夏休みが始まった。
今年は子どもたちが(今のところ)宿題にやる気がみなぎっていて、2人とも熱心に取り組んでいる。
仮面ライダーのオープニング曲集を聞きながら、各種仮面ライダーについて色々な説明をしてくれながら、よく勉強が進むもんだなあと思う。
こんなに賑やかな環境でできるの?と尋ねると、大丈夫だよ!と言う。
…まあ、いいのでしょう。
自分で勉強しようと決めて、自分の勉強する分量を決めて取り組めていて、ちゃんと理解もできているようだから、何も言うことはない。
しかし私はこの環境では職場で受講した研修のレポートが書けない(笑)
まあいい。
わかっていたことだけど、仕事にアドラー心理学の実践を活かすことがとても難しくて、劣等感を覚える。
上司が私の利用者さんへの対応や洞察を良いと思ってくださっているようで、私の意見や学んできたことをもっと活かしていってほしいと言われた。
他のスタッフのためにも、と。
けれど、子どもたちや利用者さんたちに対して、私自身が密やかにアドラー心理学の実践をしていくことだけ今は考えようと、自分に枷をはめている。
私自身も、うまく実践できないことも多いわけだし。
支配的な構えと構造の上に、効果的な技術だけを乗っけたら、それは下手な技術を使う以上に悪いことだと思うから。
アドラー心理学の実践は、協力的な構えで、協力的な目標、共同体感覚という思想に向かって、技術を使わなければならない。
私はアドラー心理学の誤用・悪用を広めてしまう危険性がある。
もしもアドラー心理学の誤用・悪用を広めてしまうのならば、明らかに問題が見えている今の支援の状況を観察している方が、まだ悪くはないのだろう。
たぶん…
今、私の担当している低学年の子の、トークンを終了しようと努力しているところである。
他のベテラン職員さんや上司やあちこちを抑えてから、職員ミーティングで報告して、ご意見をいただいて目標を一致させてから、やっと切り替えることができる。
その順番を間違えるとうまく進まないようなので、慎重にしているところだ。
その子はもう宿題を自力でできるようになっているので、職員は宿題ができたかどうかのチェックだけをして、その子がやりたいと言えばカレンダーにシールを貼るだけにし、ゆくゆくはそのチェックもなくしていきたいと思っている。
なぜなら、トークンエコノミーは、トークンのシールなりスタンプなりを集めたらご褒美をもらえる。
低学年の子どもにはまだ効果があるけれど、10歳を超えたら効果がほぼない。
また、ご褒美のために適切な行動をするようになるという弊害があり、つまりご褒美がないなら適切な行動をしなくなり、そのためご褒美をどんどん豪華にしていかなくては効果がなくなる。
そのようなことを上司に話すと、それは本末転倒ですね、以前から思っていたのだけど、やはりトークンを始めるかどうかは慎重にならなければいけませんね、と話してくださった。
私の担当の高学年の子については、私は絶対にトークンをしてはいけないと思っていたのだけど、
他のベテランの職員さんがその子に直接トークンを持ちかけて、トークンを始めようと思いますが担当さんはどうですか?と職員ミーティングにかけられた。
私はその場であからさまに反対することができず、日和ってしまったために、その子のトークンは始まった。
ただしそのトークンの目標とする登校支援以外の面で、その子に色々な良い影響が出てきた。
だからその良い側面に注目をして、より良い支援を考えているところである。
そのトークン好きのベテラン職員さんを抑えなければならないので、低学年の子のトークンを終了しようかと思うんですがと話をすると、
「え?シールだけでご褒美がないんなら、宿題しなくなるんじゃないですか?」と言われた。
差し当たり夏休みはそれでやってみて様子を見て、また9月からについては考えようと思いますと言うと、
それなら、様子見でやってみてもいいと思いますと、これについてはなんとか了承を得た。
もしかしたら、我々大人の方も、ご褒美がなければ適切な行動をしなくなっているのかもしれないと、
恐ろしいことに気づいてしまった。
そして子ども自身が考えて選んでいくという自立のイメージを持てないまま、支配的であることに何のためらいも危機感も持たない支援職の人々に、
表面的なアドラー心理学の技術を伝えるのは、私にはできないと思った。
私とは違う価値観に基づいて動いている人々だから。
この人々と協力して仕事をすること。良い関係を築いていくこと。
共に利用者さん子どもたちのために、より良い支援を考えて行っていくこと。
そのことと、利用者さん子どもたちにアドラー心理学の実践をして勇気づけしていくこととは、
別の次元のことなのだと思う。
なぜなら、これらが矛盾しないで私の中で位置付けられているから。
もしもそうでないのなら、どこかに自己欺瞞があるのだろう。
人(アドラーを共に学ぶ仲間の皆さんです。このブログを読んでくださっているあなたです。)の期待以上を目指さないこと、
優越性の目標を手放すことが大事である。
だから私は、劣等の位置に落ちている。
潔く、このまま落ちたままで、ひとつひとつの対応を心を込めて行っていこう。
一緒にお掃除をしたりお片付けをしたりという任務をこなして、心を開いてくださった利用者さんがいる。
同世代なので、懐かしい漫画やゲームの話を持ちかけて、楽しくおしゃべりしながら。
すごく綺麗になりました、ありがとうございます、と喜んでくださって、
キッチンが綺麗になったから早速新しいレシピに挑戦してみたんですよ、とその後話しに来てくださった。
それからしばらく、料理の話で盛り上がった。
彼女の生活が、少しだけでも明るい光を得たのなら、それはこの上ないことだと思う。
こうやって良い物語を紡いでいこう。
私は大して役に立たないままで、いよう。
理想の私に、さようなら。