十六夜

金曜の夜から今晩まで、母と過ごした。

京都でアドラー心理学の講座「育児のアルゴリズム」を受けた。

仲間と別れて、ひとりで特急列車に乗って、寂れたわが町に帰ってきた。

誰もいない商店街のアーケードを抜ける。

輝く月が私を見ていた。

 

行きの特急列車の中で、私はアンデルセンの『絵のない絵本』を読んでいた。

貧しい画家が、屋根裏部屋を訪れるたったひとりの友だち、月の語る小さな物語を聴く三十三夜の物語。

 

月は孤独を癒してくれる。

 

「見てごらん。お月さまが美穂の後をついてきてるよ。」

「どうしてお月さまはわたしについてくるの?」

「どうしてだろうね」と父は笑った。

お月さまはひとりしかいないのに、夜道を歩いている子どもが世界中にはいっぱいいるかもしれないのに、

どうしてお月さまはわたしについてきてくれるんだろう。

私は不思議だった。

でも今は、確信を持って言える。

お月さまは、どの子どもにもちゃんとついてきてくれる。どの子の夜道も優しく照らしてくれるんだよって。

 

月の光は、太陽の光のように植物を育てるわけではない。

雨の日や曇りの日は隠れてしまうし、

毎晩毎晩姿を見せてくれるわけでもない。

それでも、孤独な夜にあなたに助けられた人は、どれだけいるだろう。

どれだけの詩人が画家が、あなたを描いただろう。

 

 

 

 

金曜の夜は、母にメタファーセラピーをしてもらった。

メタファーというものをきっかけにして美しい物語を作る力を得た。

 

良い文学、良いお芝居、良い音楽、良い絵画。

でも多分、子どもはそれらに触れる前から、自然と戯れ、メタファーの世界、空想の世界、物語の世界に生きているのだと思う。

その空想の世界を、大人になって社会適応していく過程で削っていくのが近代の作った社会なのだろう。

それは味気ない人工の世界だ。

世界の再魔術化。自然と人とが一体となって世界を作っていることを思い出せる社会になればいいなと思う。

 

美しいものを作るのは職人としての芸術家だけの特権ではない。

ひとりひとりの暮らしの小さな小さなエピソードも、本当は誰もが美しい物語に変えてしまえるのだ。

私たちは同じ時空を過ごし同じ出来事を共有して生きながら、全く違うものを見て、全く違う物語を生きている。

もしかすると、同じ物語を共に作れたとき、私たちは平等の位置にいるのかもしれない。

それを私たちは美しいと感じるのかもしれない。

 

 

 

 

講座では、1日目も2日目も、どちらもSちゃんの事例を取り扱っていただいた。

Sちゃんのことをみなさんと一緒にゆっくりと考えることができた。

とてもありがたかった。

彼女は過酷な環境に生きている。必死に戦って生きている。

でもそんなに必死にならなくても、あなたは大丈夫なんだよって、

私はいつもあなたのことを見ているよって、側にいるよって、伝えたいと思った。

いつも一緒にはいられないし、あなたの問題を解決する役には立たないかもしれない。

あなたを暖めることは、私にはできないかもしれない。

それでも、あなたが孤独でたまらないとき、ひとりじゃないって思えるように、月のようにあなたを照らしていたいと思う。

 

primitive passions

10月の週末は毎週、プライベートでも職場でもたくさんの行事がある。

仕事をしていない時間は夜遊びにも出かけ、ひとりで歌の練習もして、ジャーナルを書いて、

カウンセリングをして自助グループも開き、友だちと遊びにも出かけて、

かなり充実して元気に過ごしている。

 

 

次男の運動会では、彼が溢れんばかりのエネルギーで、一生懸命走ったり、応援したり、みんなを鼓舞したり、笑ったりしているところを見ることができた。

まだ小学校3年生なのに、母親と一緒に暮らせないことを、申し訳ないと思っている。

それはずっと、喉に刺さった魚の小骨のように、私はひとり、どうしようもなくそれを飲み込めずにいた。

だけど彼は、彼を慕ってくれるたくさんの友だちに囲まれて、本当に健やかに、真っ直ぐに育っているのだとわかった。

何も心配することはない。彼は大丈夫だ。

私はこうして遠くから、彼をずっと思って応援をしていようと思った。

そして会える時は、一緒に居られること、あなたが生きているということで私がどれだけ幸せでいられるかということを、できる限り言葉にして伝えていこうと思った。

 

運動会が終わって教室へ帰ろうとする子どもたちの中から、次男を見つけることができた。

声をかけると、「あ、お母さん、オレ2位だったわー」と悔しそうに言う。

「うん。ずっと見てたよ。頑張ってたね。気づいた?」

「うん、気づいてたよ。じゃあね!」

「じゃあね、また明日ね!」

「おう!」

少年は爽やかに去って行った。

隣にいた友だちに「今の誰?」と聞かれて、「ああ、オレのお母さん」と笑顔で答えていた。

おかしな会話だよね。

ごめんね。

でも、たくましく、明るく、この現実を受け入れてくれてありがとう。

私たちはこうやって、私たちの暮らしを生きていこう。

どんな状況でも、それをどうとらえるかは自由だ。

 

そしてさらに幸せなことは、私の友だちたちが、私のこの生き方を応援してくれることだ。

子どもたちは大丈夫だよと、様々な方法で立場で、子どもたちを気にかけて見守ってくれることだ。

これで良かったとは、やはり私は言ってはいけないと思うけれど、

もう、小骨は喉の奥へ落ちていったように思う。

 

 

 

 

秋晴れの中、幼児の親子数組を連れて、リンゴ狩りに出かけた。

ある親子はとても不安定な状態。

何がよいことなのか、私たちには一体何ができるのか、それらが本当にこの親子にとってよいことなのか、

私はいつもわからなくなる。

わからないけれど、すべきことは目の前に山積みで、ひとつひとつ、瞬間瞬間、手探りしているところだ。

 

リンゴの木の下のベンチに、3人で並んで腰かける。

お母さんがとても優しい穏やかな顔で、「美味しいね。」と言い、

Yちゃんが「リンゴおいしい!もっと!」って満面の笑みで、私の手からリンゴを一切れ受け取って「ありがと」と言った。

「Yちゃんこっち向いて」とお母さんが写真を撮る。

Yちゃんが笑う。

風が吹く。木の葉が揺れる。赤いリンゴが光る。

「いいですね。こんなところがあるんですね。」とお母さんが笑顔で言う。

まるで、まるで幸せだ。

この先どうなるかは何もわからないけれど、

今日の日が美しい思い出としてふたりにも残るのならいいなと思えた。

 

