足跡

今日は野田先生の論文のオンライン勉強会だった。

 

今日は硬い雪がどんどん降り、久しぶりにすべてが雪に埋もれた。

 

 

勉強をすればするほど、次にすべき勉強が見えてくる。

アドラー心理学の思想、理論、技法をより理解し実践することももちろん必要だが、

心理学全体の中のアドラー心理学の位置や範囲や歴史、

心理療法学全体の中のアドラー心理学の位置や範囲や歴史、

精神医学全体の中のアドラー心理学の位置や範囲や歴史、

それから現代思想や哲学の中にも置いて見る必要があるように思う。

 

それはアドラー心理学への単なる興味ではなくて、

そういう外の世界との境界を設定し、

今までアドラー心理学は外の世界からどのような影響を受けてきて、

今後どのようなものを取り入れられるのか、どのようなものは取り入れられないのか、

どのような工夫をすればアドラー心理学をより発展させられるのか、

そういうことを考えるためである。

これは私たちの世代だけでできるものではないと思う。次の世代の宿題となるだろう。

 

 

学問はいつも相互作用がある。

科学も思想も、常に更新されていく。

野田先生の論文を読んでいると、先生がより良い治療やより良い教育の方法を模索し、

ご自分の論をご自分で越えていこうとされていたことがわかる。

外の世界から、便利なもの、治療に有効なものはアドラー心理学と整合性が取れるかどうかを十分に検討してから取り入れ、

アドラー心理学の枠組みに対して破壊的なものからは絶対に守れるようにと、

様々なところで戦っておられたことがわかる。

 

私たちはこれまで、先生についていけばそれでよかった。

ついていくの、大変だったけれど…。

というか私はまだまだついていけてはいないのだけれど、

降り積もった雪の上にはっきりと残してくださった足跡をたどっていけばいいのだと思っていられた。

でも、これからは私たちが自分でこの新雪の上に足を踏み出さなければならない。

ただ先生の教えを死守しようなんていう人は、おそらく野田先生の弟子ではないだろう。

あれだけ冒険心にあふれた師匠だった。

私たちも先生が残してくださった宿題を手掛かりに、冒険していくのだ。

 

 

 

今日はゆっくり時間が取れる日だったけれど、あまり用事は進まなかった。

寒いと活性が低下する。昼寝もたっぷりした。

…そうだ、活性が低下すると、陰性感情に回すエネルギーも少なくてすむのはいいことだ。

大きな怒りや絶望を感じることはない。

ひとり静かに、寂しいとか悲しいとか、ぼんやりと見つめることができる。

 

しかし今日は、瞑想(五体投地含む)もドイツ語も家事も翻訳も勉強会も、毎日したいと思っていることはすべてこなすことができた。

成果はあまりないが、続けているうちに、少しずつ成長していくものだろう。

お稽古とはそういうものだ。