心地よい疲労感を味わっている。
今日は13時半から17時まで、ずっと子どもたちと遊んでいた。
砂場で遊んだりサッカーしたり鬼ごっこをしたり、秋晴れの下で走り回った。
外遊びのときは6歳〜8歳の5人、NくんもSちゃんも一緒だった。
砂場では不穏なことも多少あったが、
鬼ごっこは、誰も「Nくんが〜してる!ダメだよ!」「Sちゃんやめてよ!」と言うことなく、
みんなで仲良く遊べてとても嬉しかった。
誰が言い出したのか、今日したのはゾンビ鬼ごっこというもので、鬼はゾンビの格好をして追いかける 笑
本当は鬼に捕まった人もゾンビになって、鬼が増えていくというルールなんだろうけど、どうもうまくはいかなかった。
みんなで私を鬼にしようと作戦を練ったりするから、
私も結構ちゃんと走ったり、待ち伏せしたりして、
みんなはキャアキャア悲鳴を上げて走っていた。
隣でサッカーしていた中学生が「Mさんめっちゃ走らされてるな」と笑っていた。
最後の方はわけがわからなくなって、みんながゾンビになって私にまとわりついてきて、
「ゾンビの世界に連れていくぞ〜」と倉庫の裏に連れて行かれた。
遊びを作れる子たちだ。仲間を作れる子たちだ。
素敵だなと思う。生きていく力が十分にあると思う。
どうかこのまま、この素晴らしい能力を忘れないでいてほしい。
だからできる限り、私も一緒に遊ぼうと思う。
不適切な行動をして「悪い子」として所属しようとする子たちがいる。
Nくんとか、Lくんとか、Sちゃんとか。
過保護過干渉な育児を良いと思っている人々は、必ず、絶対に、例外なく、不適切な行動に注目関心を与えるから
子どもたちは注目関心が欲しくなったとき、そのサイクルのスイッチを押す。
極めて簡単なことだ。
大きな声で叫んだり、誰かを叩いたり、したらダメと言われていることをしてみたりすればいいだけなのだから。
他の職員さんたちがひっきりなしに不適切な行動に負の注目をしまくって、感情的になっているのを
私は傍観する。
権力争いが勃発する。
子どもによって、権力争いで優位に立つためによく使う手段は異なる。
嘘をついて誤魔化したり、イヤだイヤだと泣き叫んだり、叩いたり蹴ったり、黙って不適切な行動をし続けたり。
「うるさい!」と大抵の子が言う。
「やめないからうるさく言うんだが!すぐにやめたらうるさく言わないよ!」
双方がどんどん声を大きくする。どんどん「やめなさい」と言う職員が群がってくる。
そして子どもが負ける。
「はい、わかったね。今度からはやめんさいよ。」
職員さんたちは、これでおしまいね、と優しく言って、抱っこしたり、お菓子食べる?テレビ見る?って聞いたり、
全てが同じ手順を踏んで、収められる。
まるで儀式のように。
そしてまた次の日も同じことが繰り返される。
それは当然だ。だって子どもたちは、注目関心が欲しいのだから。
この対応は、しかし、ごくごく一般的なものなのだろう。
子どもたちも慣れ切ってしまっている。
だから、不適切な行動ではなく失敗をしてしまったとき、素早く逃げたり、嘘や言い訳をいつも以上に重ねたり、より寡黙になったりする。
何が起こったのか知りたい私たちが、怒るに決まってると思い込んでいるから。
わざとじゃなかったという自分の言い分を、誰も信じてはくれないと思い込んでいるから。
そうすると、問題を解決することがどんどん困難になってしまう。
そんな悪循環がくるくると回り続けている。
☆☆☆☆☆
トラブルが私の目の前で起こるときは、ラッキーだと思っていいのかもしれない。
私が対応することができるから。
Lくん4歳が振り回していたバドミントンのラケットが、お兄ちゃんのNくんの顔に当たってしまって、Nくんが痛い!と泣いたことがあった。
Lくんに他意はない。全くの事故だ。
けれどLくんは慌ててラケットを放り出して、滑り台の上へ逃げた。
それが16:59のこと。さあ、みんな家に入らなければならない。
しかしその日は外にいる職員が私1人で、事務室には電話対応中の職員が1人だけ。
小学生未満の子どもからは目を離さないようにという業務命令がある。
ヘルプを求めることのできなかった私は、泣いているNくんの状態を確認し、一緒に目の周りを冷やそうね、先に事務室に行っていてくれる?と頼み、
滑り台の上のLくんに建物内に入るよう声をかけた。
Nくんはうなずいて、建物内に小走りで入っていった。
Lくんはイヤだ!と言って滑り台から降りようとしない。
怯えている子犬のようだ。私は君を怒るつもりもないし、傷つけることもないのに。
「行こう、もうお家に帰る時間だから。抱っこでお家まで行こう。」
事務室の方を見るがNくんの姿が見えない。焦る私。
でも、陰性感情を使ってはいけない。Lくんがより頑なになってしまう。
私が怒るつもりがないことが伝わったのだろうか、Lくんは滑り台から滑り降りて、「抱っこ」と両手を広げてくれた。
「よーしお家に帰ろう!」ほっとして玄関に向かった。
「お靴脱げるかな?」「うん。」「降りてもらっていい?」「うん。」
