I Need U Back

もう11月も終わる。

あっという間だったような、ものすごく長かったような2ヶ月間だった。

 

無事に就職して、10月から新しい職場で働いている。

志望していた療育の現場で、多様な子どもたちとお付き合いしている。

仕事は見様見真似でなんとかこなしているが、学びたいことがどんどん出てくる。

向学心のある方たちばかりの職場で、大変あたたかく受け入れていただき、

本当に転職してよかったと思う毎日だ。

 

今までのように飛ばし過ぎるやり方はやめようと思っていて、ぼちぼちいきたいので

自分に課していた様々なことを、ひとつひとつ辞めてしまった。

最近はプライベートの時間は、安らげることを優先に過ごしていた。

 

先週末は、AIJ講師の先生をお招きして、アドラー心理学特殊講義と演習「勇気づけ」の講座を我が町で開催していただいた。

思うように参加者が集まらず申し訳なかったが、

私がこれまでにパセージを開いたり自助グループを開いたり、講座に参加したりしてご縁のできた方たちが、遠方からも思いがけなく参加してくださり

大変ありがたく、嬉しかった。

講座自体はもちろん素晴らしいもので、県外へ学びに出て行きにくい私たちの自助グループのみなさんが、たくさんの学びと仲間たちとのつながりを得られたことがよかった。

この数年、きちんと活動できていなかったけれど、アドラー心理学の学びの場を定期的に提供できるように頑張ろうと思えた。

自助グループ活動も、パセージもパセージプラスも、カウンセリングも。

ありがたいことに職場でも活かして欲しいと言われているし、副業などの活動を応援してくれる会社なので、無理のないバランスを探りつつ頑張っていきたいなと思う。

 

10月を目処に就職すること、その次にこの講座を成立させること、

それが私の今年の大きな目標だったので、無事に終えることができてほっとした。

 

 

 

気が抜けたこともあったのだろう、今週末は珍しく体調を崩した。

子どもたちの世話をすることもままならないので、残念ながら子どもたちに会えず。

珍しく落ち込んだが、でも、ここまで私はかなり頑張ってきたよね、と自分を労うことにした。

6月末からストレスフルで環境激変の日々だったと思うし、

その間私はずっと心身共に健康に、そして時々動揺はあったものの、機嫌よく過ごせていた。

相変わらず、様々な面で家族や友だちに支えてもらった。

子どもたちとは、各々の勉強の大変さを分かち合いながらたくさんの話をした。

新しい出会いがたくさんあって、大切な人たちも増えた。

良い人生を歩んでいるよ、何も心配することはない。

私は久しぶりに完全にひとりきりの状態で、私に向き合った。

 

 

前職を思い切って辞めたとき、また私はバカなことをしたなと、

何も決まっていない未来に呆然としながらも、清々しい気持ちだった。

離婚したときと同じように。

自分の心に嘘をつかないで生きていこう。

それがどれだけ愚かであっても、私はそうやって生きていこう。

仕事だからっていう言い訳も、もうやめようと決めた。

自分が自分に嘘をつかないでいられる仕事をしようと決めた。

そして今は、完全にそうだとは言えないまでも、かなり理想的に働けている。

私が思い描く理想に近いものを、共に描けたらいいねと、共に実現できたらいいねと、そう思っている方たちと共に働けている。

色々な違いはあるけれど、一致する目標がたくさんある。

そのことがとても嬉しい。

そして、そんな話をできる大切な人が私にはたくさんいることも、本当にありがたい。

 

 

こんな未来が来ること、この春の日の私は知らなかったね。

ある意味で愚かなまでに、理想を曲げないでいてよかった。

でも、前職で一緒に泥まみれになった仲良しの職員さんには、そろそろ連絡してみようかなと思っている。

あそこで私は鍛えていただいた。

本当に貴重なことを学ばせていただいた。

そのことがなければ、今の職場で私は使い物にはならなかっただろう。

前職での後悔はまだ苦く残っているけれど、ようやく言語化できるようにはなってきた。

 

 

体調を崩した土曜日、寝たり起きたりしながら、

いろんなことを意識的に無意識的に、整理できたんだと思う。

日曜日は久しぶりに本を読んだ。

私の最上の愉しみ。

ずっと読めないでいたヘッセの『知と愛ーナルチスとゴルトムントー』。

私が身を置く環境は様々に大きく変わったけれど、私自身はやはり全く変わらないところがあって、

私はこうやって本を読んで感じてものを考えて、それを言葉にしなければ、

私自身として生きている実感がわかないんだって、あらためてわかった。

心地良い家に整えたり、子どもたちと良い時間を重ねたり、大切な人たちと良い関係を築いたり、そういうことと同じく、

私を大切にすることのひとつとして、本を読むことが必要なのだとわかった。

あるいは、絵を観ること、映画を観ること、音楽を聴くこと、落語を聴くことも。

でも多分、私にとって本が一番必要なのだろう。

 

 

 

そして月曜日の今日は、ずいぶん元気になったので友だちに会いに来てもらった。

講座のこと、最近のこと、仕事のこと、本のこと、たくさんのことを話した。

 

私に必要なものがわかり、私は十分に満ち足りていることがわかり、

私を取り戻せたように思う。

 

 

タイトルは、藤井風の曲の中で私の一番のお気に入り。

まさに今、こんな気分。

私に必要なものがわかったよ、ちゃんと私は自分を取り戻した。

明日から仕事だ。

私にできることがあることが嬉しい。子どもたちを勇気づけに、行ってくる。

 

I'll Close My Eyes

大変長い間、ここに書かないでいたけれど

私はとても元気に過ごしています。

 

3月の末に無事退職をして、

4月はあちこちへ出かけて、

5月は求職活動をする中で、まずは職業訓練学校でパソコンを習うことに決め、

6月になって職業訓練校の面接準備などをしている、というような状況。

 

AIJのアドラー心理学の講座にも色々出かけて行き、

ただいま地元でパセージ受講中

幾つかのオンライン勉強会も再開し、

アドラー心理学の勉強もできるようになった。

 

それから、行きつけのジャズバーで、ジャズイベント等の事務方のお手伝いをさせてもらうようになった。

コーラスサークルにもまた行き始めた。

 