お母さんはリンゴを切ったことがない。

だから家でYちゃんはリンゴを食べたことがない。

そんな環境だ。

目を逸らそうにも逸らしきれない酷い現実が横たわっている。

でもそんな泥の中にも、輝くものがある。

私はたったひとりでも、その輝きを拾ってみようと思っていたけれど

職場のみんなは、それぞれに小さな小さな輝きを拾い集めていることに気づいた。

それができる人たちだから、笑顔でくるくると立ち働けるのだろう。

 

帰り際、みんながお土産のリンゴを買っていると、

「とっても美味しかったから、私も買って帰ります。」とYちゃんのお母さんも言った。

走り回る子どもを追いかけるお母さん、犬を触りに行こうとする子どもを止めるお母さん、

小さい子のお母さんたちはなかなかのんびりできない。

そんな他の親子の様子を見ながら、「みんな、大変なんですね」とYちゃんのお母さんはしみじみ言った。

「そうですよ。小さい子と暮らすのはとっても大変ですよ。お母さん、いつも頑張っておられますよ。」

そう言うと、「ありがとうございます」と微笑んだ。

彼女は決して子どもの世話ができているとは言えない。

それは本当にそうだ。

だけれど、Yちゃんを育てることが彼女のキャパをオーバーしているのも本当だ。

彼女が頑張っているのは、本当なのだ。

 

だからといってそれをそのままにするわけにもいかず、我々が支援してなんとか日々が回っている。

やがてここを出て行くことになればどうなるのか、

やがてここを出ていかなければならないのに、生活が我々の支援ありきになってしまったらどうするのか、

当然のようなどうしようもないようなことを措置元から言われる。

 

 

「支援」とは何なんだろう。

確かに、食べるためのお金と、寝るための部屋と、家事をする手、各種手続きをする頭が必要だ。

それらを我々は提供している。

でも、一番大事なのは、いつも側にいて、大丈夫ですよとあたたかく見守っているということなんじゃないだろうかと思うようになった。

母親たちの能力にはひとりひとり、限界がある人が多い。

そして、一時的な場合もあるにせよ、どうにもならなくなってここへやって来た人たちばかりだ。

それでも、なんとか前向きに生きていくことができるのは、私たちが側にいるからなんじゃないだろうか。

今は、そういう存在として彼女たちの側にいることが、私の役目なのだ。

私個人の価値観とは相反する部分は多々あるけれど、これが今の私の役目だ。

 

 

 

ウォークラリーで山の中腹まで歩いて、帰ったら職員みんなが作った豚汁とサンマの塩焼きとおにぎりを食べるという行事も行った。

久しぶりに高校生の女の子と、歩きながらゆっくり話をすることができた。

数日前の夜勤の時、3時ぐらいにその子のお母さんから内線がかかって来た。

私と話がしたかったらしい。今晩は調子が良いんだなと嬉しかった。

彼女は私と話をすると調子が良くなってしまうから、調子を悪くしたい時期は絶対に私に話しかけてこない。それはもう徹底している。

色々な話をしてくれたが、娘さんの話もしてくれた。

「ウォークラリーははじめは参加しないとか言っていたけど、行ってみたら楽しかったって。Mさんが一緒に歩いてくれたからだで。ほんと、ありがとうね。」

そんな風に言ってくれた。とても嬉しかった。

 

彼女も、本当に本当に変わった。

昨年は娘さんのことなんて二の次で、自分のことで必死だった方で、その上娘さんと職員が仲良くすることも警戒していたのに、

今は娘思いのお母さんの顔をしている。

何がどうなってこうなったのか、全くわからない。

真っ暗だった去年の夏を超えて、この親子は今、全く違う姿になっている。

もちろん私には見えないことがたくさんあるだろう。

でも、少なくとも娘さんは、もうあの泥の中へは沈んでいかないだろう。

しっかりと自分の足で確かな地面を歩いている。

 

 

 

輝く秋の日々。町が金木犀の香りに包まれている。

こんな風に、私は目の前にいる誰かを優しく包んであげられたらと願う。

荒んだ気持ちでいては、平等の位置を思い出すことができない。私自身が健康でいることが大切だ。

私には音楽と、芳しい記憶がある。

多分もう私は、大丈夫なんだろうと思える。

 

 

 

On the Sunny Side of the Street

それなりに忙しくはしている。

この1週間の間に、カウンセリングとエピソード分析の勉強会と自助グループを合わせて5回あった。

久しぶりにアドレリアンセラピストとしての武者修行をさせてもらった。

あまり疲れなくなったのは、不要な緊張が抜けてきたからだろう。

 

ブログを書かないときは、

ここに書くことが劣等感の補償になっていたり、

かまって欲しいというメッセージになっていたり、

そういう目的で書こうとしているなと感じるときだ。

私は、人に自分の文章を読んでもらいたくてたまらないのだ。

だから、様々な思惑がそこに貼りつく。

もちろんいつだって私に優越目標の追求の意図はあるけれど、

せめて明らかに劣等感を感じる時だけは、ブログを書かないようにしようと思うようになった。

ここに書くよりは、誰にも見せない文章で補償をする方がいくらかマシだと思って。

しかし誰にも見せない文章として、1ヶ月ほど前からジャーナルを書き始めたが、

このジャーナルには「自己成長を目指し肯定的なことを書く」という縛りがあるので、

いずれにしても私は劣等コンプレックスを使うことはできない。

無理やりにでも良い側面を探さなければならない。

途中きつい時期があったが、今はかなり物事の良い側面を見つけるのが上達したと思う。

 

そういうわけで、しばらくブログを書いていなかったが、特に忙しかったからというわけではなく、落ち込んでいたからである。

書く気力がないというわけではなく、書いて挽回しようという気だったから、

そういう私を成長させようと思って、ここには書いていなかった。

私は自分で自分の落ち込みをなんとかしたいと思うようになった。

今までは、友だちに頼っていた。

話を聴いてもらって、私の良いところを見つけてもらって、慰めてもらったり励ましてもらったり。

友だちはきっと、迷惑だなんて思っていなかったと思うけど。

というよりも、私の役に立ててよかったって思ってくれていたと思うけど。

でも今は、できるだけ落ち込みから抜けてから、友だちと話をしたいなと思う。

どうやら私は、ちゃんと自分で自分の機嫌を良くすることができるみたいだから。

限りある大切な友だちとの時間は、より良い時間にしたいから。

自分でどうにもできそうになかったら、聴いてもらうけどね。

 

