化石

今日はお母さん業の日だった。

子どもたちを病院に連れて行ったり面倒をみたり、

私も体調が良くないのでゆっくり休んだ。



読みかけのままだった『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』を夢中になって読んでいた。

ゲーテの生きた時代背景を少し知ったから、

より文脈が読みやすくなってきた。

他に、もう読むべき本なんてそんなにないんではないだろうかと思えてしまう。


私は娯楽の少ない人間だ。

どうやらドラマも映画も、無いなら無いで全然問題ないようだ。

本当に私の心にかない、面白いと思えるものだけを愛でていこうと思う。


まったく世間の話題に無知だったりするのだが、

今のところそれで支障はない。

こうやって化石になっていくのかもしれないけれど

私にはアドラーゲーテだけ残ればそれでいいかもしれない。

他のものにあまり大した価値を見いだせない。


こんな私とも親しくお付き合いしてくださる方々に感謝している。


曲げられない

今日はパセージ第2章の予定が、復習会になりました。

 

パセージは、リーダー含めて6人以上14人以下でないと開催できないというルールなので、
欠席があって6人に満たなかった場合、次の章に進むことができないのです。
なぜ6人は良くて5人じゃだめなのか、
それはグループの動きが悪くなるからだということだそうです。

 

何度もパセージや自助グループをやってきて、私も、確かに5人と6人の差は大きいなと思います。
リーダーと4人のメンバーというグループと、
リーダーと5人のメンバーというグループでは、
何が違うんでしょうね。
リーダーと6人のメンバーというグループは、リーダーと5人のメンバーというグループとほぼ同じです。
親密さなのかな。
メンバーさんの人数が少ないと、リーダーの影響が大きくなる気がします。
これは私が濃いタイプのリーダーだから余計にそうなってしまうのかもしれませんが…。
少人数のグループが悪いわけではないと思うのですが、
ある程度以上のメンバーがいる方が、メンバーさんたちの自由度が高まる気がします。
いい意味で、リーダーの制御できない状態になるのではないかなと思います。
リーダーが完全にその場を支配してしまえないような人数だと、
メンバーさんたちが自由に動けて、
その動きが、グループ療法の大きな力になるのではないかなと
私はぼんやり思っています。

私は復習会も好きです。
マニュアルがないですから、自由に動けますので、時間に縛られることがありません。
気楽に進められて、どうやって学んでもらうか、純粋に楽しむことができます。

 


パセージの各章にはきっちりとしたマニュアルがあって、
目安の時間も決まっていて、
話し合いの手順もワークも決まっているのです。
その枠組みの中で、メンバーさんたちに自由に事例をお話ししていただいて、
テキストのページに沿った内容を学び合い、
事例提供メンバーさんの良いところや子どもさんの良いところや代替案を話し合い、
ロールプレイをして効果を確かめます。
それを時間内に進めていくというのが、大変でもあり、やりがいのあるところでもあるのですが
なかなか集中力を要します。
リーダーが余計なことしゃべってしまうと、時間がなくなりますし、
メンバーさんたちがたくさんご意見やエピソードをお話ししてくださらないことには進められないし、
様々なバランスが大事な2時間半です。

 


どうして開催にあたっての条件や、マニュアルがそんなに厳しいのかというと、
全国どのリーダーのところで受講しても、同じようにパセージを学べるように、
という大きな目的があるからです。
私は、ただ私がパセージリーダーであるだけではないのです。
日本アドラー心理学会の有資格者として、全国のパセージリーダーさんたちの活動の中の
ひとつの小さな部分として、動いているのです。
だから、美穂さんのやってるパセージとかアドラーって全然だめだよ、よくないよって言われてしまうと、
それは私の評判が悪くなるというだけではなくて、
全国のパセージリーダーさんたちの、そして日本アドラー心理学会の評判を落とすことになってしまうのです。

もっと言うと、全世界のアドラー心理学を学ぶ人たちとのつながりの中に組み込まれて、

私のこの小さな活動があるので、全世界のアドレリアンに対する責任が私にはあるのです。
そういう責任を持って、私が出会えるメンバーさんたちによいものを提供できるようにと努めています。

