You And The Night And The Music

雨は止んでいた。

夜になってから再び家を出て、別世界への扉へ向かった。

今晩はソロピアノのライブ。

Hさんがピアノを響かせると、

どうしてかわからないけれど、ここが世界の中心なんだと思えてしまう。

音楽に浸りたいのは現実逃避のためなのに、現実に向き合う勇気をもらってしまう。

 

私には大切な場所や人がこうやってまた増えていく。

大切な友だちがまた1人、遠くへ行ってしまう。

私たちはまた会えるし

久しぶりにまた会ったら、いつものようにたくさんの話ができるだろう。

2人でお茶をしていつまでも止まらないおしゃべりをする私の友だちは

何人遠くへ行ってしまっただろう。

でもみんな、行ってしまう前に、もう一度会おうって連絡をくれる。

忙しい暮らしの中で私たちが手を取り合う時間は本当にわずかだけれど

あなたにとっても大切な時間であったなら嬉しい。

そう思いながらも、ひとりの部屋に帰ると、ひとり取り残されている気がしてしまう。

そんなはずはないのに。

さようならは嫌だ。

また会えるとわかっていても。

 

 

 

職場ではまた色々なことが起きている。

アドラー心理学の理論に当てはめて考えると、

自分のすべき責任を果たすことから逃れるために一生懸命に神経症的策動を行っているのだと

推測できることが多い。

子どもたちはいじらしいほど懸命に、不適切な行動をすることによってなんとか自分の存在をアピールして、所属しようとしているんだとわかる。

そのことを、今日は初めて上司に伝えてみた。

あくまで私個人の意見ですが、と前置きをして。

「彼が不適切な行動をしているのは、

他に良い方法を思いつかないからか、他の良い方法は自分にはできないと思っていたり効果がないと思っているからであって、

今のこの状況を打破したいと思って、彼なりに一生懸命だからだと思います。

彼の言っていることの辻褄が合わないのは、彼自身も十分にわかった上で、決断したくなくて、責任逃れをしようと足掻いている表れだと思います。

彼の意思を尊重するというのは支援の方向性として当然ではあるけれど、

今の彼は決断できる状態ではないということを、関係機関にもわかってもらう必要があると思います。

彼に決断を迫ると、余計に苦しくなって、もっと派手な不適切な行動を起こして、より責任から逃れようと必死になるように思います。

それはみんなにとっても困ることですし、彼にとっても苦しいことになります。」

上司は真剣に聴いてくださった。

担当の職員さんたちも、今が変化を起こすチャンスだと思っているようで、

別の視点からの私の意見はありがたいと言ってもらえた。

 

これから、どうなるかはわからない。

彼がすべてを誤魔化すことをやめて、少しでも自分の人生に向き合えるようになればいいなと願う。

とても時間はかかると思うけれど。

彼は今、おそらく、底打ち状態になったのだろう。

それは彼にとって大変過酷なことだ。

でも、ここから回復していけるはずだ。

底打ちしなければ、快方へは向かえないものだろうから。

 

 

 

最近よく思う。

私たちが利用者さんたち子どもたちのためを思って様々に行うことが

相手を甘やかし、相手が取るべき責任を肩代わりし、相手がすべきことから逃げ出すことを手伝っているのではないかと。

たとえそうであったとしても、相手の時々の状態によっては必要なこともあるとは思う。

しかしいつしかこの甘やかしの日々に慣れさせ、それまで持っていた責任感を奪ってしまっている気もする。

 

 

私がこの状況をどのように変えられるのかは、わからない。

今の私に思いつくのは、いつもと同じく、馬鹿げたような些細なことでしかなくて

ひとりひとりの利用者さん子どもたちの、良いところ、役に立てるところを伝えるということ。

責任を果たせるように勇気づけるということ。

…そして毎日、ひとり挑戦してみては、あまりに無謀なことに思えて落ち込む。

社会的に、心理的に、医療的に、様々な困難な状況が重複している人々が

健康的に貢献的に生きていくことは、本当に難しいことだと実感する。

私には無理だ。

 