 

そう、私には話を聴いてくれる友だちがたくさんいる。

その友だちは、日々増えていっている。

出かける先々や自助グループ、コーラスサークルでも、新たな友だちができる。

幾つもの良い友だちの輪の中に私が入っているから、その輪の広がりと共に私には仲間が増えていく。

本当にありがたく、幸せなことだと思う。

理想の友だちっていうのは、自分と違う相手をそのまま認めながら、自分の意見を素直に言えるような関係で、

横の関係、平等の位置に居る状態だと思っている。

 

 

そういう友だちや家族を持っていない人たちと、職場ではお付き合いをする。

私たち職員が友だちの役割も担うのだ。

中高生の数人と、利用者さんも数人を除いたら、私はずいぶんたくさんの人たちにとっての友だちになれたように思う。

 

でも、もし友だちだったら見過ごせないな、どう思っているのかよく話を聴いて、私の意見を言うだろうな、というようなときでも、

にこにこと見守ってあげるだけにしてください、という対応を求められることが多い。

ツッコミを入れることも我慢しなければならない。

本音で話ができないことがもどかしい。

そんな中で、私は一体どうやって友だちとしてつき合えるか、試行錯誤中である。

 

 

夜勤中、退所した方から電話がかかってきた。

夕方から2回ほど電話がかかってきたと日報に上がっていた。話の内容は同じことだ。

ちゃんとした精神疾患の方なので、かなり気をつけなければならない。

辛かった話を泣きながら繰り返しされるので、気が済むまで聴いてあげようと思って聴き続けた。

 「ごめんなさいね、こんな話…」

「いいえ。聴くことしかできませんけれど、それで少しでも楽になられたらいいなと思います。」

 「ありがとうございます…私…」

また泣かれたので、言葉がよくわからない。

でもいいんだ。とことんつき合おう。これは仕事だ。

 

彼女は慰めてもらいたいわけでもないし、励ましてもらいたいわけでもないようだ。

あなたは悪くないよ、相手がひどいよね、と言ってもらいたいのだろう。

でもそこに私が乗っかっても、彼女が満足する日はやってこないだろう。

「あなたはよくやってますよ、ゆっくりして、楽しいことをして。

酷い人のことは放っておきましょう。あなたのせいじゃないんだから。

あなたはあなたにとって良いことだけしてみましょう。もう泣かないでいいでしょ。

またいつでも電話してきたらいいですからね。」

そういうごくごく一般的な職員の対応では満足できなかったから、何回も電話をかけてくるのだから。

 

私が彼女を変えられるとも思えない。私から何かを学ぶ気があるとも思えない。

私にできるのは、何だろう?

 

 

 「ねえ、酷いと思いません?どうしてこんなことができるんでしょう?」

「うーん、そうですね…」

 「ごめんなさいね、答えにくい質問ですよね。」

「いいえ、ちょっと考えていました。すぐ答えられなくてすみません。

 わかってもらえない人とわかり合えないのは仕方がないって思うんですが、 

 でも、辛い思いをわかってほしくてお話ししたのに、そういう風に言われたらお辛いだろうなって。」

 「優しいと思います。」

「え?」

 「あなたは、優しい人ですね。」

「そうですか?それは、ありがとうございます。」

 「私の話をよく聴いて、よく考えて、お話ししてくれているんだなって感じます。」

不明瞭だった滑舌が、急に明瞭になって、

ご自身が楽しいと思えることについて話を始められた。

あ、この人は健康な側面で私と話をすることにしてくれたんだなって思えた。

とても嬉しかった。

「いいですね。そういうことを楽しめるの、素敵だなと思います。」

 「ありがとうございます。そうですよね、そう考えたら私、幸せなのかもしれないですね。」

「うん、幸せだな、楽しいなっていう時間がたくさんになればいいですね。そうすれば辛い時間が、短くなりますからね。」

 「あ、本当ですね…!」

また空気が変わった。光が見えたのだろうか。

 「遅い時間まですみません。もう寝ます。おやすみなさい。」

「そうですか。お話ししたくなったら、またいつでも電話かけてくださいね。

 ここには、いつでも誰かがいますから。おやすみなさい。」

45分話していた割にはびっくりするほどあっけなく、電話は切れた。

 

とんでもなくて、つき合いにくい方だと思う。

でも、この方が辛い思いをしているのは確かで、

誰かと繋がって、自分には仲間がいて居場所があるって思いたいということも、おそらく確かだ。

それは誰もが望むことだから。

私がたまたま、この方の寂しさに向き合う巡り合わせになった。

ただ聴いてもらうだけ、なんて、誰も望んではいない。聴いてもらってスッキリしたなんていうのも嘘だろう。

あなたの味方だよって、誰かに言ってもらいたいのだ。

きっと本当は、私たちは、望んでいることは些細なことなんだと思う。

大掛かりな仕掛けを作って、何層にも神経症的策動を重ねて、複雑怪奇でどうしようもないものをこしらえるけれど、

本当に望んでいるのは、小さな子どもが望むことと同じなんだと思う。

 

寂しい夜に、私が友だちになれたのならよかった。

いつだって陽のあたる場所を探して歩こう。

めちゃくちゃ緊張したけれど、彼女の電話のおかげで、大切なことに気づかせてもらった。

私も彼女も、同じだ。

 

 

 

音楽が私を支えてくれる。

明るく真っ直ぐな音色が、今も身の内で響く。

この世界は素晴らしいという「かのように」を、肯定してくれる。

どれだけ絶望的な人々のお話を聴いても、私はきっと陽のあたる場所を見つけられるだろう。

 

 

 

anti-oedipus complex

子どもたちは、夜ご飯を食べた後帰って行った。

残された膨大な時間をどうするかという課題が迫ってくる。

大して楽しみもない。

おかしいな、仕事が続くと、家に帰ってのんびりしたいってあんなに思うのに、

今晩はひとりでいるのがもうしんどい。

今日は特に何かに没頭していたかった。

昨日観た映画のせいだ。少年たちと過ごせる母親の喜びを、奥の方で受け止めてしまった。

 

