I Will Follow Him

先月は2回、今月も1回、母の家に泊まりに行った。

親しい仲間たちと会って学び合った。

 

何とかしてお会いしたいと思っていた。

きっとご縁があれば、お会いできるだろうと思っていた。

シフトの変更をお願いしたり、お願いされたり、様々な調整がなされて、

最も良い形で、リンポチェ(チベット仏教の偉いお坊さま)にお会いすることができた。

そして、数年前にお会いした時に叶わなかったことを叶えることができた。

あの時の私はまだ整っておらず、今ようやく辿りついたのだと思う。

いつでも周りの人々に対して、優しい気持ちで向き合いなさいと言っていただいた。

仏教のことは勉強不足すぎてまだ何もわからない状態だけれど、一番大切なことはそのことだと思う。

私のためではなく、人々のために私を使っていただくことが、リンポチェのお喜びになることなのだと感じられた。

 

 

再びこの俗世の日常に戻った。

利用者さんと向き合う度に、リンポチェの言葉と笑顔が浮かんでくる。

お話ししていると、相手の中に一瞬、リンポチェの微笑みが見える。

これでいいんだ、とほっとする。

私は良い職員にはなれないだろうけれど、仏教徒としてできることをしていればいいんだろうと思えた。

 

 

 「足が痛い、腰が痛い、もうどうしたらいいかわからん。」

そう言って不機嫌そうに愚痴をこぼす利用者さん。

「そうなんですか。よくなりますように。」

 「良くはならんのよ。」

「えー、そうなんですか。」と言って膝や腰をさする。

 「これ以上身体悪くなったらもう面倒見れんけんねって娘に言われた。」

と、ちょっと笑って言う。

「それは、元気でいてねってことじゃないのかな?」

 「そうそう、そうだと思う。」

珍しく、大人の顔をして笑ってくれた。

いつの間にか愚痴話ではなくなってしまった。

 「テレビでビールのCMやっててな、二ノ宮くんが美味しいそうに飲むんだが。あー美味しそうだな〜って思って、飲みたくなるだが。」

「うん、美味しそうに飲みますもんね 笑」

 「だろー。それで、どうしても飲みたくなって、お医者さんに聞いたんだ。ビール飲んでもいいですかって。そしたら、ダメですって 笑」

「聞いたんだ!内科の先生?」

 「ううん。精神科の先生 笑」

「あはは。じゃあ絶対言うこと聞かなきゃ」

 「そう。ちょっとだけでもだめですか?って聞いたら、ちょっとでもダメですって言われちゃった 笑」

「残念ですね。」

 「うん、だからな、ジュースぐらい飲ませてって思って、昨日の夜、薬持ってきてもらうのまだだったんだけど、そーっと1階の自販機に降りて行ったんだ。」

「うんうん」

 「そしたらな、階段でYさん(厳しめの担当職員さん)が薬持って急に上がってきて、あれどこ行くの?って!」

「あははは」

 「見つかっちゃった!どうしようって思って黙ってたら、ジュース買いに行こうとしてた〜?って言われて 笑 

ポケットの中でチャリンってお金の音がしたの聞こえたのかなって思って。どうしてバレたんだろうって思って。」

「Yさんは全部お見通しなんですよきっと 笑」

 「いやーもう隠し事できんなあって思って 笑 それで薬飲んで、扉閉める前にYさんが、ジュース買いに行ったら?って笑って言ってくれたんだ」

「そうだったんだ 笑」

 「それで買いに行って、飲んだ。」

「どうだった?」

 「美味しかった〜!」

 

こんな他愛のない会話が、きっと宝物だ。そう思う。

彼女はある面で子どものようだ。

私には緊張せずに、色々と悪いことしている話もしてくれるようになった。

何もできないけれど、何にもならないけれど、彼女が元気になるならと思って話を聴いてきた。

ところが、今までは我々職員が(子どもでなくて)彼女を起こしに部屋まで毎朝行っていたのだけど、

先週から急に、彼女は自分で起きて朝ご飯とお弁当まで作るようになった。

一体彼女に何が起こったんだろう。

 「忙しいけど、朝ちょっとゆっくりできて助かるって子どもが言ってくれるから、よかったなって思って。」

「それはとっても喜んでくれているでしょうね。よかったですね。」

 「うん。でもな、自分でも楽しみながらできてるから、いいなって思ってる。」

「本当に素敵ですね。」

 「おかず6種類用意するから、大変だで。」

「すごいですねー。私のお弁当は、お肉と野菜炒めて、そのままぼんって入れるだけ。1種類!」

 「あははは、簡単でいいなあ」

「でしょ 笑 冬は、お味噌汁にお肉と野菜入れて、スープジャーに入れるだけ。1種類!」

 「あはは。それも簡単だなあ。」

「しかも前の日に作ってるからね。」

 「あの子はよく食べるからね。色々あった方がいいかなと思ってな。」

「うん。お母さん、すごいですよ。」

 