だけど、私はひとりきりではないと思えるようになった。職場においても。

他の職員さんたちは皆、アドラー心理学の理論とはかけ離れた考え方と世界観を持っているけれど、

目標は私とそんなに違ってはいない。

みんな苦しみながら、少しでも良い方向へ向かえるようにと熱意を持って頑張っている。

それは私と同じだと思えるようになったから、

私の意見が採用されないとしても、上司に私の意見を話して、

今後決められた方針がどのようなものであってもそれに沿ってみんなと共に頑張ろうと思えた。

 

不適切な行動を強化していく負の循環が回り続けるのを見ているのは辛い。

無駄に空気を読んで従順な私がいる。

私にそれを断ち切ることはできなくても、この負の循環という構造については、話すことができるかもしれない。

そうやってアドラー心理学の知恵を広めていくことが、私の責任なのかもしれない。

私はみんなに信頼してもらえてないからまだできない、という言い訳は間違っていて、

本当は、私がみんなを信頼していないからだと気づいた。

このようにいつだって自分にブーメランが返ってくる。アドラー心理学はまったく厳しい。

 

しかし、平等の位置を、人々が協力して生きる理想状態を、私は描くことができる。

まだ私は相手と手を取り合える理想を信じているから。

まだ私は絶望していない。

理想状態を叶えてくれる音楽に浸ると、理想は実現できると思い込みそうになる。

その思い込みの力で、私は自分にまだできることがあるだろうと思えてしまう。

一瞬一瞬を、一生懸命に生きている私を、バカだけど好きだと思える。

今晩の音楽が終わってしまっても、頭の中で音楽が消えてしまっても、

私の理想は消えない。

消えそうになったら、また夜に世界の中心のピアノを聴きに行く。

 

 

Heimweh

先月と今月に渡っての4日間、アドラー心理学基礎講座の理論編を受講した。

私がアドラー心理学を学び始めて最初に受講したのが、約10年前の野田先生の理論編だった。

優子先生が教えてくださる内容は、野田先生と変わらない。

アドラー心理学はその理論と思想によって、現代社会の問題を解決する突破口になると

これがただ一つの突破口だと私には思えたから、アドラー心理学を学ぼうと決心した。

それまでにあった知的好奇心からではなく、世のため人のために学ぼうと思った。

そのことを、思い出した。

 

おそらく、それで落ち込んでいたのだろう。

今の私はアドラー心理学を臨床で使えるようにもなり、ある程度身に付けることができたけれど、

こうやって講座に出て自分のエピソードを話したり、グループのみなさんと話し合う中で、

自分の職場で、曲がりなりにも子どもたちのためにお母さんたちのために、アドラー心理学で学んだことを使ってお役に立てていると気づかせてもらうけれど、

けれど、私はあの時のような未来を切り拓く希望を燃やしていない。

 

この職場でアドラー心理学とは全く異なった世界観、文化の人々と共に仕事をして、良い関係を少しずつ築いてきたと思う。

過保護過干渉な業務をこなすために、自分で折り合いをつけながらやってきた。

アドラー心理学を裏切りながら。

そのことを、今回の理論編を受講してとてもよく実感したのだと思う。

 

ホームシック のようなものだ。

このアドラー心理学を学ぶ仲間の中で、ずっと居られたらいいのにと思った。

そう思って苦しいのは、私が自分のことだけを考えているからだ。

そのことも、アドラー心理学を学ぶとわかってしまう。

なぜなら共同体感覚の実現というアドラー心理学の思想的な目標には、自己執着を手放すということによって近づけるからだ。

 

 

とても小さなことだけれど、子どもたちやお母さんたちを勇気づけることができることもある。

いや、数え上げれば、たくさんの実践ができていることに気づくことができる。

それはおそらく、相手の人たちにとっても、良い瞬間だっただろうと思える。

あの子が宿題を教えてと言ってきてくれたから。

あの子がボール遊びしようって言ってきてくれたから。

あの子が行ってきますって手を振ってくれたから。

あの子がちょっと聞いてよ今日こんなことがあったんだよって話してくれたから。

それぞれの子たちに対して私は、権力争いをしたり、注意をしてすねさせたり、勇気をくじいたり、色々な失敗を重ねてきたけれど、

今、私はあの子たちとの失敗をなんとかリカバーして、ずいぶんと良い関係を保てるようになったと思う。

それは本当に、地元の自助グループの仲間も含めて、共に学ぶ仲間にエピソードを取り扱ってもらって、代替案を考えられたからだ。

それは、本当にありがたいことだ。アドラー心理学を学んでいて良かったと思う。

 

