昨日も今日も、小さなお手伝いを重ねるだけの穏やかな時間を過ごした。
薬と水を準備して、ほんの少しおしゃべりをしたり
小さな子たちを預かって遊んだり
小包みを受け取ったり
乾燥機の洗濯物を取り入れたり
出かける子どもたちを見送ったり
部屋を掃除したり…
どれも小さなことばかりだ。
でも、4月や5月の頃はどの仕事もわからなくて、とても自分がここでの仕事をこなせるようになるとは思えなかった。
ずいぶんここでの生活に慣れたんだなと思う。
そういう数えられる仕事の他に、息を吸うように行うこともたくさんあるから。
利用者さんの出入りがあればチェックボードにチェックを入れなければならないし、
それぞれの利用者さんに合わせた対応というのは言語化されていないし、
職員間では常に情報をやり取りして、引き継いだり引き受けたりしている。
ここでの仕事は、楽しいなと、思う。
不思議なぐらい、苦しいことがない。
私はどうしたんだろう。
小さい子どもたちの成長は目覚ましい。
9月頃まではすぐに感情的になって、人を叩いたり物を投げたりしていた年中のSくんが、
今では落ち着いて、色々なことを我慢できるようになっている。
もう私を叩いたりしない。
私を見つけると「Mさーん!」と走ってきて「タッチ!」って私と手を合わせてくれる。
言葉が上手に使えるようになると、上手に意思疎通ができるようになるから
話し合って交渉して、代替案も考えられるようになる。
夕方、長い廊下のブラインドを閉めているとSくんが部屋から顔を出して
「Mさーん!ぼくもブラインドするよー!」ってお手伝いをしてくれる。
一生懸命背伸びをして、真剣な目をして、重たいブラインドを閉める。
ありがとうって言うと、とても誇らしげに笑って、またねー!と帰っていく。
先輩職員さんの中には、危ないしガシャンガシャンうるさくしちゃうから、子どもには触らせないようにって考えている人もいるので、
仲良しの上司にだけこっそり、Sくんのお手伝いのことを話すと、
上司がブラインド閉めているときも、Sくんが手伝ってくれると嬉しそうに教えてくださった。
ああやっぱり、この方のもとで、子どもたちが健やかに育っていくんだと思った。
今日も昨日も、上司がSくんやKくんと一緒におられるとき、
上司も子どもたちもくつろいで、みんな穏やかに仲良く遊んでいた。
これはなあに?って、上司は子どもたちと同じ姿勢でおもちゃをのぞき込んでいた。
「こうやって遊ぶんだよ、ほらこれやってごらん、そうそう、上手だね〜」という働きかけの多いほとんどの保育士の職員さんたちは、
確かに子どもの注意を引きつけたり、楽しませることは上手だけれど、
子どもに教えを乞うということはない。
この上司と、もうひとりの職員さんだけ、子どもに教えを乞い、子どもと同じ目線になって接しておられる。
おふたりと一緒の時は、子どもたちは自分の興味のままに、変に興奮することもなく、落ち着いて遊び、様々なおしゃべりをする。
預かり室に、美しい光景が現れる。
子どもたちが機嫌よく過ごせるようにとテレビやYouTubeをつけながら遊ばせる職員さんも多いのだけれど、
子どもたちと同じ目線で向き合っていると、テレビを消しても、というよりもテレビを消した方が、落ち着いてお話しして、落ち着いて遊び始める。
YouTube見せてたらなんとかなる、アンパンマン流しとけばご機嫌になる、というのは、大人の怠慢でしかないと思う。
ああまだまだ私は、はるか高みを目指そうとしている。
YouTubeをすぐにつける職員さんに悪気がないのはわかっているから、その場ではお任せしている。
私が子どもたちの側に行ける機会が来たら、さり気なく消して、ままごとやお店屋さんごっこをしたり、おもちゃや絵本で遊ぶのだ。
Sくんが私と仲良くままごとで遊んでくれるから、一緒にいた3歳のKくんも私とままごとで遊んでくれた。
「どうじょ!」「これもどうじょ!」「これもはんぶんこにしようね。はんぶんいる?」「これは、ほっとけーき。」「これは、とまと。」「めだまやき、じゅーじゅー」「あついから、きをつけなきゃだめよ」とおしゃべりしながら、
たくさんのご馳走を作って、お皿に盛り付けて、私に振る舞ってくれた。
語彙爆発とはよく言ったもので、1ヶ月前とは比べ物にならないほどお話しが上手になっている。
ついこの前まで、Kくんは「しょうぼうしゃ!」「きゅーきゅうしゃ!」という2つの単語だけで私とコミュニケーションを取っていたというのに!
