今日は1日、職場でオンライン研修を受けた。
いつもの職場なのに、ひとりで部屋にこもって過ごす。変な感じ。
休憩時間に事務室に降りてお昼を食べる。
利用者さんとか子どもたちとすれ違うと、なんかほっとする。
勤務表に私の名前がないのに、私が居るから、みんなおやっ?て顔をして、にっこりしてくれる。
今日は職員さんがとても少ない。みんなギリギリのところで頑張って仕事をしている。
そんな状況なのに、マクゴナガル先生がグループLINEで
「月曜日のお昼は、庭で取れたピーマンでピーマンの肉詰め定食を作ります。勤務の方で食べたい方は、どうぞお昼ご飯持ってこないでくださいね♪」
とお知らせを流していた。
出勤されていたので、直接月曜日のお昼いただきます〜と言うと、はいはい♪と笑ってもらった。
交わす一言だけで、ここは私の居場所だなと思える。
研修はとても疲れた。
主張性や感情の制御を子どもたちに身につけさせるあるワークショップをうちの施設では何年も前から実施していて、
そのファシリテーターになるための研修だった。
ZOOMのブレイクアウトルームで、参加者どうしで子ども役になりながら、実際のコースのように進める。
このオンライン研修を受けたら、明日からでも実際にこのワークショップのコースを開催していいとのことだ。
参加者は全員で25人ほど。ほとんどが様々な児童福祉施設の職員のようだった。
子どもたちのよくあるトラブルの1場面について、1回30分程度で学んでいく。1コースが25回で構成されている。
確かに良いものだろうとは思った。
うちの施設では、あまり大きな声では言えないが、形だけのかなりいい加減な感じで、
子どもたちが学ぶ機会になればいい、職員と同年代の子どもたちとのコミュニケーションの一環という位置づけで実施している。
なので、きっちりとした背景と高い理念と構築されたシステムを備えたワークショップだったと知って、実は驚いた。
モチベーション高く参加されている方が多く、質問などが活発に出ていた。
児童福祉施設職員がこれだけ集まる場が初めてだったので、その独特の雰囲気を味わった。
目の前の子どもたちをどう指導していくか、どう支援していくかで、皆精一杯なんだろうなと感じた。
そして、子どもたちを上手に導いていくツールを欲しているんだろうなと感じた。
虐待を受けた子どもの場合は、とか、特性の強い子どもの場合は、という言葉がよく出ていた。
普通の子どもたちなら集中して聴けるかもしれないけれど、難しい子どもたち相手の場合はどのように工夫したらよいでしょうか、という質問がとても多かった。
ワークショップの内容は、とてもよいものだと思う。
子どもたちにぜひ学んでほしいものばかりだ。
でも、おそらくコース開発者の意図である、自分で考えて適切な行動をするよう援助するということではなくて、
大変な現場にいて、モチベーションが高い人ほど、子どもの問題行動が少なくなるようにするためにこのツールを導入したい、と考えているように見えた。
そうやって子どもたちを自分たちの都合のいいように変えようと意図する限り、
子どもたちとの関係は良くはならないだろうなと思いながら、眺めていた。
私はマイノリティだから。
黙って死んでいくつもりはないけれど、どこにいても異端だ。
アドラー心理学の目指す世界は、ほど遠いなあ…
ただ、うちの施設には、子どもたちを変えようという意図を持たずに、
子どもたちの成長を職員との関わりの中で引き出していきたいという考えがベースに流れているから、
その方針は私もいいなと思えている。
このワークショップの位置づけは、本来求められている実践の姿とはかなり違っているけれど、
それはそれで、権力争いの構造を作ることなく実施できているという意味で、まだ良い事なんじゃないかと思える。
コースで学ぶことは、子どもたちにきっちりとは身についていないかもしれないけれどね。
TRI4THというバンドを知った。
チバユウスケ客演の曲LET JERRY ROLLがカッコ良すぎて、BGMにならなかった。
ブログを書くのを中断して、しばらくチバユウスケの動画に没頭していた。
こんな風に、音楽のために命を削っていけたらどんなにいいだろうと憧れた。
ARBの「飲まずにいられない」をチバユウスケが歌っているのを見つけた。
この曲は、知っている。
父のバンドが演奏していたか、父の友だちのバンドが演奏していたか、父と聴いたか、
とにかくこれは懐かしい曲なのだった。
私の音楽の趣味は、かなり広範囲だが偏っている。
早期回想的な音楽が、タバコ臭くて酒臭くて枯れそうな男の歌ばかりというのはどういうわけなのだろう。
いやしかし、私はROLLING STONESも大好きだ。
自分自身は絶対にそっち側に身を置きたくはないのだけれど、
私は自分がいい子ちゃんでいるのに嫌気がさすと、バランスをとるようにしてロックンロールを摂取するのだった。
思えば、そうやって中学生時代を乗り切っていた。
お前は切実に生きてないだろ?