でもね、ここの環境が過酷すぎることと、私の理想が高過ぎることとで、私は多分落ち込みやすい。

できることがまだまだあることがわかっているし、生活のためにも、今はこの仕事を頑張ろうと思えているけれど。

 

 

 

仕事に向かう前は、瞑想をする。

私が自分のためではなく、人々のために生きられるように祈る。

いつだって私は自分のことばかり考えてしまうのだけど、瞑想の瞬間だけは、自分が世界のただ一部であることを思い出す。

そうすると、この世界を悲観的に見ないでいられるようになる。その瞬間だけは。

そして帰り道、その日のよかったことを思い出すと、ああ瞑想をしてターラー菩薩に祈ったからだなと嬉しく思う。

そして私の善い行いを世界に返そうとする。

 

そうやって仕事をしている。

だから私にとっては、アドラー心理学だけではうまく機能しないのだ。

野田先生が仰っていた通り、アドラー心理学は宗教とセットでうまく働く、完成するようにデザインされているのだと思う。

そのことに抵抗を感じる人は多いだろうけれど。

でも、心から自己執着を手放そうと決心するなら、人間よりも次元の高い神さまなり仏さまなり世界なりを想定しなければ、不可能だと思う。

 

 

 

こんな話を警戒せずに話せる人はごくわずかだ。

私は現代の日本社会に不適応。

でもその自覚は幼い頃からあった。自分が社会不適応であること自体について劣等感はない。

ただ、適応しなければならない今の状況に、時々疲れてしまう。

それで音楽の世界に逃避して、心身を癒す。

美しい音楽は、人間を超えた存在に近いと感じる。

そうやって私はバランスを取ろうとしている。

 

音楽の世界も私にとっては故郷。

今のこの生活の中でも居場所ができたことは本当にありがたい。

すべての出来事が、意味をもっていることを感じる。

ここに来るために必要な道だったんだと、振り返るたびにいつも思うけれど

やはりそうなんだと思う。

だから、また明日も、わずかばかりの私にできることをしよう。

 

今日は子どもたちが私の部屋で眠っている。

やがて彼らが巣立つまで、この限られた時間を大切に過ごしたい。

彼らの側に居ることを私が選んでいるのだ。

それに付随する苦も楽も、実はどれも些細なことだ。

 

 

ミクロの共同体感覚

今晩は何もない穏やかな夜。夜勤中。

 

被災地では雪が降っているだろうか。

被災地の方々が一刻も早く安心できる生活がおくれるようにと祈る。

 

 

19年前の阪神大震災の日のことを思い出す。

あの日を境に私は現実の中に生きるようになっただろう。

あの日を境に私は生活することに関心を持ち始めただろう。

あの頃私は守られている子どもでいられてよかった、と思い、

少し臆病な自分に気づいた。

今、もしも自分の身に同じことが降りかかれば、自分の家族と職場の利用者さんたちを守るために、私は頑張らなければならない。

とはいえ私は独りではなく、仲間と共にはたらくことになる。

しかも今や私たちは、どこにいても大切な人たちとスマホでつながっている。

何より私たちは、いつ何が起こるかわからないことを知っている。

だから私は、あの日暗闇の中を手探りで生き延びる道を探していた両親のような、突然まったくの混沌の中に投げ出されるということにはならないだろう。

 

 

 

今日、カウンセリングが終結した。

初めて、ライフスタイル分析をさせてもらっていた。

クライアントさんの早期回想を元にして、長い時間を共に冒険させてもらった。

日々美しくなっていかれるクライアントさんがまぶしかった。

私の方が学んだことは多かったかもしれない。

これからも試練は否応なくやってくるけれど、お互いに強く生きていこう。

私たちは仲間で、一緒にいるから。

 

 

 

☆☆☆

 

私の早期回想は、阪神大震災の頃のものがとても多い。

トラウマ的なものはひとつもなくて、ほとんどがよい早期回想だ。

同じ体験をしても、どのように意味づけるかは人によって様々だ。

私は自分の被災の体験を振り返っても、私は本当に幸せだったとしか思えない。

けれど、この元旦の大地震があってから、ずっと気分が塞いでいる。

だからどうということでもないのだけれど。

変わらない日常を普通に過ごしているけれど。

 