それで私が今晩したことは、

野田俊作ライブラリを30分間分文字起こしした。

『The story of Doctor Dolittle』 を9章まで読んだ。

アドラー心理学の勉強も、英語の勉強も、私のすべきこと。

本当はドイツ語もすべきことだけど。最近全然していない。

とはいえ、今日は意外と進めることができた。

現実逃避の手段としてはマシな方だろう。

 

 

ドリトル先生は、子どもの頃夢中になって読んだ本だ。

金曜ロードショーフリークの次男が、先週観たらしい。

原作とはあまりにかけ離れていたようだったが、面白かったと言うので

次図書館に行ったら借りて読もうねと話をした。

 

私は、どうしてもアドラーの姿をドリトル先生に重ねてしまうのだ。

貧しい少年を「スタビンズ君」と、大人のように呼ぶところや

動物たちの話を「聴く」ことによって、動物たちの不具合を工夫して癒すところ、

人々の常識に縛られずに、自分の良いと信じたことを為すところ。

生き物全てへの温かい眼差し。

この物語が、動物たちと人間とを同じ目線で見ようとするひとりの人間が、

西洋社会で生まれたということに、私は大きな意味があると思うようになった。

古代から近代までのキリスト教の、人間と他の生き物とを区別する思想は

未だに常識ではあるかもしれないけれど、それを超える考え方も、世の中に、ちゃんとある位置を占めているのだと思う。

それは児童文学や、もっと小さい年齢の子どもたちのための絵本の中に、ことを荒立てないように隠されているのかもしれないけれど。

そして日本人は、物語に流れている生き物全体への温かい眼差しを感じ取って、

様々な本を日本の子どもたちのためにと訳し、出版してきた。

 

子どもたちの未来を考えたときに、残せるものは、書物であるように思っている。

もう、私は古すぎるのかもしれないけれど。

これから先、紙の本はどんどん居場所を失っていくのだろうけれど。

でも、ひとりで本に向き合って、本に入り込んで、本にかじりつくことで、そうしなければ得られないものがあると思う。

私たち大人が、本の価値を低めているのではないだろうか。

私たちがあまりにスマホタブレットにのめり込むから、子どもたちも同じようにしているのだと思う。

確かに便利になった。確かにいくらでも快楽を得られるようになった。

あっという間に時間が過ぎていくようになった。

大量に流れ込んでくる情報を、自分で咀嚼する時間などなくなった。

私もあまりにスマホに時間を奪われていたと反省している。

それで本を読み出したら、思った以上に時間の流れがゆっくりになった。

 

私の子どもたちもゲームを知ってしまったし、YouTubeで色々なものを見ている。

それを止めることはもうできない。

でも、そこでは手に入れられない楽しさを、良さを、本の世界を共有すること、映画や音楽や絵画の世界を共有することで知ってもらえたらいいのだと思うようになった。

一緒に本を読んで、一緒に映画を観て、それについて語り合うことで、

私たちは同じ物語を生きることができるようになる。

私が学んできたことを、同じようにして子どもたちも学ぶことができるのではないかと思っている。

幸せなのは、私も子どもたちと一緒に、再び学ぶことができることだ。

 

ただし、こうやって一緒に学べる時間は、多分、そんなに長くはない。

今を逃してはできなくなってしまう。

 

 

君たちはどう生きるか』の映画の、大叔父さんが、

あまりにニーチェだよねって長男と言っていたら、

次男はアインシュタインだよって言った。

近代の西洋文明に絶望して精神を病んでしまったニーチェから、

原爆を作ってしまったことに絶望をした後、科学者たちが世界平和のために何ができるかと考えるようになったアインシュタインへ。

大叔父さんの変化は、そんな、『君たちはどう生きるか』という問いに対する答えの一つなのかもしれないねって、

私たち3人は導き出した。

 

次男と夏休みに博物館のアインシュタイン展に行ってみて、よかったんだなって思えた。

説明をしっかり理解しようとすると難解すぎて、

アインシュタイの発見を知るという体験コーナーは、デフォルメされ過ぎていて、

コンセプトとか心意気は素敵だと思ったけれど、私としては不完全燃焼だった。

でも次男は、私がパネルを見ながらした雑な解説を彼なりに受け取ってくれて、

世界のために自分の研究成果を生かそうとしたすげえ人、学校の勉強は嫌いだったけど好きなことを勉強し続けた人、として尊敬しているようだ。

 

今日、野田俊作ライブラリ「しあわせに生きる」を聞いていると、

ちょうど、偉人や市井の人々の伝記や生き様から学ぶことの大切さを野田先生が語っておられた。

 

全てが、意図せずに私が触れていく全てが、こうやって結びついていく。

私は子どもたちのために、私のできる限りのよいことをできているのではないかな、と思えた。

私がより学ぶことで、子どもたちのより良い学びに影響を与えることができるのだろう。

そう思うと、私ひとりの時間を無駄に過ごすことはやめられると思う。

 

 

 

 

最近、勉強に自信が持てなくなって、成績が落ちてきているという噂の長男と、今日は1時間半ほどガッツリ数学の勉強をした。

同じ年代の職場の子どもたちを教えているからわかるけれど、確かに長男は勉強不足であることがわかった。

でも、賢い彼は私の言うことをすぐに理解してくれて、集中して問題をたくさん解いていく中で、きちんと解けるようになった。

こんなことなら私は夏休みの間に特訓してあげたらよかったのに、と過保護に思ったが、いや、違うなと思った。

ようやく機が熟したのだ。

私が母親ペルソナを離れて、塾の先生ペルソナを長男に対して使えるようになるためには、

おそらく『君たちはどう生きるか』を長男と一緒に観ることが必要だった。

 

職場の子どもたちは可愛いし、とても大切だけれど、でもやっぱり自分の子どもは一番可愛いもの。

この強い強い愛情が、私の感情を揺さぶる。

あなたならもっとできるでしょ、もっと頑張れるでしょって、長男を追い詰めてしまう。

私にはそうしない自信がなかったから、そういえば、長男の中学受験について、私は一切口出しをしなかった。

それは、彼の課題を彼にお任せしていたという美しい言葉よりも、彼の勇気くじきをしないためにという、私の勇気のなさの方が、正確な表現であるように思う。

まあ、長男はとても真剣に受験勉強に取り組んでいたから、介入をせずにいてよかったと思うけれど、でも、もう少し私にできることを尋ねてみてもよかったかもしれない。

でももう今なら、私は、長男と勉強のことについて相談ができて、そして一緒に勉強することができる。

ここまで来るのに、時間かかったなあ。

 