そうやって、私はあの研修会の間、画面上の真面目な人々を裁いていたんだろう。
不適切な行動を、生き延びるために必死でしている子どもたちは、キラキラしている。
その素敵なところを私たちが見つけて愛でてあげなくて、一体誰が愛でてあげられるのだろう。
もちろん不適切な行動をそのままにしていていいなんて思わない。
でも、その不適切な行動自体は、問題の本質じゃないんだと私は信じている。
彼らが、短所も長所も併せ持った彼らのままで、その力を人々のために世界のために使って生きていけるように、その援助のために私たちは彼らの側に居れるのに…。
過保護に甘やかされて育てられていたら、ロックンローラーになんてならないと思う。
ハングリーで命を削るような音楽は、自分で切り拓いて掴んだ人生そのものだと思う。
多分それは、私に足りないものだと私は思っているんだろうね。
自分は安全圏に身を置いたまま、子どもがいうことを聞かなくて困るって言う大人を、
私は許せないんだろう。
同じところに身を置いて、同じ物語に飛び込んで、子どもたちと母たちと向き合っていたいと思っている。
そのことが言語化できたことは、とてもよかった。
私が不況を買ったり、クレーム入れられたり、文句を言われたりすることも恐れないでいようと思えた。
自分の保身のために、手加減をするのは嫌だ。
行動しなければ、失敗することはないし、クレームを言われることもない。
私が気づかないフリをすれば、問題はなかったことにだってできてしまう。
でも、たとえまずい行動であったとしても、相手のためにと思って失敗することの方を選びたい。
先日私に対してクレームを入れられた親子の家には、その後も何度も、泣き声が響く度に介入したり、子どもの入浴の手伝いに入ったりしている。
母は、「先日は、言ってくださってることを理解できずに、嫌な態度をとってしまってすみませんでした。」と言ってくださった。
とても驚いた。それが本心であってもなくても、私と良い関係を保ちたいと思ってくださっていることがとても嬉しかった。
「こちらこそ、上手に伝えることができなくてすみませんでした。お母さんは身体がしんどい中で、一生懸命頑張っておられると思っていますよ。
一緒に考えていきましょう。お手伝いしますから。ここはそのための施設ですからね。」
そう伝えることができた。
この母がそうそう変わるとは思えない。
相変わらず、幼い子どもに対して酷い言葉で怒鳴ったりしている。
でも、全く何の希望もないとも思えなくて、微かな光が灯っていると、
他の職員さんたちはわからないが、少なくとも私と上司のふたりは感じている。
口だけだとしても、どうしたらいいのか教えてほしいと言ってくれるようになったから。
私はその母の言葉を信じたいと思う。
昨日も、18時頃に怒鳴り声が響いていたので訪室した。
「すみません、ご飯をまだ食べ終わってないのに、薬を飲みたいって言って泣くから、つい大きな声を出してしまって…」と母が言われた。
少し前は風邪薬を飲まないと言って怒鳴っていたけれど、ゼリーに包んで上手に飲ませられるようになったのだった!
そうしたら次は、薬を早く飲みたいと騒ぐようになった、と。
薬を飲ませる工夫をされたこと、それがうまくいったことについて、素晴らしい!良かったですね!としっかり正の注目を与えた。
それから、食後の薬だからご飯を食べてから飲ませようと努めていることについても、賛成ですと伝えた。
彼女は良い母をしたいのだ。でも、どうしたらいいのかはよくわからない。
そして、わかっていることについて思い通りにならないから、怒って言うことをきかせようとする。
怒っても言うことはきかないということと、落ち着いてお話をすれば協力してくれるということを、繰り返し繰り返し体験して、学んでもらうことしかないと思っている。
そこで、一緒に床に座って、「落ち着くまで待ちましょうか」と言った。
「私、しばらくここにいて、一緒にご飯食べさせてもいいですか?」と尋ねると、お願いしますと言ってくれた。
「この前、優しく言ってみて、それでもだめならしばらく待ってみてはって言ってもらって、最初はできるようになったんですよ。
でも、待っててもこうやって泣き始めたりしたら、こっちも大きな声になってしまって。気をつけたいんですが、どうしても怒ってしまって。
でも、あの日、言ってもらえてよかったです。」
そう笑顔で言ってくれた。
「本当ですか。そう言ってもらえると、とても嬉しいです。」
私は、敵じゃないって思ってくれたんだ。
私は、もしかしたら仲間になれるかもしれないなと思えた。
穏やかな顔をしている。可愛らしい顔立ちだ。この子とそっくりだ。
注目関心を引きたい小さい子は、私のところにアンパンマンのリュックを見せに来て、
また走って奥の部屋へ行ってしまった。
いつも背負っているアンパンマンの顔のリュック。
「何が入っているんですか?」と何の気なしに尋ねると、
「何も入ってないんです!」と母が笑い始めた。
「すごく大事にいつも背負っているんですけど、何か入れたら?って言っても、入れないって言うんですよ 笑」
「そうなんですか!てっきり、オムツか何か入ってるのかなって思ってました 笑」
「詰め物でぱんぱんだから、物はほとんど入らないんですよ〜。何のためのカバンなんだかって感じなんですけど。」
談笑することができた。
彼女も子どものこと、関心を持って、面白いなって思えることもあるんだってわかった。
私たちが話していると、気になって近寄って、私の膝に座る小さい子。
ご飯食べれる?って尋ねると、うなずいてくれた。
風邪ひいていて食欲がないみたい。でも少しだけ、食べることができた。
それから薬を喜んで飲んでくれた。
ついでにこのまま入浴対応しちゃいましょうかと尋ねて、お風呂の準備をしてもらった。
服をお風呂場に持って行ったり、ゴミ袋を取り出したり、この小さい子が普段からお手伝いをしていることを知ることができた。
近くにいても、見えているようで見えていないことがたくさんある。
私は彼女のこと、決めつけていたのかもしれない。
健康的なところを、日々見つけていきたい
必死で生きている利用者さんたちのことを、もっと理解していきたい。
もう、あまり裁かないでいられると思う。
無茶苦茶だし予測のつかないことばかりだけど、これもひとつの人生なんだって、
ひとつの物語として、味わってみたい。
そして願わくは、共に、より良い物語を探してみたい。