変わらない日常をおくりながらも、職場の利用者さんたちの状況はほぼ毎日が修羅場で、

私にはほとんど何の役にも立てないということを実感する毎日だ。

せめてここの子どもたちが健やかに育つようにお手伝いができたらと思い、パセージの実践を頑張ろうと努めているが、失敗する。

子どもたちの状況も、過酷だとわかっていたけれど、私が今まで思っていた以上に過酷であるようだ。

 

 

職場で様々な大変な事態を見聞きする度、群像劇を見ているような気分になることはこれまでにも書いたと思う。

この、どうしようもない物語を悲しみながら見つめる感じが何かに似ていると思っていたが、子どもの頃読んだ本だったことに気づいた。

先ほど『見習い物語』(レオン・ガーフィールド著)を読んでいて、気づいた。

『にんじん』『あゝ無常』『小公女』など。

あしながおじさん』も『アルプスの少女ハイジ』も『フランダースの犬』も、

他にもたくさんの本を読んだけれど、

おそらく同時代に書かれた、第一次世界大戦後の近代児童文学なのだろう。

手に取る多くの本には、それ自体がテーマではなくても、どうしようもない貧しさと子どもの悲惨な状況が描かれていた。

貧しさと飢えを知らない私は、それは遠い遠い世界のことだと思っていた。

ずっと昔の、遠い外国の話だと思っていた。

でもそれは違うということ、今現在もそのような子どもたちがいることを知り、ユニセフの活動などに興味を持ったこともあった。

それでも、貧しさと過酷な環境というのはやはり遠い世界のできごとだった。

そうだったのが、今私は、渦中の人々の生活の中で過ごしている。

 

そうなのだ。

私には何ができるんだろうかと考え、何もできないことに気づき、落ち込む。

それは今までずっとそうだった、馴染みの落ち込みだ。

でも、今の私には、具体的な相手がいる。

目の前のあなたのために私には今何ができるだろうかと、いつも考えることができる。

それは、ありがたいことだと思う。

少なくとも、私はあなたの役に立ちたいと伝えることができるから。

誰一人信じられないような人の、仲間になれるかもしれないから。

少なくとも、ここにいるわずかの時間だけでも、あなたの側にいることはできるから。

私にできることなんて、たかがそれだけのことだ。

ただそれだけであっても、何もできないでいるより、ずっとよいことだ。

そう思って、

もう夜が明ける、

おはようございますと、出会った人に笑顔で挨拶をしよう。

 

 

どんなに大変なことがあっても、辛いことがあっても、それにも関わらず人は幸せでいることができる。

その大変さや辛さや過酷さを私が誰かと同じように感じることはできないけれど、その中にいても幸せを見つけるお手伝いができたらいいなと願う。

ライフスタイル分析という早期回想の冒険は、そういうことをしていたのだろうと思う。

 

私は今子どもたちの早期回想を作っている。

私は相変わらず目標が高すぎるんだな。

子どもたちが勇気を持って生きていけるように、何かしたいのだけれど。

でもやっぱり、今の私には力が足りなすぎる。

そうやって落ち込んでいるから、もっとアドラー心理学を学んで、何かができる自分になろうとしている。

これでも、メシア願望はずいぶん薄れた方だと思う。

世界を救うのではなくて、目の前のあなたが、ちゃんと今の私には見えているから。

 

Listener

今日は絶対的休日。

あった方がいいなと思ったものを買いに行こうとか、ジャズバーに行こうとか思っていたけれど

結局全部やめて、一日中家で過ごしていた。

少しだけおせちを作って、少しだけ片付けと掃除をして、

それでも少し満足して新年を迎える準備ができた。

大したことはしていないけれど、やっぱり大晦日にすべきことをすると、気持ちがいい。

この一年はどんな年だったか、振り返る余裕ができた。

 

 

風が強い。雨を窓に叩きつけている。

昨年は出会うばかりの年だったけれど

今年は出会いと別れの年だった。

色々な別れがあったけれど、どの別れにあたっても、私は自分のできることを努められたように思う。

 

