primitive passions

10月の週末は毎週、プライベートでも職場でもたくさんの行事がある。

仕事をしていない時間は夜遊びにも出かけ、ひとりで歌の練習もして、ジャーナルを書いて、

カウンセリングをして自助グループも開き、友だちと遊びにも出かけて、

かなり充実して元気に過ごしている。

 

 

次男の運動会では、彼が溢れんばかりのエネルギーで、一生懸命走ったり、応援したり、みんなを鼓舞したり、笑ったりしているところを見ることができた。

まだ小学校3年生なのに、母親と一緒に暮らせないことを、申し訳ないと思っている。

それはずっと、喉に刺さった魚の小骨のように、私はひとり、どうしようもなくそれを飲み込めずにいた。

だけど彼は、彼を慕ってくれるたくさんの友だちに囲まれて、本当に健やかに、真っ直ぐに育っているのだとわかった。

何も心配することはない。彼は大丈夫だ。

私はこうして遠くから、彼をずっと思って応援をしていようと思った。

そして会える時は、一緒に居られること、あなたが生きているということで私がどれだけ幸せでいられるかということを、できる限り言葉にして伝えていこうと思った。

 

運動会が終わって教室へ帰ろうとする子どもたちの中から、次男を見つけることができた。

声をかけると、「あ、お母さん、オレ2位だったわー」と悔しそうに言う。

「うん。ずっと見てたよ。頑張ってたね。気づいた?」

「うん、気づいてたよ。じゃあね!」

「じゃあね、また明日ね!」

「おう!」

少年は爽やかに去って行った。

隣にいた友だちに「今の誰?」と聞かれて、「ああ、オレのお母さん」と笑顔で答えていた。

おかしな会話だよね。

ごめんね。

でも、たくましく、明るく、この現実を受け入れてくれてありがとう。

私たちはこうやって、私たちの暮らしを生きていこう。

どんな状況でも、それをどうとらえるかは自由だ。

 

そしてさらに幸せなことは、私の友だちたちが、私のこの生き方を応援してくれることだ。

子どもたちは大丈夫だよと、様々な方法で立場で、子どもたちを気にかけて見守ってくれることだ。

これで良かったとは、やはり私は言ってはいけないと思うけれど、

もう、小骨は喉の奥へ落ちていったように思う。

 

 

 

 

秋晴れの中、幼児の親子数組を連れて、リンゴ狩りに出かけた。

ある親子はとても不安定な状態。

何がよいことなのか、私たちには一体何ができるのか、それらが本当にこの親子にとってよいことなのか、

私はいつもわからなくなる。

わからないけれど、すべきことは目の前に山積みで、ひとつひとつ、瞬間瞬間、手探りしているところだ。

 

リンゴの木の下のベンチに、3人で並んで腰かける。

お母さんがとても優しい穏やかな顔で、「美味しいね。」と言い、

Yちゃんが「リンゴおいしい!もっと!」って満面の笑みで、私の手からリンゴを一切れ受け取って「ありがと」と言った。

「Yちゃんこっち向いて」とお母さんが写真を撮る。

Yちゃんが笑う。

風が吹く。木の葉が揺れる。赤いリンゴが光る。

「いいですね。こんなところがあるんですね。」とお母さんが笑顔で言う。

まるで、まるで幸せだ。

この先どうなるかは何もわからないけれど、

今日の日が美しい思い出としてふたりにも残るのならいいなと思えた。

 

お母さんはリンゴを切ったことがない。

だから家でYちゃんはリンゴを食べたことがない。

そんな環境だ。

目を逸らそうにも逸らしきれない酷い現実が横たわっている。

でもそんな泥の中にも、輝くものがある。

私はたったひとりでも、その輝きを拾ってみようと思っていたけれど

職場のみんなは、それぞれに小さな小さな輝きを拾い集めていることに気づいた。

それができる人たちだから、笑顔でくるくると立ち働けるのだろう。

 

帰り際、みんながお土産のリンゴを買っていると、

「とっても美味しかったから、私も買って帰ります。」とYちゃんのお母さんも言った。

走り回る子どもを追いかけるお母さん、犬を触りに行こうとする子どもを止めるお母さん、

小さい子のお母さんたちはなかなかのんびりできない。

そんな他の親子の様子を見ながら、「みんな、大変なんですね」とYちゃんのお母さんはしみじみ言った。

「そうですよ。小さい子と暮らすのはとっても大変ですよ。お母さん、いつも頑張っておられますよ。」

そう言うと、「ありがとうございます」と微笑んだ。

彼女は決して子どもの世話ができているとは言えない。

それは本当にそうだ。

だけれど、Yちゃんを育てることが彼女のキャパをオーバーしているのも本当だ。

彼女が頑張っているのは、本当なのだ。

 

だからといってそれをそのままにするわけにもいかず、我々が支援してなんとか日々が回っている。

やがてここを出て行くことになればどうなるのか、

やがてここを出ていかなければならないのに、生活が我々の支援ありきになってしまったらどうするのか、

当然のようなどうしようもないようなことを措置元から言われる。

 

 

「支援」とは何なんだろう。

確かに、食べるためのお金と、寝るための部屋と、家事をする手、各種手続きをする頭が必要だ。

それらを我々は提供している。

でも、一番大事なのは、いつも側にいて、大丈夫ですよとあたたかく見守っているということなんじゃないだろうかと思うようになった。

母親たちの能力にはひとりひとり、限界がある人が多い。

そして、一時的な場合もあるにせよ、どうにもならなくなってここへやって来た人たちばかりだ。

それでも、なんとか前向きに生きていくことができるのは、私たちが側にいるからなんじゃないだろうか。

今は、そういう存在として彼女たちの側にいることが、私の役目なのだ。

私個人の価値観とは相反する部分は多々あるけれど、これが今の私の役目だ。

 

 

 

ウォークラリーで山の中腹まで歩いて、帰ったら職員みんなが作った豚汁とサンマの塩焼きとおにぎりを食べるという行事も行った。

久しぶりに高校生の女の子と、歩きながらゆっくり話をすることができた。

数日前の夜勤の時、3時ぐらいにその子のお母さんから内線がかかって来た。

私と話がしたかったらしい。今晩は調子が良いんだなと嬉しかった。

彼女は私と話をすると調子が良くなってしまうから、調子を悪くしたい時期は絶対に私に話しかけてこない。それはもう徹底している。

色々な話をしてくれたが、娘さんの話もしてくれた。

「ウォークラリーははじめは参加しないとか言っていたけど、行ってみたら楽しかったって。Mさんが一緒に歩いてくれたからだで。ほんと、ありがとうね。」

そんな風に言ってくれた。とても嬉しかった。

 

彼女も、本当に本当に変わった。

昨年は娘さんのことなんて二の次で、自分のことで必死だった方で、その上娘さんと職員が仲良くすることも警戒していたのに、

今は娘思いのお母さんの顔をしている。

何がどうなってこうなったのか、全くわからない。

真っ暗だった去年の夏を超えて、この親子は今、全く違う姿になっている。

もちろん私には見えないことがたくさんあるだろう。

でも、少なくとも娘さんは、もうあの泥の中へは沈んでいかないだろう。

しっかりと自分の足で確かな地面を歩いている。

 

 

 

輝く秋の日々。町が金木犀の香りに包まれている。

こんな風に、私は目の前にいる誰かを優しく包んであげられたらと願う。

荒んだ気持ちでいては、平等の位置を思い出すことができない。私自身が健康でいることが大切だ。

私には音楽と、芳しい記憶がある。

多分もう私は、大丈夫なんだろうと思える。