どれもお金を稼ぐということにはまったく結びつかないのだけれど、

というかむしろお金は出ていく一方なのだけれど、

たくさんの新しい方々との出会いがあり、私をお役に立てられる場所もたくさんできて、

本当にありがたい。

 

 

新しいブログを作ったので、最近は毎日そちらを更新している。

英文ブログで、しかもかなり下手くそな英語なので、読みにくいことこの上なし・・・

内容は仏教のことについて。

でももしもご興味をお持ちになる方がおられれば、ご覧ください。

theletterstojalsha.hatenadiary.jp

アメリカのGBIに行ってきた体験記を中心に書いている。

目をつぶれば、GBIでの素晴らしかった日々がよみがえる。

 

 

このブログについては、時間を見つけて時々書いてみたい。

ようやく前職の3年間のことについて、言語化することができるようになったと思う。

ただ、日本語を使うのは本当に楽なので、一旦日本語で書くと英語で書くのが大変億劫になってしまう。

今は、時間のあるうちにできる限り英語の勉強をしておきたいので、日本語で書くのはもう少し後になるかもしれない。

 

Look Your Back!

あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いいたします。

 

昨日と今日、どちらも夜までの仕事を終えて、私は明日からお正月休みだ。

31日は夜勤明けで昼過ぎに目覚めた。

冷たい風雨が吹き荒れていて、もうこのまま買い出しに行くのはやめようかと思ったけれど

せめてお雑煮だけは食べたいなと思い、白味噌のために買い物へ行った。

そうすると、ちょっとだけでもおせちを用意しようと思えて、ついでにあれこれ食材を買った。

帰宅して、お煮しめを作ったりブリを焼いたりして、ざっと掃除して、

新しい年を迎える準備ができた。

 

小さなことだけど、すべきことをすると気持ちが良い。

私は、きちんとしていたいんだなと思った。

理想が高すぎるから動くのが億劫になってしまうんだけど、本当はきちんとしていたいようだ。

でも、私が望むほどにはきちんとできなくても、きちんとしようという努力は、少なくともできる。

それがわかってから、少しずつ、小さな努力ができるようになってきたかなと思う。

今年の目標は、小さな努力を続ける、にしよう。

家事についてもそう、語学にしてもそう。私の理想にはきっと届かないけれど、でも努力を続けていれば、今よりは先に進めるはずだから。

私の高い理想を変えることは出来なさそうなので、達成可能な目標として、あきらめずに続けることを設定してみよう。

 

年越しは、ジャズバーで迎えた。

友だちに、年越しライブに行くんだと言うと、今までと全然違うことができるの素敵だねと言われた。

確かに、新しい行動を選ぶことができた。

こうやって小さな新しい選択肢を重ねていけば、私はもう少し自分に縛られずに自由に生きられるだろう。

同じ曲でも、一回一回がまったく新しいHさんのピアノのように、私も新しい毎日を奏でていきたい。

 

タイトルは、菊池ひみこの曲。

昨年の11月の路上ライブで、子どもたちと一緒に聴いたことを思い出す。

仕事に行く気になれないときなどにこの曲をかけると、身体が動き始める。

エネルギーが湧いてくる。ネガティブな思考で自分にはめていた足かせを解いてくれる。

私は、音楽によってある程度制御できる。

単純なものだ。私が元気でいるためには、Hさんの音楽を聴かせておけばいい。

そう思えるほどの音楽家、音楽に出会えたことは本当に稀有なことだと思う。

 

 

 

 

今日は、仲良しの上司とふたりでゆっくり話をする機会があった。

昨年のうちに私の退職の意思を伝え、理解していただけた。

だから、私がここで共に仕事をするのは2月末までのことだとわかった上で、様々な利用者さんの対応について話をした。

利用者さんたちの小さいけれど大きな変化や成長を、尊いことだと感じながら確認していく上司との会話が、私はとても好きだ。

そんな風に利用者さんをあたたかく、興味深く見守っているのは、この上司の他は、ふたりの先輩ぐらいだと思う。

 

そのうちのひとりの先輩とは、もう会えなくなってしまった。

あの先輩は、どれだけある利用者さんの対応で忙しくても、他の利用者さんにとってはこちらの事情は全く関係のないことなんだから、どの家庭の支援も疎かにしてはいけない、いつだってどの利用者さんに対してもむらなく対応しなきゃだめだって言っていた。

そしてその言葉に違わず、先輩は自分がどれだけ大変な時でも、事務室に来られる利用者さんに対して真っ直ぐ向き合っていた。

損得を考えずに、一生懸命にできる限りのことをしようとしていた。

その姿から私はたくさんのことを学ばせてもらった。

そんなことを、今日上司に伝えた。

上司は嬉しそうに聞いてくださっていた。

私がある利用者さんに支援拒否された時、夜勤明けにもかかわらず、上司と共に私の指導のために来てくれたのもその先輩だった。

この施設を支えている中心の存在だったから、長年一緒に苦労をされてきた上司にとっては、先輩がいなくなったことに私たち以上に大きなショックを受けておられると思う。

 

どんどん大変さが極まっていく状況で、私は裏切り者のようにここから立ち去るのだけれど、でもここにいる最後の瞬間まで、役に立ちたいと思っている。

それは利用者さんたちに対してだけでなくて、共に頑張ってきた職員の仲間たちに対しても。

だから今、職員同士の関係が色々なところでこじれていることが気がかりだ。

皆が皆、ひとつの出来事を自分なりの物語で捉える。

憶測が憶測を呼び、事実はどこにあるのかわからなくなる。

私は、ただ良きモデルであった先輩の物語を口にしてみた。それは、私にとってひとつの真実。

でももう私はここからいなくなるのだから、私が先輩の思いを受け取っていることに意味を見出すことは無駄なことかもしれないけれど、

でも私がその話をすると上司が嬉しそうにされていたから、よかったと思えた。

 

この泥沼のような大変な現場を、あの先輩と共になんとか支えてこられた上司が、今、ほとんどひとりで支えようとされている。

そのことを思うと

本当に、ものすごいことをされていると思う。

…たとえ私が残ったところで、到底力不足である。

わかってはいるけれど、一緒に苦労をすることを選ばなかったことを、少しだけ後悔している。

そう思えるほどに、私は上司のことを大切に思っていることに気づいた。

 

