このワンシーン

映画について母と語った。

映像という表現。

見せ方は、絵画と似ているところがある。

けれど、時間を扱う芸術という意味では、音楽と似ているところもある。

そしてシナリオと、役者の演技。

私は多分、情報処理能力が低いので、演劇の方が馴染みやすいのだけど、

映画ももう少し勉強してみようかなと思った。

 

 

子どもたちと映画館に行った。

ジュースとポップコーンを買って。

ふたりの好きな名探偵コナンの映画。彼らは映画館初体験。

大画面と音響の迫力に驚いていた。

そこは、昭和の香りが残っている、今時珍しい小さな映画館。

私は映画自体よりも、映画館に居ることの方を楽しんでいたかな。

また観に来たい!って、客席が明るくなった瞬間に次男が言った。

家で無料でいくらでも観れるようになったけれど、こんな贅沢もたまにはいいね。

うん、また来ようねと言うと、え、いいの!?と、長男が嬉しそうに声をあげた。

君たちとの小さな贅沢、大事に味わいたいと思っているよ。

 

後日、「友だちとコナンの映画の話したの?」と聞くと、

「いや、別にしてないけど、探偵事務所は開業したよ。」と次男が言った。

「さっそく依頼も入ったよ。」

「どんな依頼?!」と食いつく長男と私。

「まあ、学校ではよくあることなんだけどね。トイレのスリッパをバラバラに脱ぎ捨てる犯人を探してほしいっていう依頼。」

爆笑する私たち。

ちょっと気を悪くする次男。

「ごめんごめん、みんなのためになる依頼だね!素晴らしいね。」

「うん。だからオレ、休み時間中ずっとトイレで張り込みしててまじつかれた〜」

再び爆笑する私たち。

「どうやって張り込みしてたの?」長男が尋ねる。

「え、こうやって顔隠して、壁にもたれて張り込んでたんだよ。」

目深に帽子をかぶる仕草をして格好をつける次男。

「で、犯人は?」と長男。

「見つけて、ついてった。」

「おー、尾行?」

「そう。尾行。その時は他の探偵にも手伝ってもらって。隠れながらこっそりついてって、

そしたら犯人は4年生で、オレ『トイレのスリッパちゃんとそろえろよな!』って言って帰ってきた!」

「え、そんな言い方したの?4年生なんて言ってた?」と長男。

「笑ってた。それで依頼人に報告して、解決!」

「すごい!順調な滑り出しだね〜」

「ま、普段はオレひとりなんだけどな。事件のときしか他の探偵は来ないから。」

紙で小さな看板を作って、昼休みに次男の机の上に出して開業しているらしい。

どうやら他の情報源によると、この事務所の3、4人の探偵たちにはコードネームがあるらしく、みんなソフトドリンクの名前をつけているそうだ。

(コナンの敵の組織のメンバーが、みんなお酒の名前のコードネームが付けられていることにインスパイアされている。)

 

長男の遊びもめちゃくちゃ独創的で面白かったが、次男も面白いなあ。

そして、こんな遊びの枠組みの中で、みんなで楽しくルールを守れるように働きかけていけるのって、すごいなと思った。

次男は正義の人だ。悪者をやっつける!が大好きだ。

でも暴力的な手段を使わずに、ユーモアと優しさという別の手段を使って、彼の目指す正義を実現していけるって気づけたのかな。

人生は思い通りにはならないことばかりだけど、君のそのユーモアで、周りのみんなを明るくして、みんなと協力しながら、君のその正義感で、良い未来を作っていってくれると思う。

 

私は自分の仕事に一生懸命になればなるほど、どうしようもないなとか、一体何のためになっているんだろうかとか、また落ち込んでいたんだけど、

長男の真面目さと礼儀正しさ、次男の正義感とユーモアに、私はいつも救われる気持ちになる。

私が職場で出会う子どもたちも、きっと彼らのように健やかに育っていけるはず。

そう信じようって、もう一度信じてみようって、思える。

 

 

全てがもしも映画だとしたら。

私はどんな人物でいたいかな。

事実の暗さを冷静に見つめながらも、明るい物語を信じられる人物でいたい。

 