 

「僕、お母さんに対しての反抗期は小学校1年生の時にもう終わったと思うんだけど、お父さんに対しては、ちょっとわかんない…」

と、勉強が終わってから長男がぽつりと言った。

そりゃそうだろうね。

私だって、ここまで、崖っぷちのギリギリまで来ないと、あなたに対して、本当にあなたを信頼して尊敬して、平等な立場で向き合うこと、できなかったもの。

あなたのお父さんは、普通の立派ないい人だから。

君たちはどう生きるか』のお父さんによく似ているよねって、長男と次男が言った。

子ども思いでいい人で、立派な人なんだけど、過保護過ぎて、ちょっと自分勝手だよねって。

私もその通りだと思った。

だからね、あなたがお父さんに対して反抗期になったとしても、それは多分、あなたが順調に発達しているっていうことの証なんだろうと思うよ。

大変だなと思う。

でも、それはあなたとお父さんで乗り越えていくべきことなんだと思う。

私はあなたのお父さんとその点について一緒にやっていくことができないと判断して、違う道を選んだから、あなたの気持ちはよくわかる。

よくわかるけれど、そのことについて私は口を出してはいけないと思うから。

 

親のことで苦労させてしまうのは申し訳ないけれど、でも親も完璧ではない。

親を乗り越えていってほしい。

その過程で、大人になっていくんだと思う。

支配的な大きな存在としての父親がいるということ、この少年たちにとってはとても良いことだと思う。

たくましく育っていけるから。

今の時代、これはとても貴重なことだと思う。

私は、あなたのこの大変な境遇に、でも、感謝しようと思う。

あなたに起きるすべてのことはきっと、良いことなんだよ。

 

 

Tower

吉野源三郎著『君たちはどう生きるか』は大学生のときに読んで、自分に子どもができたら読ませてあげなければと思った。

まだ自分が母親になるなんて想像できない日のことだったけれど。

昨年、長男に勧めてみたら読み始めてくれた。彼には珍しく、途中で止まってしまったようだったけれど。少し読みにくいのは確かだ。

2ヶ月ほど前、次男に勧めてみたら、読んでというので、読み聞かせを始めた。

相当読み聞かせには向かない本ではあるが、少しずつ進んで、今3分の1ぐらい読んだ。

どこまで理解できているかわからないが、次男なりに楽しみながら、受け止めてくれている。

この本で叔父さんがコペル君に語りかけ、コペル君が体験し言葉にしていく人間同士のつながり、社会の仕組み、友情、勉強する意味、貧乏についてなど、感想を述べてくれる。

友だちとのエピソードは劇的な場面も多く、長男は隣で私の言葉に合わせてぬいぐるみを操る。

「3D化されててめちゃわかりやすい!」と次男に好評だ 笑

叔父さんが中学生のコペル君に、真剣に向き合って、ノートに手紙を書く。

人として学んでいくべきことを、あたたかく熱く書いてあり、こんな大人が側にいてくれたらと思う。

流石にノートの部分はひじょうに抽象的なものなので、ぬいぐるみ劇化はできないが、次男も熱心に耳を傾けてくれる。

 

大人は大人らしくなければならないなと思う。

それは、自分が親であるかどうかとは全く関係なく、子どもたちを育てていく役割を担い、

子どもたちに学びを伝えていく過程で、若者は大人になっていけるのだろう。

人間の歴史は、文化は、学問は、技術は、そうやって大人から若者へ、子どもへと手渡していくことで続き、発達してきた。

そうやって人間は生き延びてきた。

私たち大人が子どもたちに対してすべきことは、決して彼らを甘やかすことではないとあらためて思う。

子どもたちは先の見えない未来を切り拓き、自分たちの手で世界を作っていかなければならないから。

そのための勇気を持ってもらえるように、大人は子どもたちを愛し、たくさんのことを伝えていかなければならない。

 

 

 

今日は前々から約束していた通り、子どもたちと3人でジブリの『君たちはどう生きるか』の映画を観に行った。

(以下、少しネタバレを含みます。)

次男が観に行きたいと言ったから。

どんな映画なのかという告知が一切なかったそうで、私は口コミを見て大体のところを把握した。

賛否両論、真っ二つに評価が分かれている。

あの本とは内容が全然違うらしい。

戦争の話らしい。

お母さんが死ぬらしい。

それでもいいの?と聞くと、ふたりともちょっとだけためらったが、

「まあ、お母さんと観に行くなら心配はない」とのことで、観に行くのを楽しみにしていた。

仕事の都合で、今日行くなら夜。明日なら日中観に行けるけどと言うと、夜に行こう!と、意気込んでいた。

早めに夜ご飯をすませてから、ますます非日常感の増す、レトロな映画館へ。

 

感想はまたあらためて書くような気がしている。

3人で観に行けてよかったなと思った。

映画が終わったとき、次男が「あー、オレ、ジブリでこれが一番好きだわー」としみじみ言った。

長男もすごく良かったと言っていた。

私も、同感だった。

私がこの子どもたちの母親でいれて、本当にありがたいなと思えた。

 

生きていくのは辛いことがたくさんあって、でも自分でそれらを乗り越えて行かなければならない。

他人から見れば何も起きていないようだとしても、本人にとっての大冒険、大変化が、このありふれた日常の中に起こっている。

その冒険は、大変だけれど、決してひとりの冒険ではない。

そんなこと。メッセージとして受け取った。

そういう意味では、元の本『君たちはどう生きるか』のメッセージと、私には同じだと思えた。

それから、この元の本も、とても印象的に映画の中に登場していた。

私たち3人にとって、それはとてもとても嬉しいことだった。

なぜかということは、これから映画を観られる方のために秘密にしておく。

 