あとは、「ままがいい!」「ほいくえん、いかん!」という主張。
でも、もうお母さんから離れても、泣いたり叫んだりしないで楽しく過ごせるようになった。
なんてすごいことだろう。
Kくんは小さなおにぎりを見つけて、ズボンのポケットに入れようとしていた。
でもポケットが小さくて入れるのが難しいので、私に入れてと持ってきた。
入れてあげると、「おでかけいくね。いってきま〜す!」と言う。
Kくんいってらっしゃい!と手を振ると、「バイバーイ!タッチ!」って、私と手を合わせてくれた。
部屋の向こうまで行っておにぎりをポケットから出すと、「ただいま〜」って帰ってくる。
今日はその往復を何十回繰り返したかな。
そして私はKくんとも仲良しになれた。
病気を使って所属しようとしているけれど、だんだんと健康になってきている利用者さんがおられる。
調子の悪い時は、上司と話がしたいと、ひっきりなしに電話をかけてこられていた。
でも最近はその頻度が大変少なくなった。
今日の夕方、上司と話がしたいと電話をかけてこられたが、上司は別の対応中だと伝えた。
以前は、「えー。そうなんか。いつも話できんなあ。どうしよう。すごくしんどいのに…。いつ戻ってくる?戻ってきたらかけてって伝えて。」と、
落ち込んでひとしきり愚痴を言っていたのだけれど
今日は「えー、そうなんか。…なあなあMさん、私資格取ろうかと思うんだけどな。でもこの年だけえ、取ったところで働けんかなあ。でも仕事しないとって思うし。どうしようかなあ。」と、私に話をしてくれた。
そして「またかけるわ〜。」とあっさり話を終えられた。
上司が退勤した後、また電話がかかってきた。
「もう帰りんさったよなー。」
「あー、ついさっき帰られました。」
「わかったわかった。はーい。」
そう言って明るく電話を切られた。
こんな小さなことが、とてもとても嬉しい。
この方が、少しずつ少しずつ明るく健康的になっていくことが、見える。
そして娘さんも明るくなっていっていることを感じる。
いつまでも、たぶんこの方は病気を使い続けるだろう。みんなの注目の中心にいるために、なんやかやと困ったちゃんぶりを発揮するだろう。
それでも夏の頃に比べたら全く問題にならない程度の困ったちゃんなので、
本当によくなってますよねえ!と上司とふたりで驚き、喜び合っている。
夜になって帰ってこられて、おかえりなさいと手を振ると、
手を振ってくれて、ちょっとの間立ち止まってから、事務室に立ち寄られた。
「Mさん、もう私ダメだ。しんどくてまたやっちゃった。」演技がかった様子でうなだれた。
「ああ、それはしんどいですね。」
気持ちが不安定なのは本当で、しんどいのだろう。それは苦しいよね。
でも、以前よりはずっと調子が良さそう。演技をする余裕もある。よかった。
「うん…。仕事のこととか考えてると、気が落ち着かん。」
うなだれながらも、口元に笑みが浮かんでしまうのを隠し切れないでいる。
私はあなたの仲間でいたい。
「…そう言えば、Mさんはいつも落ち着いてるね。」
私の顔をじっと見た。
「あ、ほんとですか?ありがとうございます〜♪」
「あはは」
思わず吹き出して、悲劇のヒロインの演技ができなくなってしまった。
「Mさん、前、お仕事見つからなかったっていう時期も、そうやって落ち着いていられたの?」
「うーん、心の中は嵐が吹き荒れてましたよ、それは。だから、お仕事が見つからないのが苦しいの、わかりますよ。」
「うん。」
「でも、焦っても仕方ないですしね。物事が進まないときは、焦っても進まないし、落ち着いていても進まないから。
どうせ進まないなら、落ち着いていた方がいいなって思ったんです。体にとってもその方がいいから。」
「そうかー。」
真剣な顔をして、小さくうなずいていた。
そして「Mさん、私、また話するわ。」と、張りのある声で真っ直ぐに目を見て言われた。
「はい。私は明日は夜勤ですよ。」
「うん。ありがと。」
この方を刺激しないように、当たり障りのないことを話すようにと気をつけている職員さんは多い。
けれど、彼女とは真っ直ぐなコミュニケーションができると、私は思う。
彼女が上司と話をしたがるのも、上司が真っ直ぐな意見を言ってくれるからだと思う。
それを続けているとあなたの望みは絶対に叶わないよと、彼女の耳に痛いことを言うのは、この上司だけなのだ。
そして今は、私の意見を聴こうとしてくれていると感じるから、
それは、世間話程度のものではなくて、真剣に聴こうとしてくれていると感じるから、
私は彼女に対して、ごまかしたり、いい加減なことを言ったりはできない。
彼女は確かにとても不健康なところがあるけれど、
彼女の不屈の精神や強固な意志は、それが不健康さにも使われているけれど、
それはそのまま彼女のストレンクスでもあると、私は思うようになった。
ごまかしたり、いい加減なことを言ったりできない人なんだろうな。
ストイックに真っ直ぐに突き進む人なんだろうな。
彼女の真っ直ぐな眼差しに向き合って、そう思えた。
私の言葉で、彼女の目が時折きらりと光るのは、私たちが手をつなげた瞬間なのではないかな、と思えてしまう。
小さな小さな仕事を、丁寧に重ねていこうと思う。
心穏やかに、あなたと一緒に過ごせて嬉しいと思いながら相手に向き合うことが、
幼い子どもたちにも、病気を使う人たちにも、等しく大切なことであると感じている。