無理に明るく世間話をすることはない。

不機嫌そうにしている人は、挨拶だけして、そっとしておく。

調子はどうですかって様子をうかがって、会話が続けば話を聴いていく。

私はおしゃべりな職員ではないと思う。

まさかなんだけど 笑

そして、子どもたちも、色んな利用者さんも、私のことを優しいと言ってくれる。

そのことがとても嬉しい。

そう言ってもらえると、私はあなたの中に居場所があるんだなって思えるから。

 

先日、退所した若い女の子たちが遊びに来た。

彼女たちが退所したのは私がここに来るよりずっと前。でも何度も遊びに来ているから顔馴染みだ。

プライベートなことを延々と仲良しの職員さんに話している。

ねえねえMさん、と、私にも話をふってくる。どう反応していいのかわからない話題も多い。

こんな見ず知らずの人に、そんな馴れ馴れしくして、心配になる。

「ここの職員さんたちは、みんなとっても優しい。」

そんな無垢な笑顔で言われたら、苦しくなる。

こんなに純粋で、世間知がなくて、共通感覚がなくて、いい子たちが、

世間でほとんど居場所がないということ。

大変な環境に身を置いてしまうということ。

そしてこの施設がホームになっているということ。

彼女たちが安心できる場所として、ここが存在しているということは、果たして本当に良いことなのだろうか。

私にはわからない。

わからないけれど、私は彼女たちのためにできることはしたいと願う。

笑顔で話を聴いて、またね、元気でねって言う。

たったそれだけのことが、彼女たちにとってどれほど貴重なことであるか、

私は彼女たちが入所していた時期の日報を読んでいるし、その後の生活もアフターフォローの情報を読んでいるから知っている。

たったそれだけのことで、「とっても優しい人」と言われてしまうことが、苦しい。

 

 

優しいお姉さん職員さんは、今日も中学生を起こしに居室へ行って、しばらく帰ってこなかった。

そして今日もまた、その子は学校を休むことにした。

でも今日は私も、お姉さん職員さんと連携を取りながら、他の中学生を連れてその子を起こしに行ったりもした。

友だち同士で起こしあって、登校できる日が時々あるから。

結局今日は、起こしに行ってくれた子と、また別の子を車に乗せて、11時半に施設を出発した。

もうね、本当に、全てが全然ダメですよ。

「お前いっつも車で送ってもらってダメだろ〜」って、後部座席でひとりが言う。

「とか言いつつお前も乗ってるじゃん」って、もうひとりが笑う。

「ほんまや!みんな、朝からちゃんと歩いて学校に行きなさいな!笑」

「いや、ムリっす!」

「おい!」

でもね、学校に行こうって思えるようになっただけ、ものすごい成長。

勉強しようって思えるようになって、本当にすごい成長。

本当にどうしようもないと思うけど、私たちにはそう思えてしまう。

ひとりの子は、支援級をやめて普通級に入りたいって最近言っているそうだ。

こんなろくでもない毎日のやり取りでも、多分、彼らにとっては毎日毎日が新しくって、少しずつ変化していて、

私たちとのやり取りもきっと大切なものなんだって、思おうと思う。

これが私にとって大切なものであるのと同じように。

 

事務所に帰ってきて、お姉さん職員さんと私は、

できる限りの手を尽くしてみたけど、あの子は今日も起きれませんでしたねって苦笑いし合った。

それからふたりで、キュウリのネットを張り直したり、雑草を抜いたりした。

そうやって花壇で作業しながら、互いの学生時代の先生の話をしたりなんかした。

互いの子どもの話をしたりなんかした。

また少し私たちの距離が近づいた。

いつも一生懸命なお姉さんのこと、素敵だなと思った。

時々彼女の仕事ぶりを見て私は劣等の位置に落ちるけれど、それは私の勝手で、

きっとこれからも私は何度も何度も同じように劣等の位置に落ちるだろうけれど、

それはお姉さんのせいではないってわかっていたいと思った。

 

お姉さんが仕事に一生懸命になればなるほど、もしかすると事態が悪くなっているかもしれない。

でも私は、もう裁こうとは思えない。私も同じ穴の狢だ。

どうにか子どもたちの力になりたいという真っ直ぐな思いは、子どもたちに届いているとは思う。

それは彼らにとって、とてもとても大切なことだと思う。

 