私が今年度末で退職をしたいと伝えた時、上司はびっくりしてしばらく固まっておられた。

まさか私がそんなことを言い出すとは思わなかったそうで。

「引き留めたい気持ちはたくさんあるんですが、でも、Mさんがそう言われるということは、これは辞めようかどうしようかっていう相談ではなくて、よく考えた上で決められたことなんでしょうね。

元々心理の仕事をしたいということでしたし、まだお若いし、新しい人生を選んで行かれたらいいと思います。」

そのように言ってくださった。

とてもありがたかった。

 

私は恐ろしくバカなところがあるので、大人の事情はよくわからない。

上司のことも、先輩のことも、他の職員さんによれば、私とは全く違う捉え方をしていたりもする。

でも私はバカであっていいから、すべてを美しい物語として受け止める。

上司が私に対してあたたかく接してくださったこと、先輩が一生懸命にできることをしようとしていたこと、それらは私にとっての真実で、

他に様々な別の真実が絡んでいるのだとしても、

それによって私と上司や私と先輩の美しい物語が否定されたり汚されたりすることはないと信じようと思う。

 

私はきっと、何度も何度もここに居たことを振り返るだろう。

少しの後悔と共に、たくさんの感謝を持って。

 

 

昨日も今日も、これが最後になるかもしれないとどこかで思いながら、一瞬一瞬を大切に感じながらお母さんたち子どもたちと過ごした。

出会うひとりひとりに、新年の挨拶をした。

急にかしこまって挨拶し合う大人たちに、子どもたちは照れて笑う。

私たちは日本の文化のもとで、共に生きている。

ああでも、今年もよろしくお願いしますなんて、嘘だ。あと2ヶ月しか残されていない。

でも、どうかみんなにとって今年が良い年になればいいと願う。

 

Neither One of Us

今夜は夜勤。これが今年最後の記事。

本当に今年はハードな1年だった。

職場ではクライム・サスペンスドラマでしか知らなかったような出来事が次々と起きて、

それらに対処しなければならなかった。

というか今この瞬間も、何かが起きる可能性がある。

 

状態は日々悪くなる。

なんとかしようと職場のみんなでもがいているけれど、悲しいことが起こりすぎる。

ここで仕事をするために、私は感情の制御をしている。

自分がこれらの出来事をどのように感じているか、自覚しないように努めている。

大変すぎるねって職場のみんなと笑いながら毎日を過ごしている。

ひとりで過ごす休日は、資格の更新や携帯の機種変更やパスポートの更新やオンライン勉強会のレジュメ作成などに忙しくした。

この2週間ほど、気晴らしをしようとかジャズバーに行こうという元気さえ出なかった。

何回か友だちに会ってもらったり子どもたちが泊まりに来てくれたりして、あたたかい時間を持てると、ほっとして、心の強張りに気づいた。

 

 

28日、久しぶりにジャズバーの扉を開けた。

相変わらずHさんのピアノは世界の真ん中にあった。

世界はこれだけ美しいのだから、私は安心して、私にできる限りのお役目を果たせばいいんだと思えた。

私が世界を変えることはできなくても、私があの人の苦しみを減らすことができなくても、

私はあの人の側にいられるあと2か月の間、あの人のためにできることを探し続けようと思えた。

私は何者でもなく、非力だけれど、そのことを受け入れられるようになっている。

それは多分大きな成長だ。

それは、このジャズバーで私が音を出さずにいても居場所があるということ、

何者でもない私が安心してそのままで居ていいことに気づけたおかげだ。

そしてライブが終わった後、久しぶりにHさんたちと夜ご飯もご一緒させてもらった。

私にはこうやって共に音楽を味わい食事を囲み談笑する人たちがいる。

そのことを本当に得難い幸せだと感じた。

 

 

そして次の日も、またジャズバーの扉を開けた。

Soul&Bluesのライブ。

父が好きで時々聞いていた曲たちと、ここで再会できる。だからSoul&Bluesのライブの日は、少しだけ故郷に帰った気持ちになる。

 

憂歌団の「シカゴ・バウンド」が胸に刺さった。

死んでしまいたいのに「仕事もなけりゃ ピストルも買えねえ」。

そうなんだね、あの人は多分そういう気持ちなんだって思った。

でもこの歌の主人公は、「ひとりで飲むしかねえ」と言いながら、「俺とよく似たそこのおっさん 俺と一緒に飲もうじゃないか」って思えた。

寂しいお酒でも、誰でもいいから、一緒に飲んでくれる人がいたらいいのにね。

あの人には、一緒に飲んでくれる人がひとりもいない。

だから記憶を飛ばそうとして泥酔して、色んなことをしてみるけれど、身体が丈夫だから死にたくても死ねない。

苦しいだろう。

生きていたら何かいいことあるよなんていう気休めを、私は言えない。

あの人が見てきたものやあの人が見ているものを、私には見ることができない。

 

私が見ているのは、あの人が作り出す不幸たち。

子どもたちが笑ってくれるように、私たちは色々なことをするけれど、束の間の楽しい時間を子どもたちと過ごすけれど、

そのこと自体があの人の勇気をくじいてしまうこともある。

どうしたら自分が楽になって楽しくなれるのかを知らないあの人は、ただ欲望を満たすことや誰かの関心の中心になっていることで幸せが手に入ると思い込んでいるようだ。

でも、居場所があって自分が誰かに貢献できていると思えていない限り、幸せにはなれない。

渇望はいよいよ苦しみを生む。

それなのに、皆があの人が気を紛らせるようにと欲望を満たす方向へ動いていく。

あの人の苦しみが減ることはない。

 