 

パセージが5人で開催できたらとても楽です。
メンバー集めがまず難関で、パセージ開催を延期することが全国でも多々ありますから。
実際、誰も見ていないのですから、リーダーの采配で何とでもできるのです。
でも、そこを曲げてしまっては、パセージでなくなっていってしまいます。
細かいことばかりだけれど、その細かいところをきちんと守っていくこと、
それがよいパセージを提供することにつながると思います。

 


アドラー心理学は言葉を大切にする心理学です。
言葉にしたことは、守らなければいけません。
子育てでも、他の対人関係でも、言葉を守ることにとことんストイックです。
そのあたりの厳しさが、日本人に受けないところだと私は感じていますが、
言葉を正確に使い、言葉を守るということ、
それがなければよい対人関係も築けないだろうと思います。
なので、厳しい現実を受け止めながら、
厳しいルールを守って、その中で楽しみを見つけていくのです。

遊びというのはそういうものだと私は思っています。

この声は届くのか

今日は絶対的休日。

シンポジウムの原稿案を練ったり、家事をしたりして過ごしている。

夜は、少しでも本を読み進められたらいいなと思う。

 

毎日ブログを書くようになって、文章を作ることがずいぶんと楽になってきた。

今までも好きだったけど、毎日書き続けることはできなかった。

公的に発表する文章を書くのは、書きながらすぐに自信を失ってしまって、

いい文章を書けないなあという劣等の位置から這い上がって、

また書き続けては落ち込むという、

感情の起伏を経なければ文章を仕上げることができなかった。

 

今は、文章なんて一日一夕で上手くなるようなもんではないとわかった。

相変わらず私は

私にだけわかるような不親切な文章を書いているに違いない。

いい文章というのは、私一人の力で書けるものではないと私は思っている。

だから、ひとつには私自身が書くということを質、量、ともに訓練することが必要で、

ひとつには、その文章を読み、吟味し、添削する、よい編集者の力を借りることが必要だと思っている。

 

 

私は小学校1年生のときから、作文を書くのが好きだった。

とにかくたくさん書きましょうとおっしゃる先生で、

鉛筆止まらん病になってくださいとおっしゃった。

私は真面目に、たくさんたくさん書いた。

そのことで真面目なよい生徒として所属できたのかもしれないな、と今思う。

 

いつ頃からだったか確かではないが、

おそらく1年生の2学期ぐらいからか、毎日の宿題に作文(あのね帳)が出るようになってから、

書けた文章は、まず母に見せるようになった。

誤字や句読点の誤りを添削することが母の主眼だったかもしれないが、

私としては、読んでもらうことで、母に書かれた内容を知ってもらうことが楽しみだった。

私が書き、

母が読んで添削したり、この表現をもう少し推敲した方がいいんじゃないかと言ったりして、

私が推敲し、また母に読んでもらう。

それを何往復も繰り返す。

そして、いいものになったね、と二人で喜ぶ。

そういう作業は、なんと、小学校中学校高校と続き、

大学の卒論だけはさすがに母に添削してもらうことはなかったが、

現在、頼まれ仕事の挨拶文とかアドレリアンへの寄稿文など、

様々な文章を未だに私は母に読んでもらい、添削してもらっている。

(このブログは添削なしですけどね。ほぼ推敲もなしの一発書きである。)

 

母は、私の担当編集者なのだった。

今は私には母以外にも、編集者として力を貸してくれる友人がいる。

夫も、ときどき添削を手伝ってくれる。

私はとにかく、自分の文章を読んでもらえることが嬉しいのだ。

私の文章について意見を聞かせてもらうことが嬉しいのだ。

そしてよい文章を作り上げる作業が好きだ。

 

 

私は自分自身でも、

文章を一度バラバラにしたり、入れ替えたり、削ったり、書き加えたり、

そういう編集作業をするのがとても好きだったりする。

その作業を行うときは、自分の視野を広げるように努めるけれど、

やはり自分の視点だけでは限界がある。

他の方の意見をいただけると、私の考えがより深まり、奥行きが生まれる。

そうして形を整えていき、やがてできてくるものは、

はじめ自分がイメージしていたものとは違うものに変わっている。

その作業を経て、私自身の考えが明らかになり、わずかに成長しているような気がする。

 