彼らを勇気づけることは難しくはない。

難しくはないけれど、彼らが勇気を持って生きていくためには、ちょっとやそっとの勇気づけでは足りなすぎる。

たくさんたくさんの勇気づけが必要だ。

でも様々なところから勇気くじきが行われる。激しく自己勇気くじきをしていたりもする。

そんな中で、一体私に何ができるのかと思うけれど、

私が向き合っている時だけは、せめて、勇気を持ってくれたらと思う。

もうそれだけしかできないんだろうな。私にはそれで精一杯だ。

 

 

中3の妖精くん、色々な不安を持っていたけれど、先日、修学旅行に行ってきた。

駅まで迎えに行くと、「楽しかったよ!」って、笑顔で帰ってきた。

背筋が伸びていた。自信がついたように見えた。

よかったって心から思った。

でもその後、毎日登校するようになったかというとそういうわけでもなくて。

でも私は早番で朝の内線かけまくる業務の日は、決してこちらから「休む?」とは言わず、

「今日はどうする?」と、彼に決めてもらえるまで尋ね続けている。

彼の方も、「もうちょっと考えたいから、10分後にかけてくれる?」など言ってくれる。

今日は、15分後に、10分後に、と、8回ぐらい内線をお願いされて、

その度に「どうする?」「うーん、まだ考え中。悩ましいんだよねー」っていうやり取りを続けた。

5回目ぐらいの内線で、「どういうところが悩ましいポイントなの?」って尋ねると、

「出た方がいい授業は出ようと思っている。だから5校時と6校時は出れたらと思ってる。

でもできる限りたくさんの授業に出た方がいいと思っているけれど、途中で体調が悪くなってしまった場合を考えると、3校時から行こうか5校時から行こうか、迷っているんだよねー」

と答えてくれた。

「そっかあ。それは悩ましいね。しっかりと考えているんだね。」と言った。

「うん、そうなんだよ。…ごめん、もうちょっと考えるから、15分後にまたかけてもらっていい?」

「わかった。またかけるね。」

彼はとてもきちんと考える人なんだ。それはとても素敵なところだと心から思えた。

考えすぎて不適応を起こしているとは思う。

でも、それはそれとして、考えていることを言葉にしてくれたことは、ものすごい変化だと思う。

 

そして今書いていて気づいたのだけど、どうしていつも「またかけてもらえる?」って彼が依頼してくれるか、わかった気がする。

彼にとって、これは私とのやり取りなのだ。

彼自身が内線をかけたら、どの職員がその内線を取るかはわからない。

でも、私にかけてほしいと頼んでおけば、基本的には私が対応することになる。

繊細でよく考える彼としたら、多分それは見込んでいるだろう。

いや、もしそれが私の考えすぎだとしても、私たち職員はチームとして利用者対応をしているけれど、

私たちはひとり対ひとりで互いに向き合って対話しているんだって、忘れてはいけないと思った。

一瞬一瞬、大切にしていきたいと思った。

私にとっての一瞬よりも、彼らにとっての一瞬の方が、より切実で、大切な物語の一場面に違いないから。

だって彼らは、私たちを窓口として世界に繋がっているから。

 

修学旅行のお土産を、職員のみなさんにって買ってきてくれた。

とても美味しかったよ、ありがとうと伝えると、

それはよかった!って、笑顔を見せてくれた。

修学旅行の解散式を見させてもらって、彼が先生方にとても礼儀正しいところや、クラスメイトにとても親切なところを見ることができた。

彼は本当に、優しくて賢くて素敵な子だ。

社会の中で、あなたが幸せに生きていける場所を作っていってほしい。

色々な方法で、人々に貢献することができる人だと思うから。

 

去年度と比べたら、ずっとずっと、自分の考えを話してくれるようになったし、たくさんの挑戦ができるようになったし、勇気を持てるようになった。

それは、少しは私の勇気づけの影響もあるって思っていていいだろうか。

頑なに、彼の気持ちを代弁せずに、「どうする?」って彼の考えを尋ね続けることが、馬鹿みたいだと思いそうになるけれど、それに付き合ってくれる彼だ。

そして、今日は結局5校時から行くことに決めて、私が学校まで送っていった。

今日の授業について雑談した。

 

 

ろくでもない仕事だ。

でも、きっと目に見えないものを、私たちは扱っているんだ。

それは、私が自分の子どもたちと作っていくものと何も変わりない。

そう思うと、全てがありがたく思えてくる。