浴室

今日は今までの人生で一番頑張った日だったかもしれない。

私はけっこう頑張る人だと思うけれど。

 

私には苦手なことや嫌いなものがたくさんある。

中でも最も嫌なことは、ひどい匂いの汚い場所に滞在するということだ。

しかし私の仕事は、まあまあの頻度でそういう環境に飛び込んで行かなければならないことがある。

 

そして今日は、全体の3分の1程度が黒カビで覆われた浴室の掃除をするという個別対応を行った。

先日、火災報知器などの居室点検があり、業者の方に「お風呂場が汚れていますね」と言われて、

ひどく傷つき情緒不安定になった利用者さんが、お風呂掃除を手伝ってくれないかと依頼してきたのだった。

じゃあ今週の土曜日にしましょうと予定を決めた。

念のためお風呂場見せてくださいって言って、現場確認して、後悔した。

身の危険を感じるレベルのカビだった。

強力なカビ取りスプレーを使ってもきれいになるかどうかわからない。

しかしもう後には引けない。挑む決意を固めた。

 

しかし、今日出勤したら、「明日の約束だったお風呂掃除、今日してくれない?って頼まれたので、Mさん今日対応をお願いします」と先輩職員さんに言われた。

気楽にお風呂掃除とか呼んでほしくない。そんなレベルではない。

決戦は明日のつもりだったが、臨戦態勢の私はちゃんと着替えをロッカーに置いていた。

薄手のフード付きレインコート、手袋を二重にはめて、マスクも二重にして、防護ゴーグルをして、お風呂洗い用の防水スリッパを履いて、完全防備で臨んだ。

 

そもそも換気扇がホコリとカビに覆われていて、ろくに機能していない様子なのだ。

冗談じゃなくて、カビと強力な塩素系の薬剤で私の身体がやられるかもしれない。

締め切っている窓を開けてもらって、扇風機も回してもらって、30分経ったら教えてもらうことにして、

私が倒れないように対策を講じた。

 

元の色がわからないぐらいに汚れているイスや洗面器や掃除道具を処分してもらった。

鳥肌が立っているだろうけれど、利用者さんを傷つけないように努めて明るく振る舞う私。

どっちかというと、ヤケになってハイになっている。

スプレーしてブラシでこすっていると、少しずつ床や壁の元の色が現れてくる。

意を決して排水口を掃除する。

うん、ヤバイ。

利用者さんにゴミ袋などを持ってきてもらって、協力してもらう。

「うわー!ありがとうね。」

あまりの汚さに笑い始める利用者さん。

「わー、きれいになったねえ!すごい!」と床と壁を見て驚いてくれる。

 

浴槽を洗い始めたら、なんと、水が流れない…

浴槽の排水口が髪の毛で詰まっている。

再び意を決して、必死で詰まりを取り除く。

「最近お風呂、入ってない。だってな、お風呂の床がぬるぬるしてて立ち上がれんのだもん。お湯ためてないから、そういや水が流れないの忘れとったわ。」

と笑いながら教えてくれた。

「あははは、そうなんですねー!全然流れないわー!」

私も、笑うしかない。

 

そういえば数年前の日報で、お風呂場の排水溝が詰まって、共有の廊下まで水が流れ出てえらい騒ぎになったと書いてあったのは、この家のことだったな、と思い出した。

それに比べれば、ずいぶんましだ。浴槽は詰まっているが浴室の排水溝は詰まっていない。

…ハイレベルすぎて私の感覚もどうかしてる。

それでもどうにか、完全に詰まりは取り除けていないが、少量ずつ水が流れるようになった。

 

棚や壁を一生懸命こすっていると、

娘さんがこだわって使っているシャンプーが目に留まった。

10代の女の子が、こんなお風呂場で身綺麗にしようと努力しているんだと思うと

たまらなくなった。

そこで、私のどうしようもない陰性感情が落ち着いていった。

 

私の全身は汗でずぶ濡れになっている。サウナのようだ。

早く家に帰ってお風呂に入りたいと思った。

私には、入りたいと思えるお風呂が、くつろげるお風呂がある。

その当たり前のことを幸せに思った。

こんなお風呂場じゃ、私はくつろげない。

このお風呂場を、きれいにしたい。そう願った。

 