だから、私は公にする私の文章について意見をいただくことをとても大切に思っている。

公にする原稿は、読者ありきのものだ。

母や友人や夫という、私をよく知っている人ではない、

未知の読者のあなたにこの声は届くのだろうか。

そういう疑いをいつも抱いて、しかし届けられるようにと願って、

私は言葉を探している。

 

フェミニズムとの決別

今日はアドラーの著作のオンライン抄読会でした。

日中はドイツ圏の職人をとりまく政治経済についての本と、
アドラーの著作と、
世紀末ウィーンについての本を読んでいました。

 

 

抄読会では、男性的抗議(Masculine protest)がテーマでした。
これは女性性の否定、男性的行動を誇張することで劣等感を補償する、ということなのですが、
1920年代の著作であるにもかかわらず、現代でもまったくそのまま通用する話で、
驚いてしまいました。
1920年代のウィーンは、女性の参政権はまだ認められていなかったはずですし、
社会は男性が中心だった時代です。
現代の日本の方がずっと男女が平等という意識が浸透している社会だと思います。
だけど、現代の日本でも、女性性を受け入れられない女性はとても多いです。


アドラーは、子ども時代に正しい性の役割を知り、それに対して準備していれば、
家庭の雰囲気が、女性が無能力であることや男性の特権を強調するものでなければ、
後の人生における多くのトラブルは回避される、と書いています。

アドラーは昔に社会主義に傾倒していた時期があり、
政治でもって、社会を変えることによって、人々が幸せになると思い描いていた人です。
けれども、第一次世界大戦で軍医として従軍した後、
政治でもって幸せな社会は作れないという考えに変わり、
子どもの教育が重要なのだと、幸せな家庭を作り幸せな子どもを育て、
幸せな子どもたちが幸せな大人になってまた幸せな家庭を作り社会を作っていくことでのみ、
社会が変わると考えるようになりました。

男性的抗議についての考え方も、このアドラーの考え方が表れていると思います。

 

 

私は多分とても恵まれて育ったので、
女性であることを劣っていることだとか、不利だとか感じることはほとんどありませんでした。
だからかえって、結婚するとなったときに、
周囲から、奥さんになるっていうことは夫を立てることだとか、
女は結婚という逃げ道があるからいいなとか、
女性というものに付随する様々な意見を聞いて、ひじょうに混乱しました。
私だけが生活が変わり、夫の生活は何も変わらない。
…このことは、私の結婚についてだけの話だったかもしれませんが。
このとき初めて、私は女性性について劣等感を感じました。
それまで、自分が女性性が薄いなということについて劣等感を感じたことはありましたが、
自分が女性であるということに劣等感を感じたことはなかったのでした。
ただ、このことは、夫に非があったわけでもなく、親に非があったわけでもありません。
私が周囲の言葉に過剰に反応したというだけです。
だって、すべては私自身のとらえ方次第でしたし、
実際私の身に起こった不公平は、私が苗字を変えなければいけなかったことだけでしたから。


それで、一時期フェミニズムに傾倒したりもしたのですが、(黒歴史です 笑)
私はフェミニズムの研究にも、いくらか重要なものもあると思いますが、
基本的には、女性をめぐる問題については、いくら社会のシステムを変えても、
そのシステムを運用する個人個人の意識が変わらないことには、
女性が女性性に劣等感を持ちたくなる現実は変わらないだろうと思いました。
そして、個人の意識を変えるというのは、
いくら女も男と同じ人間だ!と叫んだって、変わらないだろうと思ったのでした。


女と男は同じ人間だけど、どこまでいっても違う生き物ですから。
その違いは、どちらが劣っているとか優れているとかいうことではなくて、
違っていることによって生物として種が保存されていく。
違っていることによって、文化的にも豊かでいられる。
過激なフェミニズムは、その差異をなくそうとしているようで、
とても不自然で気持ち悪いなと思ったのでした。
フェミニズムは、男女が同等であることを望んでいるのでしょう。