今年はようやく県外に出ることが自由になって、AIJのアドラー心理学講座をたくさん受講できた。

共に学ぶ仲間が増えた。今まで共に学んできた仲間とも再会できた。

本格的にカウンセリングを再開したことがモチベーションになり、

自分の事例を取り扱ってもらって、たくさんの学びを得ることができた。

 

 

音楽を意識したことが今年の大きな変化だった。

函館でのかささぎ座に参加したことが大きな出来事だった。

相手役と私の間にはよい物語があって、そこにはたくさんの音楽があることを思い出し、

私の感情は音楽によってあまりに揺さぶられることを知った。

そしてそれを使えば、私は自分の制御をより上手くできることを学んだ。

私は音楽的に生きていることを知った。

 

私は楽器の演奏や歌うことが得意ではないので、音楽は実は私の劣等感だったのだ。

だから音楽を意識することは、劣等感と向き合うことでもあった。

理想の高さが、ここでも私の足を引っ張る。

けれど、私は否応なく音楽的に生きていることを知った。

自分の一番好きなものに向き合ってみることができるようになった。

それで、新しい扉を開くことができたのだろう。

ジャズバーという新しい居場所ができた。

一緒に演奏しましょうと声をかけてくれる常連さんたちには、相変わらず、まだできませんと勇気のない返事をしてしまうけれど、

私はこの場所では珍しい「聴く」だけの存在として、所属できている。

 

 

職場では相変わらず、過酷な状況にある人々の生活を垣間見る。

私はここでもほとんど「聴く」だけの存在だ。

時々、一緒に掃除をしたり、料理をしたり、送迎したり、買い物したり、お手伝いをする。

それは実際に必要とされる支援。

でも本当は、話を聴いてくれる人がいるということ、味方がいるということが、必要なことだと思うから

私がここにいる意味は、「聴く」ためだと思えている。

 

 

来年は、元旦の早朝6時から初仕事。

誰かがしなければならない仕事を、今私がさせてもらえることをありがたく思う。

いつまでこれを続けるかはわからないけれど、こうやって経済的にも精神的にも自立できていることはとても良いことだと思う。

多分どこで何をしても、私は幸せに生きていけるだろうと思う。

そんな自信を持てた一年だった。

 

 

 

この一年も、たくさんの方々にお世話になりました。ありがとうございました。

そして、このブログを読んでくださってありがとうございます。

新しい年がみなさまにとって良い年になりますように。

 

 

通りすがり

雪が降っている。

あらゆる音を隠してしまおうとするかのように、静かに降り積もる。

すりガラス越しに雪の影が見える。

止めどなく舞い落ちる。今宵の雪は大きい。紙吹雪のようだ。

 

うるさいのは雪溶けだ。

溶けた水滴がぼたぼたと音を立てて、さらさらと水の流れる音が休みなく響く。

あの音を聞くといつも春が近づいてきたことを感じて、寂しくなる。

 

 

あまりものを考えたくなくて、この数日はジャーナルも書いていなかった。

家にいて持て余すひとりの時間は、歌っていた。

歌い始めると数時間でも歌っていられる。

半年ぐらい前に、カラオケのアプリを入手したのだ。

何度も繰り返して歌っていれば、それなりに上達はする。

歌い疲れるまで歌って、それで少し自分に満足して、眠る。

歌うことに集中していると、何も考えなくていいから。

ジャズバーに行けない時は、こうやって自分の機嫌を取っている。

 

でも寂しさの募った昨日と一昨日は、友だちと会う機会があって、本当に救われた。

何をそんなに考えないようにしているのか、見ようとしなかったけれど

わかっていた。

たった1ヶ月だけ私たちの施設に居た家庭が、今日の午前中に別のところへと去って行った。

私は一昨日が夜勤、昨日は明けの休み、今日は午後からの勤務だったから、さようならが言えなかった。

 

その家庭のひとりの中学生の女の子のことが、私はとても好きだった。

当初は私たちのところへ入所する予定だったから、そのつもりで色々な話をしていたのだった。

子どもたちは、大人の様々な事情に翻弄される。

子どもというのは自由ではないのだとあらためて思った。

家庭の中でも自由でいられないあの子が、楽しく通っていた学校から急に転校することになってしまった。

 

