今日は絶対的休日。
午前中はコーラスの舞台で、幼稚園のお誕生日会だった。
コロナはとても流行っているけれど、だんだんとwithコロナ化しており、子どもたちの前で歌えるようになったのがとても嬉しい。
私は仕事の都合で練習も本番も参加できたりできなかったりするけれど、いつ行っても私を待っていてくれる仲間がいる。
振り付けを考えたり小道具を準備してくれる仲間も、当日参加の仲間も、みんなで舞台を作っていく。
人前で何度も歌って、やっと自信を持って歌うことができるようになった。
今日は先生の隣で歌えて、まるで自分も歌が上手くなったかのように錯覚できた 笑
歌詞や、歌への思い入れや、ここでこうして歌えることや、卒園などの別れがやって来ることや、
歌は私の感情を揺さぶるので、自分が楽器になるという任務を離れて泣いてしまうことがある。
でも前回と今回の舞台は、きちんと楽器になれていた。
感情の制御が上手くなったように思う。
友だちとランチに行ったら、会えると思っていなかった大切な人にもお会いできた。
この町には私の居場所がたくさんある。
いつもの友だちだけど、今日は珍しい話題で、私の話を聴いてもらった。
私は幾重にも重なった人生を生きているなと思う。たくさんのペルソナで。
そして正しく、「ペルソナは離散的」。
私はまた新しいペルソナを育てて使っていこうと思えた。
昼過ぎからは、AIJの第3回シンポジウム動画を聴講した。
テーマは「アドラー育児の目指すところ」
前半は3名の先生方がそれぞれの発表をされ、後半は鼎談をされた。
鼎談は女子会のような和やかさと論理的でない話題の飛び方でありながら(笑)、
アドラー心理学の本質である共同体感覚について深く考えることができた。
毎度ながら、とても楽しくてあっという間に時間が過ぎ、
もっと私も勉強して、アドラー心理学の供給者としてできることをしていこうと勇気づけられた。
どんな大人になって欲しいかと言う話題で、アドラーを学ぶ以前以降の子育てについての話をお聴きして、
よく知っているある母について、その人は本当に、自分の子どものことが大事で、
子どもが怪我や病気なく無事に育つことを何より願い、
子どもが良い環境の中で人々は仲間だと思い自分には能力があると思いながら、
自分の子どもだけは良いようにと願う人だなあと、愛しく感じた。
その強すぎる執着は、苦しかっただろうと思った。
子どもがケガをしたり病気になったりすると大変動揺していた。
大きくなった子どもがぶつかる挫折や苦労にも、ひどく動揺していたに違いない。
やって来る困難は、子ども自身が向き合って取り組まなければならない子どもの課題であると、アドラー心理学を通して学んでからも、
たくさんの課題に取り組む子どもを黙って見守るのは、その人にとってどれほど苦しいことだっただろうかと思う。
見守り切れずに口を出して「子どもの課題を子どもにお任せする」ことに失敗することも多々あった。
でも失敗も含めたそれら全てのおかげで、子どもたちは自立して社会と調和して生きる大人になれたのではないかなと思う。
そう心から思えるぐらいには、母を愛し、自分も含めた世界を愛する大人になっているように思う。
子どもたちにすべきこととすべきでないことを学んでもらうことが必要で、
それはなぜかと言うと、
その社会でのルール、文化、伝統を知り、秩序を守ることで、その社会に所属して暮らすことができるから。
そのお話を聴いて、私の施設のある子どもたちのことを思った。
その子たちは、人の多いところが怖いと言い、学校に行くのが苦しいと言う。
様々に事情はあるけれど、施設の職員とは仲良く話ができて、先生方とも話ができたりする子が多い。施設の中には友だちもいる。
人の多いところが怖いと言いながら、人の多いお店には行ける。
対人恐怖とは違うように思えるその子たちの「怖さ」は、もしかすると共通感覚を知らないことによる「怖さ」なのではないかなと思い至った。
社会的に適切な振る舞いを、生きていくために必要な知識を、ほとんど学ばないで育った思春期の子たち。
その子たちの母自身もどんな振る舞いが社会的に適切なのか、生きるためにどういう知識が必要なのか、ほとんど学んでいないので、社会的に引きこもりであったりする。
なので、わからないことや困ったことがあると、全て職員に頼る。
衣替えの仕方からトイレ掃除の仕方から、味噌汁の作り方から子供服のサイズの選び方から、学校への提出書類の書き方から病院予約から、
彼女たちが感じるありとあらゆる困難に、まずは向き合う勇気を持ってもらい、
職員と共に行えるように、少しずつ少しずつ方法を学んでいってもらう。
やがては自分ひとりでできるようになってもらえたらいいけれど、そこまでは無理であろう方もいる。
そういう母をモデルにすると、子どもたちも何かあると、職員に頼るか、課題から逃げるようになる。
それは人前に出るのが怖いよね、と思う。どうすればいいのか、本当にわからないんだもの。
職員や先生は、自分を助けてくれる人だから、どんな弱い、不十分な自分でいても頼ることができる。
でも自分で社会に所属する勇気は持てていない。