とはいえ、女性であることが不利な社会というのは問題であると思います。
結婚にあたって、仕事をどうするかを考えなければいけなかったり、
妊娠出産にあたって、仕事をどうするかを考えなければいけなかったり、
問題はあります。
でもそれは、実際はシステムの問題だと思います。
結婚は女性だけのはなしではないし、
妊娠出産だって、多くの場合は女性1人のはなしではないからです。
それらの問題が女性の問題とされ、女性の劣等性として結びつけられることこそが問題だと思うのです。

 

この方向で男社会をうらんでみても何も解決しない、と思ったのでした。
アドラーの言うように、人々の意識が変わることしか解決の方法はないと思います。
男性代表の父親と、女性代表の母親が、それぞれに違いを持ちながら、
その違いでもって愛し合いながら、協力して助け合って暮らすというモデルを見て、
自分の性を受け入れ、違う性と協力していくことを子どもが学ぶ。
結局、そういう当たり前だけど理想的な家庭を作っていくことでしか、
男女の平等は達成できないように思います。


男女の平等なんて、当たり前のようで、手垢にまみれた表現で、
あまり気にしていなかったのです。
でも、男性的抗議についてアドラーの書いたものを読んで、
神経症まで進んではいないけれど、苦しんでいる女性はたくさんいて、
それはこういう根深い問題につながっていたのかということに気づいたのでした。

 

対等であること平等であることと、同等であることは違います。
その違いがわからない限り、共同体感覚という思想もわからないだろうと思います。

私の宿題

今日は絶対的休日の2日目でした。

午前中は
アドラーの著作とドイツ圏の近現代の職人を取り巻く政治経済についての本を読んで、
午後からは
パセージ第1章のメモを作って、
メンバーさん全員に勇気づけカードを書いて、
シンポジウムの原稿案を書きました。
今日はけっこうがんばった…。


パセージのメモというのは、
パセージのコース中に何を話し合ったか、どんなエピソードが出たか、
メンバーさんたちの発言や反応はどうだったか、といったことのメモです。
パセージリーダーは、メンバーさん1人1人についてのカルテを作ることが推奨されているのですが、
私にとってはそのカルテの代わりです。
1人1人についてバラバラに書いていくよりも、
私にとっては、何が起こったか、時系列で書いていく方が書きやすいし、
インデックスとしても使いやすいので、そのようにしています。
カルテを作ることの目的は、メンバーさん1人1人の成長を見える化することです。
8章を通して、本当にメンバーさんたちは成長されます。
その成長の軌跡を、リーダーが把握していくことで、より援助することができるのだと思います。

 

時々メンバーさんたちが、以前の章で話してもらったことなどを私が聞いたりすると、
よく覚えていますね!ってびっくりして喜んでくださるのですが、
何にもしていなかったらそんなに覚えていられないと思います。
すぐに引き出せるように、1章1章、ちゃんとメモしているからです。

 

 

メモは、パセージリーダーとして慣れないうちは、コース中に色々書いていたのですが、
あれはよくないですね。
先輩からも指摘されました。
メンバーさんたちの動きに集中することが難しくなってしまいます。
パセージはすごく集中力を使うので、メモしない方がやりやすいです。
それにサブリーダー研修のとき優子先生も、ほとんどメモをしておられなかったと思います。
ペン持っておられたかな?と思い出せないぐらい、メモしておられなかったと思います。

 

なので今は、コース中はできるだけメモを取らないようにして、
全部覚えておいて、後で記録するようにしています。
すべてを記録するわけではありませんが、
私は座席表を書いておくと、何が起こったかを時系列で、
お芝居を見るようにして思い出すことができるようになってきました。

 

ただ、思い出してメモを作る作業は、これもまたちょっと集中力のいる作業です。
でもこれをしておくと、
次に、メンバーさんたちに勇気づけカードを書くのが、とても書きやすくなります。
こんなことを言ってくださったな、こんなことに気づいてくださったな、
ということが一度思い出せているので、そのことについて勇気づけの言葉を書くのです。