Kさんの歌う「さよならは悲しい言葉(neither one of us)」が、私の感情の制御を解いてしまった。

後で聞いたら、Kさんご自身がこの日のこの歌は、色んなことが思い起こされて、いつもと違っていたそうだ。

何度も聴いているのに、この日のこの歌は特別だった。

こうやって楽しみながらひとつの音楽を作り上げていく、そんな素敵な仲間どうしの関係が、それからそうやって作られていく素晴らしい音楽が、今、目の前のステージにある。

私が幸せでいられるのはあたたかい居場所とたくさんの仲間と音楽のおかげ。でもあの人にはそれがないんだ。

制御が解かれてしまった私の心はもう、素直に感じてしまっていた。

あの人は、また、大きなさよならを経験してしまった。

そのことの意味を思い、どうしようもなく悲しくなってしまった。

この2週間近く、ずっと考えないように感じないようにしていたけれど。

やがて「さよならは悲しい言葉」は終わり、次々と別の曲が演奏されたけれど、私の心はこの悲しみから抜け出すことができないでいた。

どんなことがあっても「笑っていられたらいいね」という歌詞にも、明るく楽しい曲であればあるほどに、あの人のことを思うと、その落差に愕然とした。

 

ライブが終わると、Kさんたちの飲み会について行った。

みなさんがあたたかく受け入れてくださった。

それから思いがけない再会もあったりして、自分の過去を振り返ったりこれからのことを思ったり。

酔いながら、これまで話ができなかった人たちともおしゃべりができて良かった。

 

私は楽しさでいっぱいのライブの空間で、ひとり悲しさに耽っていた。

でも私にはその自由があって、私は自由に音楽を味わっていると感じた。

ここがそれを許してくれる、私をあたたかく包んでくれる場所であることを本当にありがたく思った。

音楽は、作曲家の手を離れて意図を離れて、演奏者の意図も離れて、聴き手が自由に味わうことができる。

でもそれは、演奏者の魂が私の心に響くからだと思う。

作曲家が紡ぐ物語を演奏者は自分の物語として奏で、聴き手は自分の物語として受け取る。

そんなことも、Kさんとお話しできてとても良かった。

一生懸命に生きている人が好きだ。

Kさんの歌が心に響くわけが、少しわかった気がした。

 

深夜まで楽しく飲んで、幸せだなって思ってひとり帰って、

あの人のことを思ってまた少し泣いて、私はせめてあの人の友だちのようでいられたらいいなって思った。

私に残された時間はあと少しだけれど。そして、あの人とさよならをしなければならないけれど。

 

あの人は自分で自分の苦しみを増やす行動をしてしまっている。

その構造を共に探っていくことが、私たちの関係性のままではできない。

私はまだ希望を失っていなくて、どんな人でも、苦しみの構造を探って洞察に至れば、苦しみを減らすことはできると思っているから、

だからアドラー心理学のカウンセリングや心理療法をまっすぐにしたいと思っている。

あの人に対してできることが何もないことが、私の苦しみだけれど、

この苦しみは、私の傲慢さ、メシア願望から来るものなのだろう。

私にできるのは、ただ祈ることだけ。

それから、このような苦しみを抱えた人が少しでも減るように、幸せな子どもたちを育てていけるように、様々な形で私を役立てたい。

 

 

 

まったく、必死に生きた1年だった。

でも私はずっと幸せだった。

本当に本当に、みなさまのおかげです。ありがとうございました。

来年もどうぞよろしくお願いいたします。

来年がみなさまにとって良い年となりますように。

 

 

ベリーベリーストロング〜アイネクライネ〜

休みの日と出張があって、数日職場に行かない日が続いた。

久しぶりに帰ると、やり切れないことも嬉しいことも自分にできることも、たくさん見つかって

ここは私の居場所なんだなと思えてしまった。

 

出張では、ファミリーソーシャルワークの大規模な研修に参加して

グループワークなどで児童養護施設乳児院の職員さんたちと色々な話をした。

世界は私の想像を超えて悲惨であり、その現場で一生懸命に子どもたちのためにできることをしようと努めている人たちがたくさんいるのだと知った。

 

私の施設は、母と子どもが共に生活することができることが、とても良いことだとあらためて思えた。

ただし、私のいる施設は、虐待の現場ともなり得る。

親と離れている方が子どもの心身の健康にとって良いだろうと思えるケースでも、引き離すことは大変難しく、ほぼ実現できない。

それは、母親の支援も同時に行うからだ。

ここに居て子どもが母親への淡い期待を保ち続けられることは、それが儚い思い込みだとしても、例えばネグレクトという虐待を受けている子どもにとっては、まだ良いことなのかもしれないと思えるケースもある。

 

他の社会的養護の施設は子どもだけの入所施設だから、虐待を受けた後の子どもたちの生活の場となる。

しかし他の施設は、親子の虐待の現場にだけはならない。

親元へ帰した後、また虐待を受けて戻ってくることも多いそうだが。

「私たちがしっかり育てていきたいのに、親元へ帰して無茶苦茶になってしまった」、と語られる話をたくさん聴いた。

親元へ帰すかどうかの判断は、施設の判断ではできない。措置元の判断となる。

私たちはただ、来た人々にできる限りのことをして、去って行く人々を送り出すだけ。

せめてその後の情報を掴んでおいて何かの時に力になりたいが、十分にアフターフォローができているケースはあまり聞かない。

 

親と敵対する構造の中で、子どもを守り育てる立場。

即座に危機介入は行うが、目の前の虐待を完全には止められない立場。

どちらがマシなのか、私にはわからない。

でもどちらの立場でも、私たちが子どもを救うんだと懸命になる限り、メシア願望を持たない者はひとりもいないのではないかと思う。

私だって、もちろん持っている。

メシア願望は捨て去るべきだと野田先生はあんなに仰っていたのに、私のその執着はより強くなってしまったように思う。

 

 

 

親子を引き離すかどうかの境目は、どこにあるのかわからない。

(そもそもそれは、人が他人に対して行っていい判断なのかどうかも私にはよくわからない。)

私の施設で職員の支援が入って共に生活する中で、虐待が明らかに減り、母が子どもをあやせるようになったケースもある。

それは大変な境遇で育った母の素晴らしい成長だと思うし、子どもへの愛情があるからだと思う。

子どもの方は、職員との関係の中で安心して暮らせるようになったから、精神的な不安定さがなくなってきて母の困るような状況が減ってきた、ということもある。

でも職員の子育てへの支援の手がなくなれば、その母はまた子どもが愚図ったりいうことを聞かなくなった時に、子どもに対して酷く暴力的な手段を使うことが残念ながら目に見えている。

