日が差して暖かい日が増えてきた。
少しずつ桜の蕾がふくらみ始めた。
私の施設の庭で、保育園帰りに子どもたちがすべり台で遊び始めた。
長い冬の間は部屋の中でしか遊べなかったから
跳ねて、走って、全身を動かして、階段をよじ登り、嬉しそうに、私の待っているところへすべり降りてくる。
抱きしめたり背中や頭をなぜたり、できるだけ身体を触ってあげながら
この短い時間を私も愛しむ。
安心して、心ゆくまで遊べることは子どもにとって本当に大切なことだと思うが、
この子たちにとっては、より大切なことだろう。
子どもにとってより良いことを行いたい。
私の理想は高すぎるので、会議で発言すると「その意見は確かに良いことだと思うけれど、今は難しい」と却下されることが多い。
私は本当に職員に向いていないなと実感する。
それでも、私ひとりででも、理想に向かう一歩を進んで行こうと思っている。
限られた時間だ。
子どもたちにとっても、私にとっても。
だから、私が目の前の子どもと関われる瞬間は、私のできる限りのことをしようとしている。
安心して楽しく過ごせる環境は、職員の皆が作ろうとしている。
その環境でさらに、子どもたちを勇気づけ、良いことを学んでもらおうとしている。
無謀なことだと思い込んでいたけれど、アドラー心理学の講座に出たり自助グループに参加して、私のエピソードを取り扱ってもらう度に、
今の私のままで、子どもたちにとってより良いことをできるということを勇気づけられてしまう。
私にはまだできることがあるんだと気づいてしまう。
そのことに気づいてしまい、
そして私とは全く違う価値観と世界観を持ち、情熱を持って一生懸命に良いことを為そうとしている他の職員さんたちを裁かないままで、
ここでこの仕事を続けていくことに限界を感じた。
あと1年、ここでできる限りのことをしようと思う。
そして、さようならをしようと思う。
その後どうなるかは何もわからないけれど、
真っ直ぐに心理治療に向き合えるようなところを探そうと思っている。
ふらふらと生きてこれたから、きっとこれからもなんとか生きていけるだろう。
少なくとも数年前の私よりは、たくさんの資格と経験を得ているから、なんとかなるだろう。
そんな風に決意してから、
子どもたちとじっくり関われる機会が増えたり、利用者さんたちと良い関係が築ける機会が増えたり、職員さん個人個人と支援のあり方について話し合える機会が増えたりして
ここはいいところだなあって、ここい居られてよかったって、思えてしまっている。
きっとそうなんだろうけどね。
そして、私がいなくても、ここはこのまま何も変わらず
どうしようもなくなった親子が流れ着いて、愛情いっぱいの職員の手助けを得て、
物理的に経済的に社会的に生きやすい状態へと導いてもらいながら、少しは落ち着いて暮らせるようになってやがて退所して新しい生活を始めていく、
その過渡期の場所として存在し続ける。
私が今出会えている人々を救おうと思わなくなったから、私はここから立ち去る決意ができたのだろう。
それは、良いことだと思う。
庭にあるすべり台は、老朽化のため、長くてもあと数ヶ月で撤去される。
その後新しいすべり台を購入するかどうかは検討中だとのことだけれど、
小さなものでもいいから購入して欲しいと上司に意見をあげておこう。
その私の意見が通らない可能性もあるけれど。
そしてすべり台がなければないで、子どもたちはきっと楽しく庭で遊べるに違いないし
私も一緒に遊ぼうと思っているけれど。
でも、私にできる限りのことをしたいから。
家族関係がとても不安定で、中高生のきょうだいの喧嘩が収まらない家庭がある。
母はいつもどちらかが悪いと言い、日によってどちらか片方とだけ仲良くしてもう一方を責めては、
子どものせいで自分がしんどいと訴えてくる。
生活も無茶苦茶である。
私たちに何ができるのか、皆考えるけれど、何もできず、暗い気持ちになって、日々の忙しさの中、彼女たちの問題は流れていってしまう。
けれどここに入居しているから、なんとか彼女たちは暮らしていけているんだと、職員は自分たちに言い聞かせる。
それは本当だ。不適切な養育の延命かもしれないけれど。