学校に迎えに行くといつも、数人の友だちと先生と一緒にバス停のガードレールに並んで、バスに乗って帰る友だちを手を振って見送って、みんなとハイタッチをしてから走って私の方へ来る。

「遅くなってごめんなさい、友だちと喋ってた」

上気した頬がきれいだった。

「いいよ。大事なことだもん。楽しかった?」

「うん。あ、待って!ちょっと止まって。おーい!」

窓から身を乗り出して友だちに手を振る。

あと1週間で転校という日だった。でもまだ友だちには話せていないらしかった。

「お友だち作るの、とても上手だと思うよ。」

「えー、そうでもないよー」

「いや、かなり上手な方だと思うよ 笑」

「ですかねー。お兄にはいつもうるさいって言われる」

「いいところはね、よくないところの裏返しなんだよ。だから、うるさいって言われたら、賑やかで楽しませられるのねって」

「あはは、めっちゃポジティブ!」

「自分のいいところは、自分では気づかないものだからね。そうやって探してみたらいいと思う。」

「うん、そっか。」

「周りからはよくないってことばかり言われたりしない?」

「ほんとそう。」

「それは、いいところと同じ特徴なんだよ。」

「なるほどね。」

 

頼まれている買い物をしたいと言うので、ふたりでスーパーに入った。

「この前ラーメン屋さんに行ってさ、お店の人に挨拶したら、ママがすいませんってお店の人に言って、後でママに怒られた。」

「…ん?なんて挨拶したの?」

「お疲れさまで〜すって 笑」

「バイトの子やん 笑」

「そうだよね。初めて行ったところだったんだけどさ。あれ、お疲れさまですじゃないかあって後で気づいたんだけど。お店の人笑ってたよ。ママは恥ずかしい!やめてってさー」

「あれ、こんなバイトの子いたっけ?って思われそうだね」

「うん。私そういうとこあるんだよねー」

「素晴らしい。ね、人と仲良くなるの上手なんだよ。どこに行ってもやっていけるよ。」

「イエイ!」

 

もう、あと何回話ができるかわからなかったから、できる限りあなたの良いところを伝えたかった。

ふたりで話ができたのはあの時が最後だった。

その後は2回ほど、私が小さい子たちの預かりをしているときに、一緒に遊んでくれた。

小さい子たちを部屋に送っていくねと言って、おやすみを言ったのが最後の会話だった。

そしておそらく、もう二度と、私たちは会うことはない。

 

他の職員さんには、家庭内での辛いことを話したりもしていたそうだ。

私には、楽しい話ばかりをしてくれた。

たまたま彼女が元気なタイミングだったからなのかもしれない。

もっと色々な話を聴きたかったけれど、もう叶わない。

きっとどんなことがあってもどこへ行っても、彼女は仲間を作って、居場所を作っていけるだろう。

でもあまりに、彼女の境遇は困難が多い。

そのことを思うと私は悲しい。

側に居たからといって私に何ができるわけでもないのだけれど、何も変わらないのだけれど、

せめて側にいて、役に立たなくても、側にいたかった。

 

 

この施設は、いつまでも居られる場所ではない。

困難を抱えた人たちが一時的に体勢を立て直すために身を寄せる場所だ。

ただ、入所して退所する普通の場合は、それなりに退所の準備も一緒に行うし、時間をかけて様々に話をすることができる。

入所しない一時的な利用の場合は、もっと、通りすがり。

 

でもきっと、人生はそういうものなのだろう。

私たちだって、いつ再び会えるかどうかも、本当はわからない。

また会えるっていう思い込みで、この物語が続いているという「かのように」で、またねって手を振っているだけなのだろう。

 

寂しいな。

言葉にしてしまったから、よけいに寂しい。

 

雪はもう降りきってしまったらしい。

静かに白く地面を隠している。

 

My Foolish Heart

今年があと半月で終わってしまう。

仕事はなかなかに忙しく、体調を崩しかけたりしていたが持ち直した。

忙しい割には、というか忙しいからこそ、努めて休憩をし、努めて楽しいことをしようとしている。

時間があればジャズバーへ夜遊びに行き、休みを取っては県外へAIJのアドラー心理学の講座を受講しに行っている。そしてできる限り子どもたちに泊まりに来てもらっている。

 

