世界中を敵に回しても

修学旅行の夜のような感じで、週末ごとに泊まりに来る長男が話をしてくれる。

おかげで色々したいことが進まなくなってしまうけど、一番大切なことだと思うから楽しんでいる。

次男がいる時はできない話だから、と、ふたりきりで話す。

部活のこと、友だちのこと、勉強のこと、好きな子のこと、クラスの様子…

本当に良い思春期を過ごしているなと思う。学校が楽しいみたい。何よりだ。

「お母さんうざいって言ってる人多いんだけど、ぼくは信じられない。

 なんかぼくのお母さんってどっちかというと女友だちみたいだから。

 だいたい、普段はお母さんが一緒にいなくて寂しいから、うざいなんて思えないよ。」

強がりでもなく、遠慮もなく、素直に話してくれていると感じる。

長男が「寂しい」と伝えてくれたのは初めてだったかもしれない。

そこにこみ上げるような陰性感情はなくて、ただどうしようもないものとしてあるんだと、

私が感じているのと同じように、自分の寂しさを見つめて言ってくれたように思えた。

もうあなたは十分大人になったと思う。

私が教えてあげられることは、あとは生活する上での技術だけだろう。

その技術も、私が中学1年生の頃とは比べられないぐらい、あなたの方がしっかりと身につけている。

これからもずっと、仲の良い友だちとして側にいたいなと思う。

 

次男はアニメや映画の曲が好きで前からよく聴いていたが、

最近はピアノの先生に教えてもらったとかで、歌なしのピアノアレンジを好んで聴いている。

アレンジが変わるだけでこんなに違うんだね、このバージョンはこうで、こっちのバージョンはこうで、と説明をしてくれる。

彼の好きな音楽を、私もピアノアレンジなら心から楽しむことができる。

まだまだ甘えたい彼は、私にひっつきながら、手を繋ぎながら、ふたりで音楽に浸る。

次男は子どもっぽくて可愛いって私は思っていたけど、趣味の方向性ははなかなか渋くて大人っぽいようだ。

もしかしたら、趣味も合うかもしれない。次男ともいい友だちになれるといいな。

 

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最近は、自助グループで私の事例を取り扱ってもらうことが増えた。

いつも私が話すのは、職場のSちゃんのこと。

リーダーさんが優しく受け止めてくれて、メンバーさんたちがあたたかく聴いてくれる。

すぐに忘れてしまう平等で対等な関係を、思い出させてもらえる。

平等で対等な関係って、横の関係って、何かもっとしっくりくる言葉はないものだろうか。

私たちは同じところにいて繋がっていたはずだよねって思い出せること。

私が正しいとか確かだとかいうことがどうでもいいことになり、あなたがここにいるということをかけがえのないことと思えるようになること。

言葉ではまだうまく表せないのだが、そういうようなことだと、私は捉えている。

かささぎ座でそれを実感することができた。

 

Sちゃんは2年生になってから、より一層不適切な行動が増えた。

話しかけると、ほとんどの場合「だってな!〇〇が〜してたんだもん!」という返事を返してくる。

このお菓子は誰の?って聞いただけでも。

職員の間でよく話題に上がる。

だからなんとかしてSちゃんの不適切な行動を矯正しようとみんな決意して、

「『だって』じゃなくて、Sちゃんに聞いてるんだよ。」

「人がどうかじゃなくて、Sちゃんはどうなのって聞いてるの。」

と、口を酸っぱくしてSちゃんの言い方についても介入している。

言い方だけではない。実際に不適切な行動もたくさんしている。

他の子の物を取り上げたり、散らかしたまま片付けをしなかったり、借りた物を返さなかったり、

すべきことをせず、してはいけないことをして、

それを指摘されると、嘘もつくし、言い逃れもする。

そして職員たちは、ますますSちゃんの不適切な行動に注目関心を与え、たっぷりのお説教とお小言を言う。

「なんでSばっかり怒られるの!〇〇も悪いのに!もう嫌だ!私の話だって聞いてよ!」

Sちゃんは叫ぶ。

実際、とても不適切な行動をしている。

でも、この悪循環を断ち切るには、そこに注目していてはいけないのだ。

Sちゃん、たくさんたくさん素敵なところがあるのに、みんながそれを忘れてしまっている。

先週ぐらいから私はひとり、Sちゃんの不適切な行動には一切触れず、Sちゃんに挨拶するようにしていた。

 

至近距離でテレビを見ているSちゃんを見かけたら、もっと離れて見ようって言わずに、

「おかえり。Sちゃん、元気?」と言った。

「うん、元気だよ。」Sちゃんは目を合わせて答えてくれた。

「そう、元気で何より!」心から言えた。

「へへ」にっこりした。久しぶりにSちゃんの穏やかな顔を見た。

「何見てるの?」

YouTubeにはホームビデオを不特定多数に垂れ流しにしている動画がたくさんある。

Sちゃんはそういうホームビデオのような動画を見るのが好きだ。

崩壊した家庭で、しかもその家庭にも所属が難しいような彼女のような子どもたちが、

自己顕示欲でいっぱいの理想の家庭を演出した人たちの撮った動画を、食い入るように見ている。

私はその全てがやり切れないのだけど、その日は、Sちゃんの見ているものを見てみた。

第3子が生まれたところの動画だった。

「わあ、赤ちゃん生まれた!」

「そうだよ。」

「Sちゃん、赤ちゃん好きなんだね。」

「うん。」

「そっかあ。小さい子たちのお世話もいつもしてくれるもんね。」

「うん。」またニコニコして私を見てくれた。

うなずいて私はその場を離れた。

こんなことしか私にはできない。

でも、せめて、私がSちゃんのことを好きだということ、私との間に居場所があるということ、それだけを感じてほしいと思って、

こうやって穏やかな会話をしていこうと思った。

そうしていると、「Mさん、ちょっと来て」って、お願いをしてくれるようになった。

他の職員さんは、必ずなんらかのお小言やお説教やアドバイスや提案をくれるけれど、Mさんは絶対にうるさいことを言わないから。

ただしMさんは「いいよ」と言わない可能性もあるけれど。でも、うるさいことは言わないから。

 