だから、それぞれの親子にとってのよい距離観は様々に違っていて、支援職が間に入ることでよい距離に保たれる場合もあるだろう、という話が研修の中であった。

でも一体支援職って、そんな大したものなのか?とも思う。他人の家族の中に支援職が入ることによってその親子を立て直すなんて、そんな傲慢な考えはないと思う。

いや、実際そんな傲慢なことを私たちはやっているのかもしれないけれど…。

 

夜、遅番のシフトで帰る直前、22時前頃に見回りに行くと、その母が怒鳴って子どもが泣いている声を聞くことが何度もある。

わかっているのだ。その部屋の前に行けば、きっとそんな状況であることは。

しばらく様子をうかがって、母のトーンが落ち着いてきたり子どもがただ愚図っているだけだとわかれば、そのままにして帰る。

でも母がヒートアップしてきたり、子どもの泣き声が止まらなければ、内線をかけたりドアをノックしたりして、介入を行う。

そして親子が落ち着いて笑顔になるまで一緒に過ごす。

私の残業の中身は、そんなことが多い。

でもこのお母さんは、子どもをしつけようという良い意図があって、手段が間違っているんだよねって、だから一生懸命に良いお母さんになろうとしているんだよねって、思えたりもする。

子どもがお母さんを大好きでそれを全身全霊で表しているのも、お母さんがそれをちゃんと受け止められるようになったことも、よかったなと思う。

とはいえ、その部屋の不穏な様子に気づくと、私の動悸はしばらく治らない。

私のペルソナは危機介入の兵士モードになる。かなりきつい。

 

これでもまだこの親子はずいぶん収まった方で、この施設の中でもっと酷いケースを見聞きしてきた。

しかし、母子分離が行われた後の子どもたちが居た家庭環境は、「そんな程度」ではない。

同じ国で、同じ時代に生きているのに、全く想像を絶する世界がある。

それも、私が知らないだけで、きっとすぐ身近にある。

 

危機介入として、社会的養護施設は必要だ。

そこで働く人たちは本当にすごいと思う。

でも本当は役目がなくなればいいのにと願う。

そして私は、社会的養護が要らなくなるように、幸せな家族を増やすことに一生懸命になりたいと思う。

現代日本を覆っているデカルトフロイトパラダイムの中では、絶対に幸せな社会はやってこないと思うから、

ベイトソンアドラーパラダイムへ変えていかなければと思う。

本当に、多くの人たちからは私の方が狂っていると思われるだろうけれど。

狂ったような私の信念をまっすぐに保ったまま、誰かの役に立ちたいと思う。

 

 

 

☆☆☆

 

人と人をつなぐ役割をしたいと思う。

タイトルは、斉藤和義の曲。

絶望しそうにもなるけど、世界はあたたかくて、もう少し人を信じてみてもいいんじゃないかって思える。

私が絶望しかけていたひとつひとつのエピソードの中の、よかったところに光を当ててくれる。

悲しさややり切れなさは消えないけれど、私にできるだけのことはやれたんじゃない、それでよかったんじゃないって、

思い通りにはならないけど、そこまで酷いことにもならなかったよって、

世の中そういうもんなんじゃないのって、思える。

 

 

この前の夜勤のとき、深夜に施設の敷地内に人が入ってきた。

監視カメラがその姿をとらえ、アラーム音が鳴った。

警察へ通報しなければ、と身構えた。

すると門の外のインターホンが鳴らされた。

人を探している様子で尋ねてこられたので、知らないことを伝えた。

その人はお礼を言われて、すぐに立ち去った。

この件のインシデント報告を書いている途中、

そうだ本当は、知っているとも知らないとも言っちゃいけなくて、「お答えできません」って言わなきゃいけないんだったと気づいた。

 

必死に探している様子だった。私はあの人の力になりたいと思っていた。

でも、もしかしたらあの人は自分の元から逃げ出した人を捕まえようと思って探している人だったのかもしれなくて、

逃げている人が再び捕まる助けをしてしまったのかもしれない。

悲惨な世界を知ってしまった私は、人を信じられなくなっていた。

自分の対応が一体どんな影響を及ぼしたのかわからず、恐ろしくなった。

実際、この施設に逃げ込んでくる人は居て、何度かかくまったことがある。

あの人が心当たりのある追跡者でないかどうか私にはわからなかったので、その辺りのことも含めて検討材料として報告を書いた。

 

次の日、私は夜勤明けで休みだったが、ミーティングでこの件について話し合ってもらった。

今日その時の様子を先輩に聞いてみたら、

判断は非常に難しいけれど、マニュアルとしては確かに「お答えできません」というべきだけど、

今回は人を探しているその人を手助けする対応でよかったのではないか、という話になったらしい。

心当たりのある追跡者を知っている先輩がインターホンのモニターを確認すると、その人ではなかったそうで、ほっとした。

通報のタイミングも難しいけれど、門を入ったら対応より前に通報ボタンだね、と言ってもらい、私の判断で間違っていなかったことがわかった。

今後どうやっていくかという話し合いをすることが一番大事だから、こうやって詳細に書いてもらってよかったと言ってもらえて、よかった。

 

…順応してきたが、私はこういう危機、緊張感は苦手だ。

でも何よりも、人を信じちゃいけないのがしんどいなと思う。

ここは身の安全を守るための場所でもあるから、様々な修羅場が交錯している場所だから、

外の世界から利用者を守らなければならないから、当然のことではあるけれど。

でも、私はこの施設の中で職員の役割を担っていなければ、あの人を探していた人のことを、悪い人かもしれないと疑うことなく、単に力になりたいと思うだけだっただろう。

そうでありたかったなと思った。

けれど、本当のところはわからなくて、明らかに悪人のように見える悪いことを為す人ばかりではない。

そして、世の中は私が思っているよりも広い。

 

…とても世界観が悪くなってしまった。

でもせめて、私の周りだけでも、良い関係を作っていく輪を広げていきたいと願う。

ああ本当に、私は理想を追い求める狂人、ドンキホーテそのものだ。

 

 

 

☆☆☆

 