宮崎駿の今までの映画に散りばめられた、彼の好きなものたちがコラージュされていた。

真っ暗な帰り道、3人で、あの場面は、あのキャラクターは、あの仕掛けは、あのイメージは、

それぞれどの映画のようだったかということをおしゃべりしながら歩いた。

色とりどりのガラス片を並べて、ひとつのモザイク絵を作っていく作業のようだった。

そう、この映画に絶対的全体論的世界を感じてしまったのだった。

 

 

 

昨年末頃から、象徴を読むということを勉強し始めている。

絵画だったり、タロットだったり。

それから、映画についての本も読んだりした。

私は今まで、映像作品を観るとき、物語の筋を追うことがメインだったと思う。

いや、映像の美しさを楽しみ、音楽に浸っていたけれど、

シーンに込められた意味や、隠された意味や意図というものを、ほとんど感受できずにいたと思う。

今回、そういう視点も持って初めて映画を鑑賞することができた気がする。

 

だから、今回のこの記事のタイトルは、Tower。

予期せぬ出来事に遭遇し、窮地に立たされる。

破壊と再生。

思春期って、若者って、そういう時期だ。

長男にエールを送りたい。

いつでも私は、あなたの側にいるよ。

 

Nostalgia

音楽によって気分が左右される。

それを使って、音楽によって気分をコントロールできるようになった。

 

どうしても気分が落ち込む時は、最近知ったCalmeraに頼っている。

書けない原稿も、乗り気にならない出勤準備もお弁当作りも、

どうしてだったんだろうと思うぐらい、CalmeraをBGMにしていると体が動いて、何気なく終わってしまう。

このバンドも、最近好きなインストゥルメンタルバンドのひとつ。

YouTubeは私の好みを推測して、色々勧めてくれるからありがたい。

ドラム、ギター、ベース、キーボードに、トランペット、サックス、トロンボーン

カッコいいのだけど、どこか懐かしい。

私の父のバンドも演奏していたニューオーリンズジャズなど、どこかで聴いたことのあるようなフレーズが、所々聴こえてくる。

昭和の歌謡曲の雰囲気も、少しある。

相当カッコいいオリジナルの曲なのだけど、でもちょっとだけ古臭くてダサいところがある。

きっと関西弁のイントネーションなのだろう。ベタっていうのかな。

歌詞はないから、何と言ったらいいのかわからないが、とにかくこのバンドのフレージングは関西弁、というか大阪弁なのだ。

(調べてみたら、今年5月で活動休止しているとのこと。残念だ。)

 

変えられないものと、変えられるものがある。

例えば私が音に過敏であること、関西弁ネイティブであること、気分の波が激しいことなどは、変えられない。

でも、好きな音楽を見つけて気分を明るくする工夫は、私の変えられる部分だ。

明るい気分で笑顔で出勤すると、利用者さんたちも子どもたちも職員さんたちも、私と関わることを楽しんでくださる…ような気がしている。

 

脳内でCalmeraを流していると、体が軽やかになり、気をつけないと鼻歌を歌っていまいそうになるぐらい、自動的に私の仕事は進んでいく。

深く考えずに様々なことがこなせる。

利用者さんの愚痴を笑顔で聴き続けられる。

泣き止まない赤ちゃんを抱っこして、鼻歌を歌って落ち着かせられる。

施設内の掃除も鼻歌を歌いながら、気づいたら終わっている。

 

 

宿題しないもんっていう子に、そうなんだね、って笑顔で返事できる。

そうしたら、しばらくして「やっぱりやる。Mさんこっち来て。見てて。」と呼んでくれた。

「はいはい。」

「あのな、今日は漢ドと算数のプリント。Mさん、プリント読んどいて。」

プリントの答えを考えとけってこと?相変わらず、私は奴隷扱いだな。

でも、いい。喜んで奴隷をさせていただこう。

まず私がきっちりと奴隷をしたら、私たちは対等で平等な友だちになれるって信じているから。

 

だってこの前、夜の21時ぐらいに1人で事務室に来た時、私たちはとっても平等な位置にいる仲間だったもの。

「Mさん、今ひとり?」

「うん、そうだよ。」

「あー、じゃあ出れないんだね。」

「うん、今は出れないわ。どうしたの?」

「あのな、外の自動販売機に行きたいけ、ついてきて欲しかったんだけどな、あのな、怖いから、そこの窓開けててくれる?」

こちらの、事務室を空けてはいけないという事情をよくわかってくれていた。

とても嬉しかった。

「ついて行けなくてごめんね。わかってくれてありがとう。窓開けて見ててあげるね。あと、Sちゃん、いいもの貸してあげる。」

「なあに?」

「はい、どうぞ!」明るい懐中電灯を手渡した。

「わあ!ありがとう!行ってくる!」

確かに事務室の外、花壇の前の通路は電灯がなくて暗い。

事務室の窓から身を乗り出して、Sちゃんに話しかけた。

「見える?」

「うん、見える見える。」

ジュースを買って、「ありがと」と可愛い笑顔で懐中電灯を返してくれた。

エレベーターに乗って、また先日のように見えなくなるまで手を振り合った。

ものすごく荒ぶって大変なこともあるけれど、彼女はとても賢くて優しくて、お話が上手で、協力してくれる人だ。

私たちは小さなことでもこうやって協力し合うことができる。

相手のために手を差し出し合って手を繋ぐことって、こんなにあたたかい気持ちになるんだなって、あの夜、Sちゃんのおかげで感じられた。

 

Sちゃんは宿題と一緒に新しいサメのぬいぐるみを持ってきていた。

「ねえ、さっきこの子、なんか声出してなかった?」

「そうだで。こうするの!」Sちゃんがぬいぐるみの口をパクパクさせると、

「Baby, Shark la la la la la…♪」と歌い出した。

「これでな、英語覚えれるんだで。」

ヘえ〜と言いながら、しばらくぬいぐるみで遊んだ。

宿題をさせるということよりも、私は今、この子と一緒にいることを楽しもうって思えていた。そのことの方が、ずっと大切なように思えていた。

するとSちゃんは漢ドとノートを広げて、無茶苦茶な英語の歌を気持ちよさそうに歌いながら、適当な漢字を書き始めた。

ほんっとうに、適当すぎるので、笑ってしまった。

「言」は口を書いて、上に横棒を積み上げていく。

「園」は、囲いをぐるっと書いた後、中身が半分外に飛び出ている。というか、囲いの外に足が突き出ている。

「Sちゃん、ちょっとこれ、あまりに適当すぎない? 笑」

「いいの〜」

尚も無茶苦茶な歌を歌いながら、無茶苦茶な字を書いていく。

でも、ちゃんとわかっている様子。漢字は読めているし、もっと丁寧に書くこともできる。

今日は、これぞやっつけ仕事というような適当さで、やりたいみたいだった。

宿題に取り組もうというところは、素晴らしいところだ。

そして、私の発言に怒り出さないところも、素晴らしいところだ。

自分が適当にやっているということもよくわかっている。

 