2章からは、この他に、課題シートのコメント書きという宿題が発生します。
課題シートのコメントについても研究を重ねましたので(笑)
またそのうちここに書いてみようかなと思います。

 


私は、パセージのコース中がとっても楽しくなってきました。
多分私はグループを動かすことが好きなんでしょうね。
それに、メンバーさんたちの動きや、メンバーさんたち同士の関わり合いを見るのがとても好きです。
そしてメンバーさんたちの表情が毎回毎回、明るく美しくなっていかれるのを見ると、
本当にこのお仕事ができることを幸せに思います。
1章分のパセージが終わって、次の章までに
メモ作成や勇気づけカード作成や課題シートのコメント書きという宿題をしなければならないのは
正直しんどいです。
でも、これがあるからメンバーさんたちが成長していかれる、ということが確かなので、
ありがたいお役目だと思って、がんばります。

地図を描く

絶対的休日1日目。


読みかけの本を3冊読了。

1冊はアドラー心理学のカウンセリングについての本。

1冊は中世〜近世のドイツヨーロッパの農村と都市の生活についての本。

1冊はオーストリアの歴史についての本。


少しずつわかってきたことは、ヨーロッパの歴史、特にオーストリアの歴史は、

日本の歴史のように単線で表せるものではないということだ。

常に異質な人々との協同と争いと妥協とがあって、

その異質性は宗教的でもあり文化的でもある。

具体的な生活の仕方でもあり、食べ物食べ方でもあり、

考え方や生き方という抽象的なものでもある。

どこにも共通点がないようで、しかし互いの存在を必要とするような、

例えば、羊飼いと農民の関係のように、

そういう異質な人々と同じ時空で生きていくという

私には想像を絶する世界であることがわかってきた。

島国である日本の農村と都市の違いなどというレベルの異質性とは、まったく違うようだ。



私たちは共同体を考えるとき、自分と同じような人々を想定してしまう。

でもそれでは、共同体感覚を突き詰めて考えるとき、

見落としてしまうことがあると思う。

アドラーは混乱しきった19世期末のオーストリアのウィーンに生まれ育って、

そこで様々な人々の間に起こる問題を目にし体験して、

そこで医師として心理臨床家として教育者として、役立てることを

アドラー心理学として構築した。

アドラーの描いた理想的な共同体は、

もしかすると私たちの暮らす世界が近いところにあるのかもしれない。

それは幸いなことだけれど、

私たちはアドラーの描いた共同体の反対側の、

アドラーの生きた現実の世界を知らなければ、

理想のその先を正確に知ることもできないのではないだろうか。

私たちはぬるい世界に生きていると思う。

一度、厳しい世界を想像する必要があると思う。



このようにレポートで語ったところで、あまり伝わりはしないだろう。

大切なのは、私の体験としてエピソードで語ることだ。

シンポジウムの原稿仕事はまだ未着手。

明日には着手する。

と、ここで宣言しておく。

今読んでいるものは、シンポジウムに直接役にはほとんど立ちそうにもない。

だけど、少しずつ少しずつ、問題が整理されてきたように思う。


ライトトーン

今日はオンライン打ち合わせでした。
それから、他のメンバーで学会のことについて意見を交換し合ったりもしました。


アドレリアンの仲間たちのすごいところは、自分にとってよくない出来事が起こっても、
相手を変えようとしないで、自分を変えようとするところだと思います。
そういう仲間たちを見ていると、私も人を変えようとしてはいけないと思います。
世の中に絶望していてはいけないと思います。
そういう仲間たちと意見を交換していると、
私のやり方、私の考え方、私の思い込みのクセ、
つまりはライフスタイルの偏りが見えてきます。


私がカウンセラー養成講座を受講したときに、
みんなの前で野田先生に見てもらった早期回想があります。
とてもよくない早期回想だったのですが、
昨日、野田俊作ライブラリのライフスタイル分析についての録音を聴いているときに、
ふとその早期回想を思い出して、ずいぶんトーンが明るくなっていることに気づきました。
以下に書くのは、その変化後の早期回想です。


