brand new days

これがおそらく今年最後の投稿になる。

明日の仕事は22時まで。元旦と2日も朝から仕事だ。

24時間365日、必ず誰かが働いている職場だから。

 

昨年の今頃は、

高校時代からの友だちや先輩に会いに行って、久しぶりに地元で遊んで

大学時代からの友だちに会いに行って、たくさんおしゃべりをして

母に会いに行って、たくさんおしゃべりをして、年末年始は静かに瞑想をして

これから始まるであろう忙しい日々の前に、ゆっくりと充電をしていた。

まだあの日の港の潮風と明るい青空を覚えている。

 

あの頃覚悟していた以上に、新しいことばかりの1年だった。

年明けてすぐにこの施設の見学をさせてもらうことになり、

見学と言いつつ面接のつもりで履歴書も持って行って、一生懸命私を売り込んだんだった。

そうしたら、運転業務ができるようにしてもらえたら採用しますと言われて、教習所に通ったのだった。

2月に運転免許を取って、無事に採用が決まったけれど

3月末に新規採用者顔合わせで職場に行くと、心理の仕事はできないと言われ、

思っていたのと全く違う、福祉職に従事することになった。

4月からは仕事が始まり、合間に保育士国家試験を受験して、本当によく頑張ったなと思う。

職場では毎日毎日色々なことがあって、

利用者さんたちと子どもたちと職員さんたちの中に、私は所属できるようになった。

 

この職場にいる限り、好きなときに好きなところへ行くことができない。

コロナが落ち着けば出かけられるようになるだろうけれど、今は県外に出ることが大変難しい。

故郷の景色や母の家で過ごしたことを昨日のように思い出すけれど、もう1年も経ってしまったのだ。

でもそういった私の自由と引き換えに、私に新しい居場所ができた。

新しい体験をたくさんたくさんさせてもらって、それなりに手慣れてきて、

ずいぶん大人になれたんじゃないかなと思う。

 

 

1年前、白ターラ菩薩のリトリートに参加して、

母と一緒に瞑想して、今まで私に関わってくださった人々と、まだ見ぬ人々の幸せを祈った。

今私は、その人々ひとりひとりの顔を思い浮かべながら祈ることができる。

とても幸せなことだと思う。

 

「人々のために」働くということをさせてもらえるようになって、

「私のために」を手離すことが、その都度その都度、気負いなくできるようになってきた気がする。

例えばバスで席を譲るとか、例えば元気にしてる?ってメールを送るとか、

今までの私は考えすぎて動けなかったり、とても時間やエネルギーががかかっていたけれど、

すっと行動できるようになった。

私の良かれと思ってする行為が、相手にとってたとえ良くないものであったとしても、受け入れてもらえないとしても、

この私の思いと行動は、その特定の相手に捧げているものではなく、一切衆生、世界全体への回向なのだとわかったので、

私は「私」から離れて、「私」を使うことができるようになったのだろう。

 

私の自己執着は、私の好意を受け取ってもらいたいということ。

だから相手が喜んでくれることは大抵、喜んでできる。

でもこういうタイプの私だから、余計なお世話やお節介をやってしまって、それがとても嫌なのだ。

いつだって、あらゆる相手にとって、ちょうど良い具合の役立ちや楽しみを提供したいと思っている。

(エンターテイナーだなあ…)

まあそんな計算は狙い通りにいくわけないので、いつも私はやり過ぎたとか、もうちょっとやっておけば良かったとか、必ずひとり反省会をしていたわけだ。

でもそれは、裏を返せば、相手のことを私は完全に把握できているという前提を私が持っているということで、

それは相手に対する尊敬を欠いていたと思う。

だって私は他の人のことを完全に理解することなどできないから。

自分の子どもたちのことでさえ、わからないことだらけだ。

相手を完全にわかることなどできないから、私は互いにわからない相手のことを思いやり、私のできることをしていく。

 

仕事の上で、そういうことを繰り返し繰り返しさせてもらえているのがとてもありがたい。

家族や友だちに対してだったらいつも本番で、私ひとりで対処しなければならないけれど、

仕事ならば誰かへのお手伝いは、私ひとりではなくて職員みんなで協力し合って相談しながら行える。

そこで先輩方のモデルから、アドバイスから、自分の試行錯誤の体験から、様々なことを学ぶことができている。

 

 

ひとり暮らしを始めてもうすぐ1年半になる。

不思議と、ひとりでいるけれどひとりきりだとは感じない。

私は本当に人々の中に組み込まれて生かされていると、わかったから。

人々のお役に立てる自分でいるためには、自分を整えなければならないことを実感している。

きちんと食事をして、睡眠をたっぷりとって、お風呂や娯楽で心身をリラックスさせることが、私のためだけではなくて大切なことなのだとわかった。

そのために家事がとても大事な仕事だとわかった。

 

そうだ、職場でも家事のお手伝いばかりしているので、ずいぶんと家事能力が上がった。

料理や掃除や片付けが苦手なのは私だけではないのだと知ったし、私は苦手と思いつつも、やればそれなりにできるということもわかった。

いつもいつも、私は何かを始めるまでに考えている時間やエネルギーが大きすぎたのだ。

失敗を恐れていたからなのだろう。

今、そこから変われたのは、誰でもいつでも失敗はするものだと心からわかったことと、料理も掃除も片付けも、それ自体やっている最中は意外と楽しいものだとわかったからかな、と思う。

 

 

アドラー心理学については

優子先生の講座を受講したかったけれど、仕事が始まってからは結局一度も行けなかった。

それが心残りだ。

オンライン勉強会はずっと続けることができている。

仲間がいるから、私はなんとかアドラー心理学から足を踏み外さずに仕事ができていると思う。

いつも本当にありがとうございます。

自助グループの開催は少なかった…。でも、少しずつ、新しい方も来てくださっている。

来年は仲間たちと共に、もう少し活動を活発にできるよう工夫していこう。

 

 

 

来年は私に何が起こるんだろう。

今年は私は自分の周りのとても小さな世界に生きていた。

来年はもう少し広い世界を見られるようになれたらいいなと思う。

そう、もう何度目の再開になるか忘れたが、ドイツ語と英語の勉強をし始めたところだ。

何が起こるにしても、私にできることを私のすべきことを、心穏やかに進めていきたい。

 

どうぞみなさまが良いお年を迎えられますように。

この1年も、私を支えてくださってありがとうございました。

あなたとの間に、来年も良い物語が続いていきますように。