私の好きなことは、ライブなのだろう。

音楽も、落語も、それから勉強も。

 

対面でのグループワークはとても楽しい。

オンラインでは決して体験できない、視線の交錯や呼吸を合わせること。

グループで同じ時間と空間と物語を共有し、新たな物語を見つけていく過程が治療となる。

どんなワークを行っても、アドラー心理学のグループセラピーではそれが起こる。

そうやってみんなで場を作っていくことが本当に楽しくて、物語に没頭していると、ここがどこなのか忘れてしまう。

時計はただ時間を測るためだけに回っていて、時刻という意味をなくしてしまう。

気づけば瞬く間に日が暮れている。

 

どんなにおしゃべりを重ねるよりも、一度同じグループで共にエピソードを取り扱えば、そのグループでご一緒したひとりひとりの素敵なところがわかる。

皆それぞれが、皆の良いところを探して言葉にしていく。その見つけ方にもその人らしい良さが見える。

事例提供者は、自分が相手のために変わることを決断する。その決断は、どんな小さなエピソードの中にあっても、尊く輝いて見える。

 

書いていて思ったが、私は地元の仲間たちともこの体験を味わえるように、もっと自助グループを開催しなければいけないな。

現実逃避の旅行がてら、遊学してばかりではいけないなあ。

とか言いながら、来月もまた遊学する予定である。

今の仕事の忙しさは、クリスマスを過ぎる頃には一段落するはずだ。

あと少しなので、もうしばらくは自分の息抜きを優先させることにする。

 

 

この職場に慣れるにつれて、この職場の特殊性にあらためて驚いている。

群像劇のただ中にいるような状態だ。

自分にできることをしたいと望むほどに、やり切れない思いを味わう。

でも、そんな中でも、私と相手が美しい物語を作れる瞬間もある。

グループワークで職場の子どもたちとの事例を取り扱ってもらうと、そのことに気づかせてもらえる。

その度に、まだ私はあの子たちのためにできることがあるんだと希望をもらう。

私とあの子たちが良い関係でいられる時間がほんの一瞬でも増えていけば、この世界にあの子たちが所属できる場所が、ほんの一瞬だけでも増えていく。

そのことの意味の大きさがわかるようになった。

 

でもやはり、こうやって言語化することは今の私にはとてもエネルギーが要るようだ。

ジャーナルには日々のエピソードを書いて、相手の良いところを見つけて書いたりもしていて、あまり負担なく続けられている。

このブログに書くときの私の視点はもっと高いメタの位置にあるようで、普段考えていることをまとめ直しているようだ。

その作業は私にとってとても大切だし、ここに書くことは楽しみでもあるのだけれど、負担もある。

 

 

音楽を聴いていると、言語化しなくてよいので助かる。

それで音楽を聴いている。

私の頭の中を音で埋めてしまいたいと思う。

職場にいないとき、最近はそう思う時間が長い。

願っても祈っても、叶わないことばかりだ。

そのことにとても苦しくなる。

 

当たり前なのだけれどね。だって私が変えたいと願うことは、私のことではないから。

私は他の人を変えることはできない。

私が変えられるのは、私と相手とが関わるその瞬間の物語だけだ。

 

 

やはり、まだちょっと疲れているみたいだ。

でも、疲れているときにどうしたらいいのかわかってきたことはよかった。

あまり無理をしなくなったと思うから。

 

Someday My Prince Will Come

変わりなく過ごしている。

職場では様々な事件が勃発し、プライベートはごく平穏、カウンセリングでは冒険をし、自助グループやオンライン勉強会や講座で仲間と学び合う。

そういうパラレルワールドを行き来するような日常が続いている。

だから毎日色々なことがあるのだけど、

毎日ジャーナルを書くようになって、ここに書けないことを備忘録的に書き留めるようにもなり、ここに書くモチベーションが下がってしまっていた。

 

でも、私のブログを更新されていない時も読み返しているんですよとある人が言ってくださって、

とても嬉しかった。

私は他に得意なことがないけれど、昔からおしゃべりだけは得意だった。

自分の感じたこと考えたこと体験したことを、いつも誰かに伝えたくてたまらなかった。

私の言葉が、声が、誰かに届くということを、私は今もとても不思議に思える。

こうやって文字に置き換えることで、私のおしゃべりは時空を超えることができる。

目の前にいる誰かだけでなく、多くの人に伝えられる。

それが嬉しくて、きっとこうやって私は文章を書き続けるんだろうと思う。

いつだって私は、伝えたい何かを持っている。

私はいつも世界を新鮮に感じ、その感動を言葉にして伝えたくなる。

多分それは私の原動力なのだろうと思う。

そしてそれは、なかなかよいもののように思える。

 