イムリミットの1時間が経った。次の対応が入っているから、もう切り上げなければならない。

「これで精一杯です。ごめんね、天井はきれいにならなかったけど…」

利用者さんは、「ほんとにありがとう。1時間でこんなにきれいにしてくれて!私だったら絶対できんかったわ。ありがとうね。」ととても嬉しそうに言ってくれた。

「きっと娘も喜ぶわ。ありがとう。」そう言ってもらえて私も、とても嬉しかった。

 

信じられないぐらい疲労していた。

こんなに頑張ったのに、結局お風呂場は、汚いお風呂場だねっていうレベル程度にしかきれいにならなかった。

ギョッとする、ゾッとするレベルではなくなったと思うけど。

 

それから送迎対応をしたり、2歳の子と遊んだり、小学生の宿題を見たり、0歳の子のお守りをしたり、外部の電話対応をしたり、利用者さんの電話対応をしたり、それらの日報を書いたりなんだりして、

薬を持って、夜もう一度その利用者さんの居室にうかがった。

お風呂どうでした?と聞くと、

「すごくきれいになって、ほんとありがとう。久しぶりにお湯につかったわ。いいお湯だった〜!」と笑顔で答えてくれた。

浴槽の水は流れたと言うけれど、詰まりを取り除く薬剤を使った方がいいと思いますよと伝えた。

明日買いに行くそうだ。

 

 

疲れ果てて帰宅して、

今日私すごく頑張ったの!って友だちに報告して、

しばらくして思った。

私は一体何をしているんだろうって。

何なんだこの仕事は。バカみたい。

最も嫌な場所に身を置いて、必死に掃除したけれど、大した成果は出ない。

理想通りにならない。

 

友だちが、その修行とやらはいつまで続けるつもり?と尋ねた。

そのときはきちんと答えなかったけど、今思うに、

この修行は、多分いつまでも続くんだと思う。

それを修行だと私は認識しているだけで、生きていくというのはそういうことなんだろうと思う。

嫌なこと、辛いことが次々と降りかかってくる。それは避けられないことだ。

それらから逃げようとあがいて苦しむか、それらをあきらめて受け入れて疲れるか、

多分どちらかしかないんだろうと思う。

快楽でもって、その嫌なことや辛いことを帳消しにしようと思う人が多いようだけれど、

それはおそらく、糖分を過剰摂取した分、塩分を摂取して帳消しにしようというのと同じぐらい、ナンセンスなことだと思う。

 

私は、「すごいね、頑張ったね」っていう友だちの労いと評価と愛情を、その快楽を得ようとした。

いや、実際に優しい友だちからその快楽を得た。

でもそれが、私を幸せにするわけではないなと思った。

そうやって私は人に依存しているんだ。

私がこの仕事をバカげていると思い、何もかも理想通りにいかなくて悲しくて、私がどれだけ頑張ってもほとんど何も変わらないということ、

それらは、私の仕事に対して私に対して、私の大切に思う人がどのように評価しようとも、何も変わらない。

それなのに、私は友だちが頑張ったね、えらいねって言ってくれると、自分は何か良いことをしたように勘違いする。

全くおかしなことだ。

 

 

全ての仕事が、おかしな前提に立っている。

宿泊行事から帰ってくる子どもを、どうして私が迎えに行くのか。

お母さんが迎えに来てくれるのが一番幸せに決まっているのに。お母さんの送迎ぐらい、もちろんするのに。

保育園から帰ってきた2歳の子の、どうして私が遊びの相手になっているのか。

わかっている。母と家にいるよりも子どもにとって良いからってことぐらい。

不適切な養育をしている親たちの代わりに、私たち職員が親たちの依頼をはいはいときいていって、

親自体は何の成長も変化も起こらず、ただこの場所で不適切な養育が延命されているだけなのではないか。

とても良いこととは思えないのに、バカげた仕事ばかりなのに、

それなのにいつも忙しくて、職員はみんな疲弊していっている。

 

 

 

全てが嫌になって、ふと、母のブログを読んでみたら

今日、Dリンポチェが来日されたことを知った。

チベット仏教の偉大なお坊さま。

私が今日、あのお風呂場で、あの女の子のことを思って掃除をした瞬間だけは、きっと菩薩行だったと思えた。

そう思うと、明日からも真っ直ぐ歩いて行こうと思えた。

目の前にある私にできることをするだけだ。

全体にとって、この負のサイクルにとって、私が関与することが良いか悪いか、わからないけれど

目の前の人と私が作っていく物語が、一瞬でも美しく輝けるなら

この先、何かが変わっていくかもしれない。