今日はSちゃんの預かりだったから、たくさん関わることができた。

Sちゃんから話しかけてくれる時はうまくいくことが増えた。

でも、こちらから話しかけるときは、アグレッシブだ。

「Sちゃん、さっきお店に行くって言ってたけど、」

「だってみんなが行くって言ったんだもん!」

「うん、お店に行っただけだったの?他にもどこか行ってた?」

「だってみんなが公園に行くって言ったから!」

どうしても語気が強い。いつも責められていると思っているみたい。

「そっか。公園に行ってたんだね。」

「そうだよ。」

力が抜けた。よかった。

「そうだったんだね。あのね、もし公園に行くかもっていうときは、行く前に言ってくれる?帰ってくるのが遅かったから心配したんだよ。」

「わかりました。」

笑顔でうなずいてくれた。とても嬉しかった。

わかってくれた。

 

 

お菓子をどうしたらここまで散らかせるんだろうと思うぐらい、預かり室に散乱させたまま彼女はまた外に遊びに出かけていた。

掃除機に詰まるぐらい、えらいことになった。

テレビ台の下にも、ベンチの下にも、スナック菓子が砕けて落ちている。

落ちてるお菓子ちゃんと片付けなさいって言われて、机の上をきれいにしていたのは見たけれど、あまりに酷いな。

ここはみんなが使う部屋だし、きれいに使ってもらう必要があると言わなければいけないと思った。

でも、ここまで散乱させるのは、とても意図的な気がした。

この不適切な行動には、今は注目しない方がいいように思えた。

言うにしても、今ではないなと思って、掃除しながらさっきの先輩職員さんとSちゃんとのやりとりを思い出していた。

「Sちゃんが悪いことするからでしょ。他の子も悪いことしたら怒られるよ。」

「でもSばっかり!〇〇も同じことしてたのに!」

「Sちゃんもしたんでしょ。だからそれをやめなさいよって言ってるんじゃない。」

「Sの話も聞いてよ!してないもん!」

「おかしいなあ。Sちゃんもしたって聞いたよ。」

「信じてよ!」

「おかしいなあ。じゃあ他の子に聞いてこようか?」

「聞いてきてよ!」

「聞いてみて、Sちゃんがしたって言われたらどうするの?」

「そう言ったってSはしてないの!」

Sちゃんの怒りは、悲しみが裏に見えた。

あまりに悲しそうな顔をして涙を流していた。

 

私は先輩職員さんを遮ることをしなかった。

これはふたりのやりとりだから。

それって、逃げなのかな。

いや、私がこの権力争いに入ったところで、この争いを止められはしないと思ったから。

別のことをしよう。

Sちゃんが落ち着いたのを確認してから、声をかけた。

「Sちゃん、」

「何なの?」

「さっき呼んでくれた時は行けなくてごめんね。今なら落とした物、一緒に探せるけどどこにあるの?」

「あ、ありがとう。こっちなの。来て!」

私は甘い役ばかり取って、ずるいかな。

でもそうだとしても、まあいい。

一緒に、落としてしまった物を探した。

 

その後、Sちゃんに貸したガムテープを返して欲しいと言った。

「だってそれは〇〇が返したって言ってた」

「でもまだ返してもらってないよ。後でいいから確認して返してね。」

「はい、はい」

ひとつだけだけど、言うべきことは、言えた。

一応のお返事もいただけた。

もう今日は、これでよしにしよう。

 

私の勤務が終わりの時間になった。

まだガムテープは転がっている。

仕方がない。これは事務所の備品で、無くなったら困るから、私が片付けることにした。

施設を出て歩いていると、Sちゃんが自転車で帰ってきた。

「Sちゃん!おかえり!」

「Mさん、帰るの?バイバイ」

自転車の籠からおもちゃが落ちた。私の足元に転がってきたから、拾って渡す。

「ありがと。」笑顔のSちゃん。

あなたは本当に可愛いんだよ。大好きなんだよ。

「いいえ。あ、ガムテープは回収しておきましたぞ!」

「あ、ありがとう。」

「うん。」

「Mさん、気をつけて帰ってね〜」

「ありがとう。Sちゃんも気をつけてね。」

「うん!」

 

本当は、Sちゃんはとても優しくていい子なんだよ。

不適切な行動は気にせずに、今は私はただそれだけを見ていたい。

そのあなたの素敵なところで、ちゃんとこの世の中に所属できるんだってことを、わかってほしい。

こんなことばかりしていたら、私は他の職員さんたちとうまくやれなくなってしまうかもしれない。

そのリスクは大いにあるけれど、でもそこはなんとかのらくらかわしながら、

私は良いところだけに注目して、そこだけで繋がっていきたい。