 

言葉にすることは、言葉を大切に扱おうとすると、安易にはできなくなってしまった。

そうすると、言葉にできないことが増える。

ジャズバーで音楽に感動をすると、言葉を失ってしまう。

言葉にならなくても、私は音楽を聴きながら様々なことを考え、様々な体験が結びついて、イメージが膨らみ、新しい洞察が生まれたりする。

いつもの席に座りステージを眺めながら、音に身を委ねながら、私の心は遥か遠くへ飛んでいく。

私のパラレルワールドたちが、一体となるのを感じる。

私は自由だなと思う。

 

ジャズバーにいると、気づけば、職場で出会う人々のことを思っている。

ある夜 Someday My Prince Will Come が演奏された。

ピアニストのHさんに、後で私は「あのお姫さまは、自分で自分の楽しみを見つけて、どんどん駆け出していくようなお姫さまでしたね。来るかどうかもわからないような王子さまを待ってたりしないですね。すごくかっこよくていいなって思って聴いていました。」と言った。

Hさんは笑いながら「そうでしょ。王子さま逃げ出すわよ!」と仰った。

この方は、自分の人生を切り拓いて生きてきたんだろう。

力強かったり、キラキラして光ったり、どっしり重かったり、こんなにピアノの音色ってたくさんあるんだと知った。

演奏からも、Hさんの活動からも、お話ししてくださる言葉からも、私は、

本当に素敵な女性だなと思った。

 

Hさんに言わなかったことがある。

私は私の職場で出会う彼女たちに、こんなお姫さまになってほしいなと思ったということ。

誰かに幸せにしてもらう夢を追わないでほしい。

誰かに幸せにしてもらえなかった過去を手放して、新しい自分の人生を作っていってほしい。

白雪姫の呪いを解いてほしい。

王子さまに幸せにしてもらうんじゃない。女性だってみんな、自分の足で立てるんだよ。

自分で自分を幸せにしてほしい。

自分の世界を拡げていってほしい。

能力の限界を理由にして、自分の理想を描くことを諦めないでほしい。

できるだけ得をするようにとか、損をしないようにとか、そんなこととは関係のない、自分の良いと思う物語を生きてほしい。

そのために、私たちは現実的なお手伝いをさせてもらうだけだけど、

本当は私は、その人らしい美しい物語を作っていくお手伝いができたらと願う。

 

そんなことを聴きながら思っていて、泣きそうになっていた。

現実と理想は、私が思っていた以上にかけ離れているようだった。

すると突然トランペットの明るい音色が響いた。

私の心はステージに戻ってきた。

違う楽器、違う人生、違う年齢、何もかも違う人々が、こうやってひとつの曲を奏でていることを思った。

この瞬間は、今にしか存在しないことを思った。

音を奏でていない私も、この場で、この音楽を共にしていることを思った。

私たちは同じ時空を共にしながら、まったく違うことを思っているだろう。

でも、私たちはここに心地よく所属できている。

音楽は人々をひとつにする。

この現実は、理想よりも遥かに理想的な不思議なことだ。

 

音楽は、人生を豊かにする。

それは落語でもいいし、絵画でもいいし、踊りでも、小説でも同じだと思うけれど、

誰のものでもない自分の人生を楽しむことができる。

食べること、子どもたちの楽しめること、物質的に不自由のないこと、それらを、

必需品だけではなくて、母親たち子どもたちにとって少しでも良い環境を作ろうと思って、

私たちは様々に工夫をして提供しようとしているけれど、

でも本当に人生は豊かにできることを、伝えられたらいいなと思った。

地を這うような視点から、明るい空を見上げられるような、そんな勇気を持ってもらえたらいいなと思った。

私に何ができるかはわからないけれど。

 

私も、自由だ。

あの弾むような駆け出していくようなお姫さまに、私も近づいているように思う。