私は少し考えた。

普通の大人は、ちゃんと書きなさいって言うよね。真面目にやりなさいって言うよね。

でもそんなことを言って、書き直すようなSちゃんではない。

私はSちゃんの良いところを見ていたい。それを伝えたい。

今の私には、それができる気がした。

 

「でーきたっ♪」

「わあ、早いね!本当はSちゃんがもっと丁寧に書けるの知ってるけど、これでいいの?」

「うん、いいの!」

「そっか 笑」

「うん。次はプリント。」

わからなくなったら質問してくれる。理解してくれた。

でも計算間違いに気付いても、「いいの!」と言って、訂正しない。

「書いてある答えは違うけど、私はSちゃんがちゃんとわかってることわかったよ。ちゃんとわかっているのに、もったいないな。」と言うと、

嬉しそうに笑って、「でもいいの!」と言った。

「そっか。まあ、丸がもらえなくても、Sちゃんがわかったんだから、いっか。」

「うん、そう、そう。」

嬉しそうに、また無茶苦茶な歌を歌いながら、最後まで解き終わった。

「できた♪」

「全部できたね。適当すぎるんじゃないとか、言いたいことはありますが、まあ、私が言ったところで聞き入れてもらえそうにないしね…」

Sちゃんが手を止めて私をじっと見る。

「お疲れさま。がんばったね。今日の宿題は終わりかな?」

「うん、終わり!」

ちょっと驚いて目を見張って、嬉しそうに机の上を片付け始めた。

 

この子は手を抜くのが上手なのだ。やりたいことは丁寧にできるし、集中力もとてもある。

やりたくないこと、でもすべきことを、今日はSちゃんなりにがんばったと、それは本当にそうだと思う。

普段はやりたくないことを放ったらかしにしがちなことを思うと、その取り組みがどれほど適当であったとしても、これは素晴らしいことだって、思えた。

そんな風に思えるようになった私の変化に、私は驚いた。

甘くなったのだろうか。

いや、理想は捨てていない。

スモールステップの刻み方が、細かくなったのだろう。

小さな小さな変化に気づき、喜べるようになったのだろう。

 

しかしこの私の変化が、Sちゃんにもたらしたものは大きいと思う。

私はもう奴隷ではなくなっていたから。

今日も「Mさん、来て。」と言う第一声は相変わらず奴隷への命令に聞こえたけれど、

「お部屋まで一緒に来てくれる?」と、お願いしてくれた。

今日は私がTシャツじゃなくてブラウスを着ていることに気付いてくれて、

「Mさん、今日はどこかに行ってたの?出張とか?」

と、大人の女子っぽいおしゃべりをしてくれた。

「お洋服のこととか、髪型のこととか、すぐに気付いてくれるね。ありがと。」

と、お礼を言った。

「うん」と、すまし顔で応えてくれた。

 

 

深く考えなければならないこともある。

でも、明るい音楽をBGMにして、頭のどこかを鈍らせて、気分良く、調子よく、

みんなの良いところをたくさん見つけて言葉にしていくこと、

いいんじゃないかなと思う。

 

やっぱり、私はトランペットが好きだ。

バカ明るく突き抜けた音色。

どこまでも響く、華やかな音。

皆と溶け合って皆を包み込む、柔らかく豊かな音。

私の理想は、多分それなんだろう。

 

Calmeraを聴いていると、カッコいいね!と、次男が気に入ってくれた。

派手なパフォーマンス好きの次男は、どんな楽器を選ぶのかな。

みんなを楽しませたいという次男の素晴らしいところも、見えてきた。

 

 

誰もが、それぞれに素晴らしいところをたくさんたくさん持っている。

そのそれぞれの良さを、重ねて響かせ合えたらいいなと思う。音楽のように。

同時に、同じ空間で、それぞれ違った楽譜を違った楽器で演奏するからこそ、素晴らしい音楽が完成する。

私たちはそれぞれに違うから、素晴らしい音楽を作っていけるんだ。

だから私の尺度にはまらない全ての人たちとも、私はきっと場面場面で協力することができるはずだ。

 

この職場で、私は自分の良さを全然生かせないな、仕方ない、修行なのだからと思っていたけれど、

やっぱり、私はトランペットを持っていようと思う。

音楽は生きるための必需品ではないだろう。

でも、音楽があれば生きていけるだろう。

ただ明るいだけではない、様々な色彩の音楽で、利用者さんたち子どもたちの長い人生のうちのこの瞬間を、彩れたらいい。

いつかこの日々を、懐かしく、あたたかく思い出してもらえたらいい。

 

今晩、退所して数年になる方から電話がかかってきていた。

ベテランの職員さんが優しく、笑ったり慰めたり、励ましたりしながら話を聴いておられた。

その職員さんも知らない退所者さんだったそうだけど、

すぐにPCで退所者情報のページを開いて、確認しながら1時間近くも対応しておられて、

なかなかできることではないなと感動していた。

「疲れたわ〜。Mさんに電話取ってもらったらよかった〜」なんて笑っていたけれど、

私ではあんな風に対応できなかっただろうなと思って、そのように伝えた。

アフターフォローという支援の枠組みよりも、おそらくは外にあるだろうけれど、大切な仕事だ。

職員が入れ替わっていっても、ここで過ごしていたことを思い出して、時々、電話をかけてこられたり、遊びに来られたりする人々がいる。

ちょっと落ち込んだり困ったりして、誰かに話を聴いてほしい時に、思い出す場所。

「私たち」は、いつでもここに居るから。

そのことが、誰かに安らぎを与えられているのなら、誰かを支えているのなら、それはすごいことだなと思う。

「私」自身が大した役に立てなくても、「私たち」の役割は、きっと小さくはない。

そんな大きな物語の中で、生きてみようかなと思えた。

 