話し始めた愚痴話なんて、完全に忘れてしまっているようだった。

もしかして、私が彼女に卵焼きを作ってから、彼女はお料理しようっていう気になれたのかな。

元々料理はできない人ではないのだけど、そういう気持ちに持っていくことが難しい人。

でも自分が料理したら誰かが喜んでくれるんだって、感じてくれたんだろうか。

そうだったら、本当に嬉しい。

彼女が子どものために自分にできることがあるって思えるようになって、本当に嬉しい。

またすぐに調子悪くはなってしまうと思うけれど。

でも、本当に尊い変化だと思う。

 

職員は、善意でもって、ついつい彼女たちの仕事を奪ってしまう。

だから「子どもは全部職員に相談して、私には何も言ってくれない。私はいなくていいんだ。」と、自己勇気くじきをしてしまうことになる。

あるいは、何かあっても職員がなんとかしてくれると思って依存的になってしまう。

親子の形を、本来あるべき姿に返していきたい。

この日常は非日常だって、わかっていたい。

 

 

件の小さい子に怒鳴りまくるお母さんの変化も、目覚ましい。

ノートに子育てで困ったこととか考えたことを書いてもらって、毎週、上司と1週間の振り返りをするようになった。

自分が親にひどいことをされてきて、親のことを好きになれない。

でも、子どもには、嫌われたくないって思うんです。親と同じにはなりたくないんです。

そう言って、上司の前で涙を流されたそうだ。

きっと、その言葉はほんとうなのだと思った。

ほんとうなのだと信じて、私は彼女と向き合おうと思った。

実際に、最近の彼女はとても穏やかに子どもに接していることが増えてきたし、

特に部屋の中だと、楽しそうにあやしてあげる姿がたくさん見られるから。

 

子どもの方は、お母さんが優しくなってきたもんだから、ずっとお母さんと一緒にいたくて、職員が入浴対応をするのを激しく嫌がるようになっている。

(お部屋のお風呂に入れるので、お母さんはずっと側にいるのだけどね。)

これはとても良い変化だと思う。

お母さんとしては手伝ってほしいそうなので、もうしばらく入浴対応自体は続けることになるだろうけれど。

 

泣いている子どもを笑顔で「もう、困ったなあ。ほら、こっちおいで、ぎゅってしてあげる。」と、優しくなぜてあげていた。

彼女が自然とそのようにできるようになっていた。

この親子がこんな風になるなんて、とてもじゃないけれど思えなかったから、

今目の前で起こっていることが本当に本当に輝いて見えて、

お風呂なんて、もうどうでもいいんじゃないかな、なんて私は思ってしまう。

泣き止むと、「ほら笑った。こしょこしょこしょ!」と言って、顔を近づけてこそばしたり、髪をなぜたりする。

子どもの方は、とっても可愛い顔で、幸せそうに笑う。

それを見て彼女も嬉しそうに笑う。

リンポチェの微笑みを、私は彼女の中にも見出した。

 

それでも俗世的には子どもをお風呂に入れなければならないので、

私は彼女と協力して、ふたりがかりで嫌がる小さい子をお風呂に入れた。

お疲れさまです!と労いあって、何とかオムツだけ履かせて、

あとは大丈夫ですと言ってくれたので彼女にお任せをして、

部屋を出た。

 

10分後、夜ご飯に頼んでいたお弁当が来た時、親子で笑顔で降りて来られた。

お金を渡したり、お弁当を運んだり、小さい子がお手伝いをしていた。

ご機嫌でよかったです!と言うと、さっきはあんなんでしたけど、すぐよくなりました、と嬉しそうに笑って話してくれた。

やっぱりお母さんじゃなきゃだめですねって言えるぐらいがちょうど良くて、職員は悪者になっていた方がいいのかもしれない。

 

目の前のひとりひとりと、優しい気持ちで向き合っていきたい。

結局私がすべきことは何も変わらない。

ただ、私はもうひとりではないと信じられるようになった。