けれどそうだとしても、役には立っているだろう。少しばかりは。
また数日前から激しいきょうだい喧嘩が起こっていて、Aちゃんが事務室横の別室に避難してきていた。
昼過ぎ、まだ寝ている様子だったから声をかけに行ってみた。
珍しく笑顔で応対してくれた。
「お腹すいてない?」
「すいた。でも部屋に誰かいると嫌だなって思って寝てたの。」
「今確認に行ったけど、誰もいなかったよ。」
「ほんと?じゃあ何か食べに行ってくる。」
そう言ってAちゃんは自分の居室に戻った。
よかったと思って日報を書いていると、Aちゃんの妹が帰ってきて、居室へ上がろうとしている。
急いでAちゃんに内線をかけた。しまった、駐車場に車が入ってきたのに気づいていればもう少し早くAちゃんに知らせることができたのに…
「今妹ちゃんが帰ってきたよ。部屋に向かってる!」
「え、マジかー。今ご飯食べてたんだけどな。でも、ありがとう!」
妹ちゃんが階段を上がる瞬間に伝えることができた。
それから5分後、妹ちゃんひとりで階段を降りてきて、駐車場で待っている母の車に乗り込み、出発した。
気になって再度内線をする。「Aちゃん、どうだった?大丈夫?」
「うん、なんか普通だった。車に置き忘れていたスマホを、はいって渡してくれただけだった。ありがとう。」
「何もなかったんだね、よかった。」
きょうだい喧嘩とは言え、暴力など見過ごせない危険なことも起こる家庭である。
内線が取れるということは大丈夫。
緊張が緩んで、私も急激にお腹がすいてしまった。
夕方、母と妹ちゃんが帰ってきた。
しばらくして母が疲れ切った顔で、妹ちゃんがAちゃんをベランダに締め出してしまって困っていると訴えにきた。
上司がすぐに救出に出かけた。
Aちゃんはまた事務室横の別室でひとり過ごすことになった。
別室に着くなり、Aちゃんは布団にうずくまったと上司から聞いた。
Aちゃんだけではない。この家庭だけではない。
幾つもの家庭で似たようなことが起こり、誰かが別室に避難してくる。
きょうだい喧嘩や親子喧嘩の仲裁に職員が入ることもままある。
私たちは何をしているんだろうなと思う。
確かに一時的に離れてもらうのは良い方法だけれど、その後仲良く過ごせるようにお手伝いすることはない。
喧嘩の理由だった欲しいものを与えたり、甘やかすことでやり過ごしたり、ほとぼりが冷めるのを待つという時間の経過に身を任せるだけだったり、
根本的な解決や問題に共に向き合おうとすることは、ほぼない。
いや、そうであっても、避難できる場所があることには大きな意味がある。
最悪なところまですべり落ちてしまいそうな家庭を、なんとか保てているのは、この施設にいるからだろう。
事務室に、Aちゃんが顔を出した。
「あっちの部屋何もないからつまんなくって。」と言う。
よかった、笑っている。
珍しく保育室には他の子どもたちがいなくて静かだった。
パソコン使ってもいいよ、と上司が言う。
うんと言ってパソコンを立ち上げる。
「寒かったでしょう?」と言って私はAちゃんの背中をさすってみた。
「寒かったよ〜。裸足だったし。」と笑って答える。
「なんか知らないけど最近荒れてるんだよね。でも、お昼に帰ってきたときに内線くれてありがとう。心の準備ができたから、あの一報があるとないとでは全然違ったと思う。」
そう言ってくれた。
実際Aちゃん自身も荒れ気味で、良くても必要最低限の短い会話を交わすだけだった。
落ち着いた状態でこんなに話をしてくれたのは、本当に久しぶりだ。
1年以上ぶりかもしれない。
Aちゃんの状態も話ができる様子ではなかったが、私自身も、Aちゃんに対して腫れ物に触るような感じだったかもしれないと思った。
私はこれまでAちゃんに触れることはなかった。今、私がAちゃんに触れたとき、私たちの心も触れ合えていたんだろうと思えた。
やっと、ここまで近づけたんだと思えた。嬉しかった。
1時間ほど経って、「お水もらっていい?」とAちゃんがまた声をかけてきた。
「どうぞ。お腹はすいてない?」
「すいた。」
本日2回目の同じような会話。
Aちゃんが母に夜ご飯を食べたいと内線をしたら、自分で取りに来なさいと言われていた。