ーーーーー
幼稚園年長のときの遠足で、動物園に行きました。
列になってみんなでゴリラの檻の前に行くと、とても臭くて、
足元にはゴリラのふんがたくさん落ちていました。
ここは嫌だなと思って、早く別のところへ行きたいと思っていたら、
ゴリラが立ち上がって、私にふんを投げてきました。
そのふんが、私の履いていた白い靴に当たりました。
私はものすごく嫌で、先生に、ゴリラがふんを投げてきて靴が汚れてしまったと言いました。
多分半泣きだったと思います。
先生はびっくりして、優しく手をつないで、私をトイレに連れて行ってくれて、
私の靴を綺麗にふいてくれました。
でも汚れは残ってしまいました。
でも仕方がないと思って、先生と一緒にみんなのところへ戻ると、
なんと、そのゴリラの檻の前のベンチやテーブルで、みんなはお弁当を広げていました。
ここでは食べたくないと思いました。
別のところでお弁当食べたいですって先生に言ったら、
ゴリラは怖くないからね、ここでみんなと食べましょうと言われました。
怖くないけど嫌なんや、と思ったけれど、
私は仕方なく、檻から離れたところに座りました。
まずはお気に入りのピンクの水筒から、お茶を飲みました。
今日は散々やな、と思いました。
ーーーーーー

 


自分の早期回想はわかんないんです。残念ながら。
だけど、変化したところはわかります。

 

3年前は、私はゴリラを怖がっていたのでした。
ゴリラにふんを投げつけられるという、ひどい侮辱を受けたと思っていました。
私はこの辱めを受けたことで、とても傷ついていました。
先生は私を助けようとしてくれたけれど、私は助かりませんでした。
そして、ゴリラの檻の前でお弁当を食べるということを選ぶ人々を、
何を考えてるんだと、信じられないと、許せないと思っていました。
私が嫌だと思うことを訴えても、聞き入れてもらえなくて、
汚くて臭いところにいなければいけないこと、
誰にも話が通じないこと、
そんな世の中に絶望していました。
私は黙って一人で絶望していました。
そういう惨めな物語でした。


今は、私はゴリラを怖がっていません。
だってゴリラは檻の中にいて、私を害することはできないから。
たとえ攻撃されるとしても、ただふんを投げつけられるだけに過ぎないのです。
そのことを私はわかっています。
だけどとても嫌なのです。
だって臭いふんを投げつけてくるから。一緒にいようなんて思えません。
先生が力を尽くしてくださっても、靴の汚れは取れなかったし、
私が言葉を尽くしても、お弁当を食べる場所を変えることはできなかった。
世の中ってひどいものだな、と私は思いました。
嫌なものから離れることができないなんて。
だけど、そんなひどい状況でも、
私はお気に入りの水筒で、おいしいお茶を飲むことはできました。
そうやって自分の気持ちを落ち着けて、
ああ今日はほんまに散々な日やなあって、そんな状況に自分でちょっと笑えました。


この早期回想から、世の中にはどうしようもないことがあるんだ、と私は学んだと思います。
そして、そんなひどい状況でも、私には私を救うことができるんだと
今、私は思えるようになったのだと思うのです。
それから、これはひどい状況ではあるけれど、
まだ耐えられるぐらいのひどさだと、思えるようになっています。
そこまで深刻な問題ではないと思えました。
それから、お弁当の時間が終われば、私たちは移動することが決まっているのです。
この状況は長くは続かない。
それは救いだなと思えました。

 

 

他にこの早期回想から気づいたことは、
私は1人で戦う(なんとかしようとする)人間なんだ、ということです。
とても積極的に行動するタイプですね。
それから、言葉を使うことを大切にしています。
まず、ゴリラが怖いだとか嫌だとかいうのは、
言葉が通じない、話しが通じないからなのでしょうね。
そして絶望してしまったのは、言葉が通じるはずの先生に、
私が別の場所へ行きたいという話が通じなかったからなのでしょうね。


そんなことを考えると、私は成長しているなって思えたのでした。
これから私が成長すべきところは、
仲間と生きていくという視点をもつことなのかな。
つまりは、世界観を良くしていくこと。そんな気がしています。