現場で起こることはなかなかに大変なことがあって、麻痺していそうな自分が嫌になったりもするけれど、

その麻痺ということを、私たちはどんな時でも明るい音楽を奏でられるんだという風に変えて、私はトランペットを吹いてみようと思う。

 

 

I have no voice to save you

足りないものを数えてしまう。

今日はどうもそういう日のようだ。

好きな音楽を聴いていても、自分は歌が上手に歌えない、楽器が弾けないって落ち込む。

ベースラインが聴きたいのに、探しても探しても見つからない。

歌の練習を、ひとりでしてみる。

馬鹿げているように思えてきて、止めてしまう。

時間の無駄だったと思ってまた落ち込む。

好きな美術の番組を見ていても、自分は描けない、絵の見方もよくわかっていないって落ち込む。

自分の教養のなさにがっかりする。

そうやって私が私をみじめにさせていく。

 

ただし私は、この落ち込みに大して意味がないことに気づいてしまっているから

もう以前のようにこの劣等感にエネルギーを浪費することはなくなった。

そしてこの劣等感の目的も、薄々気づいてはいる。

すべきことをすることから逃げようとしているのだろう。

どうだ、ここまで自分で言語化してしまえば、もう逃げられなくなる。

 

 

疲れているのは本当だ。

職場では、自分の行動の影響が見えるようになった。

私はけっこう良い仕事ができているようだ。

仕事のできる人になってきたようだ。

でもそれは、全然嬉しくないことだった。

なぜならそれは、虐待の痕跡の発見をしたことだったりするから。

嫌な職場だ。

私の注意深い観察力と洞察力というストレンクスを使って、嫌なことを見つけるという貢献。

見つけたところで、私に今すぐできることはない。

上司に報告し、上司が関連機関と連携を取って、界隈では様々な動きが起きる。

けれどそれが、あの子のために、あの親のために、何か良い作用を及ぼすのか、私にはわからない。

ただ、密室に隠されたままではなくなった。

だからといって何が変わるのかわからないけれど。

 

知らないでいたい現実。

見ないフリをしていたい現実。

やっぱり、何の修行なのかと思ってしまう。

知らないでいれたらよかったのに。

見ないフリをできればよかったのに。

 

どうしようもないことばかりが起きる。

我々はただ情報を集めているだけのような気がする。

このままでいいんですか?と関係機関からはせっつかれるが、

うまくいかないものはうまくいかないのだ。どうしようもないことはどうしようもない。

私たちはただ、みなさん努力されているんですけど

就職はまだ決まりませんと言う。

学校には行けませんと言う。

お金は貯まりませんと言う。

そんなことばかりしている。

 

様々なところから、職員さんたちしっかりしてよっていう圧を感じるけれど、

利用者さんたちの人生を私たちが代わりに生きることはできない。

私たちは一番近くにいるという、ただただそういう存在なのだと思う。

利用者さんたちの目となり耳となり、口となるだけ。

病院やお役所や学校などに、情報を伝達して、情報を受け取って、利用者さんたちに繋ぐだけ。

その役目を、愛情を持って行うだけ。

そこに良い作用があるのかどうか、何周か回って、またわからなくなってしまった。

 

ただ話を聞くこと、傾聴することが心理的治療になると無邪気に思えている人たちはいいなと思う。

自分のしていることを良いことだと信じていられることが、羨ましい。

 

小さな良いことを探している。

小さな笑顔を作ろうとしている。

良い時間を作ろうとしている。

そのことを無駄とは思わない。

けれど、それはよく言っても延命措置であって、根本的な解決ではない。

そして、勇気づけられているのかどうかもわからない。

甘やかしているだけになっていないだろうか。

私にはわからない。

 

事務作業はだいぶ慣れてきた。

それは誰かがしなければならない仕事だ。

意味はあるだろう。

薬の管理も。不安定な精神状態の人々のおしゃべりのお相手も。

そうやって自分の役割に意味を見いだせることを数え上げている。

 

 

 

こういう現実から逃れようと思って、音楽や美術に浸ろうとするのだけれど、

自分の才能の無さという、またそこで見たくない現実に向き合うことになるのだった。

そして唯一の得意なことと言えそうな言語表現についても、

書かなければならないものが色々あるのだけれど…

今私はこうやって、一番書かなくてよいものを書いている。

 

 

 

子どもたちが生まれて、私の人生は変わった。

子どもたちと離れて、私の人生は変わった。

後悔がないと言えば嘘になるが、

今こうして彼らとの新しい生活を作れていることを感謝している。

私が選んだこの人生を誇らしく思う。自由を手にしていると思う。

入道雲に向かって車を走らせながら、確かに昼間、私はそんな風に思えていた。

でも今の私はまるで別人のようだ。

一晩で萎びてしまったサボテンの花が目に浮かぶ。

いや、違う。そうやって終わって、また新しく、生まれ変わるのだ。

世界はそうやって回っているのだ。

 

 

 

いや、ダメだな。

アドラーの本を読み、野田先生の論文を読み、ライブラリを聴くほどに、

(最近は空き時間に職場でも読んでいるのだけれど)

勉強したことを裏切り続けているような気がしている。

真面目なのは私のストレンクスではあるが、

生真面目すぎると、自分の努力をまだまだ足りない、良い成果が出ないと意味などないと批判し始めるので、困ったもんだ。

 

…このご時世で、こんな浮世離れした人間が、なんとかひとりで暮らしていけているのだから、

私はそれなりに社会に適応して自立して生きているとみなしていいと思うけれど。

誰かを蹴落としたりしようとせずに、いつも人のお役に立とうと努めているわけだし。

そしてそれなりに遊んだり楽しんだりしながら、無理せず生きているのだから、

私の理想にはほど遠くてもね、悪くはないと思う。

 

もしも私が幸せであることに罪悪感を持っているのであれば、それは正義感のよくない使い方だろう。

だって幸せな人と一緒でなければ、人は幸せになれないのだもの。

私が幸せなまま誰かのお手伝いをすることが、その方を幸せにできる唯一の方法でしょう。

たとえその方がどんな境遇にあるとしても。

そして私の何よりの強みは、私がどんな境遇にあっても、私は幸せでいられるって信じていることだ。

あの一日限りのサボテンの花を、満開の花たちを見れたことが幸運だったのだ。

あの芳しい花は、私のものだ。心の中で、いつまでも咲き続ける。

過去が変えられないことを嘆くのではなく、美しい過去を糧にしたい。