Lくん、とっても協力的。ありがたい。
靴をしまって、もう一度「抱っこ」と両手を広げた。
抱っこして、Nくんを探すが見当たらない。
事務室の職員さんに聞いても見ていないと言う。
お母さんに電話をかけて確認すると、帰っていますよとのこと。
今からLくんを連れて上がりますと伝え、急いでLくんと家へ向かった。
「ねえLくん、Lくんが滑り台から降りないって言っている間に、Nくんは痛いままひとりでお家に行っちゃったみたい。一緒に冷やして痛いの取ろうねって言ってたんだけど。帰ろうと言ったときは、お願いだからすぐに帰ってちょうだい。もっと早くにLくんが帰ってくれていたら、私Nくんと一緒にいれたんだよ。1人で痛い思いしてお家に帰るの、Lくんはどう思う?」
私は陰性感情を使ってしまった。怒りではない。悲しみを使ってしまった。
「うん…」とLくんは目を伏せた。
お母さんに「Lくんが遊んでいたラケットがNくんに当たってしまって…」と事情を話すと、
「ああ、それでしょんぼりして帰って来たんですね。今トイレに閉じこもってます。」と言われた。
保冷剤がないと言われたので、持って上がることを伝えて、退室しようとした。
「じゃあねLくん。手離してくれる?」
「イヤだ」
「すぐに戻ってくるよ。」
「イヤだ」
「…じゃあ、一緒に取りに行く?」
「うん!」
「わかった。」Lくんと手をつないで、階段を降りた。
「一緒に来てくれて、ありがとう。」
「うん。」
「ねえ、Lくんがわざとぶつけたんじゃないの知ってるよ。」
「うん。」
「仕方ないことだったのわかってるよ。だからLくんを怒ったり、しないよ。」
「うん。」ほっとしたように、Lくんは笑った。
「だからママにもそういう風にお話ししたでしょ?」
「うん。よかった。」
「Lくんがいい子なの知ってるよ。」私は頭をなぜた。
「うん。」Lくんは眩しそうにまばたきをした。
保冷剤を持って、またふたりで階段を上がった。
「わざとじゃなくても、痛い思いさせちゃったらどうしたらいいか知ってる?」
「…」
「そういうときは、ごめんねって言うんだよ。」
「…」口を一文字にくくって、私の目を見つめた。
うん、きっと伝わっている。きっとわかってくれた。
でも、ごめんねって言うの、すごく勇気のいることだよね。
Nくんはトイレから出てきていた。
しゅんとしていたけど、さっきは一緒にお家まで帰れなくてごめんねと言うと、うん、と笑顔で返事をしてくれた。
お大事に、また明日ねと言って退室しようとすると、Lくんがバイバイと笑顔で見送ってくれた。
NくんもLくんも、とてもとてもいい子だ。とてもとても優しい子だ。
だけど、いい子であるところをうまく活かせていない。
やんちゃで、悪いことばかりして、困った子たちだと思われがちだ。
でも彼らの引き起こす大変なことは、よく観察しているとはじめは失敗だったり、それが不適切な行動だと知らない場合だったりすることがほとんどだ。
「またNくんがLくんが悪いこと始めたな」という他者の陰性感情がきっかけで、不適切な行動をするぞモードに切り替わるようだ。
…私はそれがとても悲しい。
私が触れているのは、この世界のほんの一部だ。
だからきっと、NくんやLくんのような子どもたちはたくさんいるのだろう。
そのうち、自分は適切な行動で貢献的に所属することはできないんだ、という思い込みを持って
非行や犯罪に走る子どもたちが、そんな子たちの中から出てくるのだろう。
良かれと思って繰り返す大人たちの対応が、きっと子どもたちの勇気をくじいている。
だって私がNくんやLくんだったら、
自分がいいことをしても誰も気づいてくれなくて、失敗したときやちょっといたずらしたときだけ目ざとく見つけて小言を言われたりしたら、他の子のしたことも全部またお前だなって言われたりしたら、
そりゃ「うるさい!」って言うだろうし、「イヤだ!」って言うだろうと思う。
そうやっていたら「いつも悪いことばかりする」「迷惑かける子だ」っていう目で見られる。
もういいよ、みんな敵だ!戦ってやる!…って、決心するだろう。
こんなに健康な、キラキラした目の、遊びを作れる、仲間を作れる、素敵な子たちなのに。
私にできることは?
彼らの良い意図を、いつもいつも、周りに伝え続けることしかない。
私が他の職員さんの対応を傍観しているのはおそらく保身のためだ。
他の職員さんを責めるつもりはない。改心させることは不可能だ。
でも、良い意図があったんですよということを説明すれば、よくわかってくださる方たちだ。
できる限り子どもたちの良いところを見ようと努めておられる方たちだから。
失敗については、伝えられることが多い。
でも権力争いになってしまってからでは流れを変えることはなかなか難しいな。
それでも。
私にできることはそれしかないのだから。
ほとんどが無駄な努力だとわかっている。
でも、せめて、私と彼らの間には、信頼し合う関係を築いていきたい。
私はいつでも、彼らの味方でいたい。