって、何かしらの学びを得ようと常に意図している。
強迫観念とは違う。それが楽しいのだ。
でも、オフの顔の私は、まったく別人のように、世界にただただ自分を委ねている。
自分が感受するすべてを味わおうと、surrenderしている。
無意識に耳を傾けようとしている。
そうか、私が文章を書くときに音楽を聴きたいのは、
私にとって文章を書くということが、オンモードの意識的な私とオフモードの無意識的な私の、統合という行為であるからなのかもしれない。
書くというこの時間は、やはり私にとっては大きな意味を持つのだろう。
私が調和して生きていくために必要なのだろう。
神社で引いたおみくじに書いてあった短歌。
「霜いくたびおけどかれざる松が枝のときわの色のうつくしきかな」
今日の白い雪と深い緑が、言葉と共にいつまでも私の心に刻まれる。