寂しそうな顔をしている。
過保護な気もするけれど、「一緒について行こうか?」と尋ねてみた。
「いいの?」と嬉しそうな顔をした。
もちろん。
私はあなたが笑顔でいてくれると嬉しい。
私にあなたを救うことはできなくても、あなたを喜ばせることができるのならよかった。
でもその場しのぎじゃなくて、あなたを勇気づけることができたらいいのだけど、
何ができるのか私にはわからない。
「私もお腹すいたから、一緒に食べてもいい?」
階段を降りながら、思い切って言ってみた。
「え?」びっくりするAちゃん。
「あ、ひとりの方が良かったら、別にいいよ。」慌てる私。
「ううん、いいの?」笑顔になるAちゃん。
そうだった、この子たちはひとりぼっちでご飯を食べることが多いんだった。
一緒にご飯を食べよう。他愛のないおしゃべりをしよう。
私たちが共に楽しい時間を過ごすことは、きっと良いことだ。
そのことはAちゃんにとって、きっととても大切なことだ。
好きな食べ物、苦手な食べ物の話をしたり、とてもとても他愛のない話をした。
おしゃべりな普通の女の子だ。
そう言えば私が中高生の頃、塾の先生とかピアノの先生とか叔母ちゃんとかおばあちゃんとか、母の友だちとか、年上の女の人たちとおしゃべりするのも好きだったなと思い出した。
学校の先生のように指導されることはなくて、同年代の友だちや先輩とも違って、自分がちょっと大人になったような気がした。
女性って、そういう女同士のコミュニティの中で育っていくもののように思う。
私は女で良かったと思えた。
この子にとって、おしゃべりできる年上の女の人になれて良かった。
ご飯が終わって、私は事務仕事、Aちゃんはテレビを見てくつろいでいた。
一段落して、私はデザートに伊予柑を持ってきていたことを思い出した。
酸っぱいものが好きと言っていたから、この大きな伊予柑をAちゃんと半分ずつ食べようと思いついた。
調理室で切り分ける。
甘く爽やかな香りが広がる。
誰かと美味しいものを分け合うことは、幸せだなと思った。
もしかすると、実際に食べる時よりも、こうやって準備をしている時間が一番幸せかもしれないと思った。
人はいつも目標に向かって生きている。
目標は到達できないものだけど、それでも人は幸せになれるんだ。
そんなことを実感した。
私にとって香りはとても大切なものだ。
これから伊予柑の香りはAちゃんの思い出と重なるのだろう。
「よかったら食べる?」と伊予柑を持っていくと、「いいの?嬉しい!」とAちゃんは目を輝かせた。
美味しいねと言いながら、ふたりでテレビを眺めながら食べた。
まるで家族みたいだね。
でも家族のように親戚のように友だちのように、ずっと側にはいられない。
「Aちゃんがしんどいのはわかるから、何もできないながらも、何かお手伝いをしたいと思ってるんだよ。」と言うことができた。
Aちゃんは顔を上げて「そんな。色々してもらっているのに、ありがたいけどなんか申し訳ない…」と言った。
「申し訳ないって?」
「今までの態度とか、ひどかったなって思う」と苦笑いする。
「それは、思春期はそんなもんだから、反抗的だったり色々あるよ。おじさんおばさんはみんな同じで、そこを通り過ぎて大人になったんだから、気にしなくて大丈夫だよ」
と私が言うと笑っていた。
「話をしたくない気分の時があるのもわかるし、話すことが負担なこともあると思う。でも、話したくなったら、いつでも言ってね。聴きたいと思っているから。」
「うん。ありがとう。」
Aちゃん、段々と大人になっていっているなと思った。
大人になって、自由になろうね。
「眠くなっちゃった」と笑って、21時過ぎにAちゃんは事務室横の別室へ寝に行った。
おやすみを言って手を振り合った。
大変な2日間だったと思う。
いや、その後の今日も、彼女は大変な1日を過ごしたのかもしれない。
Aちゃんの過酷な現実は続いていく。
私が彼女のためにできることは限られているけれど、あなたがひとりではないと知ってもらえたら嬉しい。
どうしようもなくなってすべり落ちてしまいそうになった時、もし思い出してくれたら嬉しい。