中学生のNくんが、作文を読ませてくれた。

この施設に来て、人と関わるのが苦手だった自分が、施設の行事に出るようになって、たくさんの人と話をしたり遊んだり筋トレしたり、色々なことに挑戦して外向的な性格になれました、ありがとう。勉強頑張ります、これからもしばらくよろしくお願いします、って書いてあった。

そういう風に言ってくれる中高生はとても多い。

私は彼らの、不器用だけど頑張っている姿を見て、優しい気持ちに触れて、いつも泣きそうになる。

過酷な環境を乗り越えて、こんな風に立派に育ったことを素晴らしいと思う。

私に声をかけてくれて雑談してくれることも、とても嬉しい。

彼らの側に、友だちとして居られることが嬉しい。

 

勉強をすることで、あなたの可能性は広がるんだよって、Nくんに1年半ほど前に言ったことがある。

「もう、そういうのやめて、聞きたくない!大人ってみんなそういうこと言うよなー」って耳を塞いで拒否された。

その頃のNくんは学校にもほとんど行かず、勉強は全くしていなかった。

その後Nくんが、勉強がわからないから学校に行きたくないんだって言ってくれて、じゃあわからないところを教えるよって話をして、それから一緒に勉強をするようになった。

それから学校に行くようになって、施設内の塾に通い出したこともあり、Nくんの成績はどんどん伸びた。

先日一緒に勉強した後で、「勉強することで可能性は広がって、人生は変わるんだよ」って私が言うと、

「いやー、グウの音も出ませんわ」とNくんは笑った。

わかってくれるようになったんだね、って私が言うと、「はい、大人になりましたよ!」って言ってくれた。

彼を勇気づけることができたのだとわかって、とても嬉しかった。

そうだね、私は、Nくんとさよならすることがとても寂しいんだけれど、

でも、彼はもう大丈夫。

だから、私がいなくっても彼は大丈夫だって信じてみようと思う。

それが彼を尊敬し、信頼するということだ。

彼も寂しがってくれると思うけれど、でも、人生はそういうものだ。

残された時間を大切にしたい。

 

闇が暗いからこそ、微かな光を強烈に感じる。

現実はそんなものなのかな。いちいちの、残酷な出来事と輝くような出来事に私は揺さぶられている。

わからないって、何度書いただろう。

わからないことばかりだ。ここが良いところなのか酷いところなのかも。

きっと私には永遠にわからないままだろう。それでいい。

でも、私はここを離れ、アドラー心理学をまっすぐに活かせるところへ行こうと思う。

 

I Can’t Get Started

今晩は夜勤。

職場では数日間緊急事態が続いていたが、今晩は妙に静かだ。

寒くなって、建物自体が身を屈めているかのようにしんとしている。

締め切りの近づいている事務作業は多々あるが、まだ余裕があるので今晩は何もしないことに決めている。

時間の経過がとてもゆっくりだ。

 

楽しいことはたくさんあった。

それなりに良い成果をおさめた仕事もあった。

仕事仲間に信頼してもらえるようにもなった。

でも、もうムリだなと感じている。

ここ数日の一連の出来事の衝撃波は、昨晩深夜、残業を終えて家にたどり着くと襲ってきた。

職場では兵士のペルソナで頑張っているから、私は自分の心身の痛みについて鈍感でいられる。

心地良い私の部屋に戻って自分の心身に意識を向けると、今までになく疲弊していることに気づいた。

今すぐに誰かに助けてもらうことができない私は、自分で私を助けなければならない。

私を救えるのは私だけだ。

私の心身を守れるのは私だけだ。

 

そのセリフは、昨日私があの子に言った言葉。

子どもが傷ついていく姿は耐え難い。

もちろん、私のできる限りであの子にとって一番良いことをしたけれど。

そして仕事仲間も深く傷ついているから、話を聴いて、できる限りをやっていますよということを伝えた。

「いつも話聴いてくれてありがとう。もうね、本当に消えてしまいたくなったの。Mさんが居てくれて助かっている。」って言ってくれた。

以前は、私はそういう風に言ってもらえると、満たされたように思えていた。

誰かのヒーローになりたかった。

だけど私は、もうヒーローはやめたみたい。

私がいくら仲良しの職員さんを少しばかり助けられているとしても、だからといってこの悲惨な状況を変えることはできない。

ここに居る限り、この悲惨な状況を延命させる任務から降りることができない。

私にはもうムリだから、やめよう。

何回も何回も、楽しいことや嬉しいことがある度に、もう少し長く居てもいいんじゃないかって揺れていたけれど、今回のことでとどめを刺された。

こんな言葉を何回このブログに書いたかわからないけれど、まだあるんかいってびっくりするほどに、多種多様な悲劇があるものだ。

 

お茶を飲んでお餅を食べて、お風呂に入って、瞑想をして、暖かい布団に入って、

きちんと副交感神経優位の状態になっていることを確認した。

身体はあたたかかった。

よかった。私が本当に消えてしまいたくなるような時は、身体中、心の奥まで冷たくなってしまうから。

まだ私は大丈夫だ。

私は、私の心身を労わることができている。

私自身は何も困ってはいない。ただ、深く傷ついているだけだ。

その差異が言語化できてよかった。

 

それから2人の友だちに、朝になってから話ができるかどうか助けを求めた。

そして今日は珍しく、2人共と電話することができた。

同じ話をしても、2人はそれぞれに違った視点から見てくれるから、気づきがたくさんあった。

そうやって私は現状を分析する。この悲劇の構造を見ようとする。

アドラー心理学を共に学んでいる2人と話をするから、おかげでアドラー心理学的に説明のつくところまで洞察が至った。

ただ、絶望的なことに、どれほど私が構造を(アドラー心理学的に)正しく見抜けたとしても、それは事態を良くするためには何の意味もないのだ。

私自身があの子に関われるときは、できる限りのことをする。そのときの手助けに、この洞察はわずかながら役に立つかもしれないけれど。

でも、ここでは静観しかできない。外部の介入が必要で緊急要請をしているが、母の動きひとつで、「待った」がかかった。

結局、いつもと同じ。何となくおさまったような雰囲気になって、問題は何も解決しないまま時が流れていくのだろう。

今日一日、あの騒動は何だったのだろうというぐらい何事もない様子だったようだ。

それはそれで悪くはないのだろう、けれど…いつまた同じことが起こるかわからない。

 

準備はできている。だけど動き始めない。I can’t get started!