社会は怖いところだと信じるに足る出来事もあっただろう。
この施設はオアシスなのだ。
それは彼らにとって、よかったと思う。
ここがオアシスであることも、彼らがこのオアシスに所属できていることも。
それから、彼らの素敵なところは、誰かに害を与えようとか、自分だけ良い目をみようとか、そんなことを考えもしないところだ。
自分の小さな世界で、ゲームなどの小さな窓から世界にわずかにアクセスしている。
誰にも迷惑をかけずに、母と共にひっそり静かに暮らしている。
それを、それもいいんじゃない、そういう生き方もあるんじゃないと、私は思えない。
母については、確かに仕方がない場合もあると思う。
でも健康な若者が、わざわざ病人になる道を歩まないでほしい。
我々職員を、ただの言いなりのお手伝いさんではなく、広い社会への水先案内人にしてほしいと願う。
だから、子どもたちと一緒に料理を作ったりお菓子を作ったりすることは、とても意味のあることなんだと思う。
遊戯室や保育室や前庭の片付けを一緒にしたりすることも、とても意味のあることなんだと思う。
…ああそうだ、そういう機会がたくさんある子たちは、きちんと社会適応できている子たちだ。
私が今言及しているある子たちというのは、そういう機会のほぼない子たちだ。
それでも、ある子たちの中にも、その子たちなりに成長して、良い方に変わってきている子もいる。
中学生のNくん。先日、相変わらずの遅刻早退の送迎をさせてもらった。
行きは暗くどよんとしていたけれど、帰りはテンション高くおしゃべりしていた。
本当は1校時から行って、最後まで授業を受けるのが良いに決まってる。そんなこと、彼は十分わかっている。
そのやる気が出ない自分を、自分が一番嫌だと思っているだろう。
でも、学校に行くことを考えると緊張してしまうのは確かにそうだろうと分かった。
共通感覚を知らないのは不安だ。例えば、全く知らない国に行くときのような類の不安だ。
「今日は何の授業受けたの?」
「すうがっく!」
「すうがっくは、何してるの?」
「えー、なんかピザを何等分したらどうとか。」
「何の単元だろ 笑 ついていけてる感じ?」
「いや〜。そもそもほとんど受けてねえから何やってるか知らねえし〜。」
「そっかあ。数学は難しくなってくるからなあ。でもNくんは賢いから、勉強したら自力ででも追いつけると思うんだけど。」
「…。」
振り返ると、いつもの冗談は止まって、真面目な顔をして黙っていた。
「もしよかったら、私勉強の手伝いできるよ。塾のバイトとかやってたことあったし。」
「ほお。」
信号待ちで、振り返って目を合わせて言ってみた。
「学校行く行かないは別として、気が向いたら一緒に勉強してみない?」
「うん。」
意外な返事だった。
目を合わせて、小さく何度もうなずいてくれた。
とても嬉しかった。
彼に対して、お兄さん職員さんやお姉さん職員さんが一緒にゲームをしたり、ゲームの買い物に付き合ったりして、
そうやって彼が社会との接点を作れるように働きかけて、彼と仲間になって、
彼はここに所属することができるようになった。
本当にすごいことだなと思う。
そのみなさんのおかげもあって、初め私を警戒していた彼と私は、今はここまで近づくことができた。
多分、彼がすぐに勉強を見てって言ってくることはないと思う。
でもそれでもいい。
彼と会話するひとつの話題が増えた。
勉強することについて前向きな気持ちを知れたのはとても嬉しかった。
彼が勉強する勇気を持てるように、そーっとそーっと、働きかけ続けていきたい。
彼に必要なのは、常識と、世間を渡る算段を身につけることだ。
残念なことに彼の親と学校の先生方はそれを十分に学ばせることができていない。
でも私は、彼の生活の中に入っているから、共通感覚を学んでもらえるように働きかけることができる。
それがとても幸いなことだと、思えた。
共同体感覚については、この私の、彼にそっと近づくことや、
上司やお兄さん職員さんやお姉さん職員さんたちのあたたかい関わりを通して、
彼は育てていっていると思う。
自立を阻むように思える職員の働きかけの中でも、どうして子どもたちは良い方に成長できるんだろうと思えていたのだけど、
どんなにアドラー心理学的にはよくないと思えるような働きかけであっても、そうやって関わろうとする職員さんに、子どもたちへのあたたかい気持ちがあると、
子どもたちはそれを受け取って、勇気を持って、自分の力で悪循環から抜け出すことができるみたいだ。
伝統や文化から切り離されたら根無草になるという、優子先生の言葉が印象的だった。
そう、ここは、どうすればいいのかわからなくて自暴自棄になったりして、
荒波に漂う根無草が流れ着いた砂浜なのだろう。
でもこの草にも、よく見ればわずかに、頼りなくて細い根が生えている。
まずは水耕栽培をして、この根を太く長く育てたい。
いつか自分の力で大地に根を下ろせるように、そして立派な花を咲かせられるように。
今をやり過ごすのではなくて、未来に向かっていけるように、
私自身が彼らの未来を信じながらつき合っていかなければと思えた。