今日は絶対的休日。
あった方がいいなと思ったものを買いに行こうとか、ジャズバーに行こうとか思っていたけれど
結局全部やめて、一日中家で過ごしていた。
少しだけおせちを作って、少しだけ片付けと掃除をして、
それでも少し満足して新年を迎える準備ができた。
大したことはしていないけれど、やっぱり大晦日にすべきことをすると、気持ちがいい。
この一年はどんな年だったか、振り返る余裕ができた。
風が強い。雨を窓に叩きつけている。
昨年は出会うばかりの年だったけれど
今年は出会いと別れの年だった。
色々な別れがあったけれど、どの別れにあたっても、私は自分のできることを努められたように思う。
今年はようやく県外に出ることが自由になって、AIJのアドラー心理学講座をたくさん受講できた。
共に学ぶ仲間が増えた。今まで共に学んできた仲間とも再会できた。
本格的にカウンセリングを再開したことがモチベーションになり、
自分の事例を取り扱ってもらって、たくさんの学びを得ることができた。
音楽を意識したことが今年の大きな変化だった。
函館でのかささぎ座に参加したことが大きな出来事だった。
相手役と私の間にはよい物語があって、そこにはたくさんの音楽があることを思い出し、
私の感情は音楽によってあまりに揺さぶられることを知った。
そしてそれを使えば、私は自分の制御をより上手くできることを学んだ。
私は音楽的に生きていることを知った。
私は楽器の演奏や歌うことが得意ではないので、音楽は実は私の劣等感だったのだ。
だから音楽を意識することは、劣等感と向き合うことでもあった。
理想の高さが、ここでも私の足を引っ張る。
けれど、私は否応なく音楽的に生きていることを知った。
自分の一番好きなものに向き合ってみることができるようになった。
それで、新しい扉を開くことができたのだろう。
ジャズバーという新しい居場所ができた。
一緒に演奏しましょうと声をかけてくれる常連さんたちには、相変わらず、まだできませんと勇気のない返事をしてしまうけれど、
私はこの場所では珍しい「聴く」だけの存在として、所属できている。
職場では相変わらず、過酷な状況にある人々の生活を垣間見る。
私はここでもほとんど「聴く」だけの存在だ。
時々、一緒に掃除をしたり、料理をしたり、送迎したり、買い物したり、お手伝いをする。
それは実際に必要とされる支援。
でも本当は、話を聴いてくれる人がいるということ、味方がいるということが、必要なことだと思うから
私がここにいる意味は、「聴く」ためだと思えている。
来年は、元旦の早朝6時から初仕事。
誰かがしなければならない仕事を、今私がさせてもらえることをありがたく思う。
いつまでこれを続けるかはわからないけれど、こうやって経済的にも精神的にも自立できていることはとても良いことだと思う。
多分どこで何をしても、私は幸せに生きていけるだろうと思う。
そんな自信を持てた一年だった。
この一年も、たくさんの方々にお世話になりました。ありがとうございました。
そして、このブログを読んでくださってありがとうございます。
新しい年がみなさまにとって良い年になりますように。