多分こうやってアイドリング状態でいるのが、私にとってのストレスなんだろうな。

結果が悪くても、自分ができる限りの行動をしていられると、私は優越目標に向かえているから大丈夫。

私が何をしても無駄だという事態が、私にとって耐え難いのだろう。

ほんとうに、どこまでも意味のあることを為したいのだな私は。やっかいだ。

 

 

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先日、小学生たちを連れてポニーとのふれあい体験に牧場へ行く行事があった。

悪天候だったけれど乗馬体験のときだけは雨が止んで、私も乗せてもらうことができた。

 

賢いポニーは私を乗せて一定の速度で歩いて行く。

運命は、このようにして私を連れていくのだろうと思った。

私は姿勢を正して、リズムに身を任せながら、手綱を握り、私の進みたい方へと誘導していくことができるはず。

完全なる自由ではない。けれど、完全なる管理下でもない。そして、完全なる意思決定でもない。

「柔らかい決定論」を身体で感じた。

車の運転とは違うのだ。車は完全に私が制御しなければならないものだ。私の意思決定がすべてで、すべてが私の自己責任。

でも乗馬には、馬の方の意思決定の部分がある。私が山並みに見とれていても、馬は変わらず進んでくれる。

私はもっと優しい気持ちで、馬と調和しながら、まだ見ぬどこかへと連れ立って行けるだろう。

「同行二人」、その美しい比喩だ。

 

側に付き添ってくれる牧場スタッフの方たちが、「子どもたちみんな優しくていい子ですね、一生懸命に厩舎の掃除をしてくれましたし、ブラシ掛けも蹄の掃除もとても丁寧にしてくれましたし」、と言ってくれた。

昨年は「フン汚いから掃除なんか嫌だ」って言っていた子が、今回は「俺前やったから知ってる!」って言って、掃除のやり方を他の子たちに自慢げに説明してくれて、率先して掃除をしてくれたことを話した。彼の成長に涙が出そうだった。

牧場のスタッフの方たちも、それはとても嬉しいですと言われた。

実はこの牧場のスタッフの中に、私のアドラー心理学自助グループに来てくれている方がいて、その方がスタッフ教育をされていることもあり、この牧場の方たちの子どもたちへの関わりは本当に素敵で安心できる。

この良い環境の中で、子どもたちがたくさん働いて、ポニーたちを可愛がっていて、一緒に来られて本当に良かった。

色々な問題を抱えた子たちだけど、それぞれの良いところを発揮して、みんなが協力していた。

のんびりした子は丁寧に、怖がりの子は慎重に、生意気な子はみんなをリードして、みんなが本当に良い顔をしていた。

みんな、また来たい、年に一度じゃなくてもっと来たいって言って、名残惜しそうにポニーを撫ぜていた。

 

帰所してから上司や先輩たちに話をすると、「そんなに良い体験だったなら、機会を増やしましょう。お金はかかるけれど、こういうことのためにお金は使うべきだから、上と掛け合ってみますね」と言ってくれた。

そして早速、担当職員さんと話し合って、来月の小学生行事の内容を変更して、またポニー牧場へ行く計画に変更してもらえた。

子どもたちが喜んでくれるだろう。私は行けないけれど、きっとまた素敵な体験ができるだろう。

 

 

私はここで、ある程度は意味のあることをできているだろう。

それはそうなんだけど。

この子たちの成長が楽しみだし、まだまだ他にも、良いことはたくさんあるのだけれど、

きっとこれからもここに、私は意味のあることが為せていると確認するために書いていくのだろうけれど、

今こうやって書くことで、凍えてしまいそうだった心があたたかくなったのを感じているけれど、

ここに居るのは今年度限りだ。

良い時間を過ごそう。

 

 

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タイトルは、ジャズスタンダードの有名なもの。

母と一緒にジャズバーへHさんのライブを聴きに行ったとき、演奏されていた曲。

こんなに大きなことを成し遂げてきた自分なのに、言い出しかねていて君と始まらなくて意気消沈だよっていう、ビッグマウスな男の愛嬌を感じる歌詞。

今晩は絶望的な気分で書き始めたけれど、書くことはセラピーになる。

YouTubeでジャズを流しながら、あの晩のあたたかかった時間を思い出す。

 

並行して物語を紡ぐ私のペルソナたちが、私を構成する。

悲観的なペルソナの私のことも、大切にしよう。少し抑えつけていたかもしれないね。

私には楽しいことが大好きな陽気なペルソナもあるみたいだから、その明るい物語も大切にしながら、悲観的なペルソナを支えていこう。

悲しいときは悲しめばいい。

でもどんなことがあっても、私は自分を痛めつけるようなことはしないから、私はちゃんと大丈夫だから。

そういう行為がどれほど周りの人たちを傷つけるのか、これ以上ないほどにわかったから。

絶望に浸りたいときは絶望に浸るけれど、それも所詮はひとつの、かのようにの物語。

世界はただ「ある」だけで、そこに特定の意味を見出しているのは私だから。

 

There Will Never Be Another You

11月に入ってから、大切な人たちの心身の不調が続いていた。

私はストイックな人が好きだから、私の周りの人たちは必然的にストイックな人ばかりで、

身体が丈夫な人は、痛みが酷くなるまでその頑張り方を変えようとしないし、

精神が丈夫な人は、身体の不調が出るまで無理をしていることに気づかない。

今ようやく、みんな快方に向かってきたかなというところ。

まあ、私も含めてなんだけれど…。

自分の心身が健康であればこそ、自分の果たしたい役割を務められるということを

今一度考える機会だった。

 

毎晩寝る前に、短時間だが瞑想と五体投地をしている。

大切な人たちを思い浮かべながらみんなの健康と幸せを祈っている。

こうやって具体的に祈るべき人たちが私にはいる、ということが幸せだなと感じながら。

 

先週の水曜日から今週の月曜日まで、母が泊まりに来ていた。

私自身は時々母の家に泊まりに行っていたけれど、来てもらうのは1年半ぶりぐらいだった。

土日は子どもたちも泊まりに来てくれて、でも私は夜遅くまで仕事だったりもして、

普段はひとりきりの静かなこの部屋に、メンバーチェンジを繰り返しながらあたたかい時間が流れていた。

 

あれは5月だったと思う。かささぎ座(アドラー心理学のサイコドラマの講座)の間、母の家に泊まっていたとき。

寝る前に瞑想をしていたら、母が私の居る部屋に入り、私に話しかけてきた。

私は今大事なことをしているのに、母もそれがわかっているのに、(というか母は私が瞑想することをとても喜んでいるくせに)、用事は後にしてほしいなと思って陰性感情を抱いた。

だけど、今私は目の前の大切な人のためにできることをするのが仏さまの喜ばれることだと思い、

母に陰性感情を抱いた自分を反省して、すぐに「なあに?」って返事をすることができた。

なんだったか覚えていないけれど、大したことのない、すぐに済んでしまう母の依頼した用事をすませて、私は再び瞑想の続きを行った。

瞑想を続けたいという私の執着を手放して、母に向き合うということを選べたこと、それは私にとって大きなことだったと思えた。

かささぎ座でも、同じ学びがあった。

私のこのエピソードの場合、スピリチュアリティに関わる内容だけれど、構造としては全く同じだ。

自分のしたいことを優先させて、人に協力することを後回しにする。これは自己執着であって、共同体感覚に向かう行動ではない。

そんなことを身に染みて学べた瞬間だった。

 

今回も私が瞑想しているときに、母が話しかけてきたことがあった。

部屋に入ってきた母のところからは私の姿が見えなくて、「あれ、そこにいる?」と声をかけられた。

返事をすると、「あ、瞑想中だった?ごめんね、後でいいよ」と母は言った。

私は、あの5月の日のことを思い出した。

「ううん、いいよ、どうしたの?」って、母の側に行った。

「ごめんごめん、途中だったんでしょ?後でいいよ」と母は言ってくれたけれど、私は大丈夫と言って、小さな用事をすませた。

そしてまた瞑想の続きを行った。

大切な人との時間を大切にすることができたと思えた。

母も、5月のあの日のことを思い出していたのかもしれない。

お互いを思いやる心が通じ合ったと思った。

私たちは一緒に同じ師のもとでアドラー心理学を学び、仏教を学んでいるから、お互いに学びが身についてきたんだろうね。

なかなか、こんな風にうまくはいかないこともあるけれど。

 

 

私が関わり合う全ての人たちと、良い関係が築けたらいいなと願う。

それはとても小さい範囲だけれど、世界を美しくすることだと思う。

他人を変えることはできない。変えられるのは自分だけだ。

 

「虚空と等しき母なる一切有情が 楽と楽因を得んことを

 苦と苦因を離れんことを 苦のなき楽を離れざらんことを…」

私は母のことを何のわだかまりもなく、大切に思う。

すべての命ある者たちを自分の母であるように思い、その者たちの幸せを願いなさいというのがこの言葉の意味だとざっくりと理解しているが、

私は自分の母を、そのように何よりも大切に思えることを幸せに思う。

母との関係に苦労している大切な人たちも多いから、きっと私は前世でよほどの善業を積んだんだなと思える。

 

 

職場では、悲しいことがたくさんある。

ここは母と子どもの安心して過ごせる場所としてあるべきはずなのに、

母と子どもを引き離さなければいけないのではないかという状況が多々ある。

もうあと数ヶ月でさようならなんだから、良いところだけを見て自分にできることを果たして終わろうと思っていたけれど、

以前から気がかりだった問題たちがここに来て極まってきた。

母たち、子どもたちへの対応は楽しいとか嬉しいと思うことがほとんどで、真心で向き合えるようになったと思う。

私と母たち、子どもたちの関係は、良い関係が築けてきていると思う。

だけど私にどうしようもないのは、母と子、母と他人、子どもたちどうしの関係だ。

それを私がどうこうしたいと思い始めると、その絶対に無理な目標設定のために、私は心身を壊すだろう。

私には願い、祈るしかできないことがたくさんある。

私にできることは本当にわずかなことだけだ。

それを思い知らされる毎日。やはり随分、打ちひしがれている。

 

だって、子どもにとって、どんな母親であっても、代わりのないたったひとりの母なのだから。

母を捨てて生きようと決意できる子は強いと思う。

ある高校生には、母へのたくさんの感謝は忘れずに、でもあなたの人生なんだから母から自由になってほしいと伝えたことがある。

でも多くの子どもたちは、どうやって母に気に入られようか、どうやって母の気を引き続けようかと、必死だ。

その過程で、友だちに相談したり、職員たちに相談したりしてくれることは、その子たちの健全な成長にとって本当に良いことだと思うけれど、

だけど私はやっぱり、そういう子どもたちを見ていると辛くなる。

そうやって母を中心にした人生を設計しているんだなとわかるから、

ただこの一時的な気休めとしてでさえ、私たちが居ることに過大な期待をしそうにもなり、

しかしなんだかんだと言うだけ言って泣くだけ泣いて、母のことで頭が占められていることを感じ、

虚しさでいっぱいになってしまう。

私があの子どもたちに対してできることなんて、本当にないなって思う。

いや、あるけれど、ごくごく些細なことだ。

だとしてもあの子たちにとっては大きな意味があるのでは、と思うこともあった。

それはそうかもしれないけれど、それは悲し過ぎて、そこに私の生きる意味は見出せない。

職員さんによっては、あの子たちのために一生懸命になることが生きがいのようになっているような人もいる。

それはそれで、素晴らしいことだなと思う。そういう人たちのおかげで救われている子どもたちも母たちもいる。

ただ、私がもう頑張れないというだけ。

 

 

次の仕事では、子どものことを大切に思いながら子育てに困っているという母たちのお手伝いをしたいと思う。

そこの条件は、わがままだけれど、私にとってはとても大切な部分だ。

理想が高いね。でも、そういう母たちのお手伝いをするということは、大きく世界を変えていけるように思う。

ああやっぱり、私は自分のすることによって大きな影響を与えたいのだ。

仕方がない、そういう目立ちたがりな私なのだ。