今日はプチパセージだった。
なんと、現在計画中のコースとは別の日程でコースを開催することができそうな運びになってきた。
パセージ開催ができるかどうかは、ご縁の問題だと思っている。
受講を決めた方が5人以上集まれば、開催することができる。
ただ、黙って待っていても開催には結びつかないので、こちらで色々と仕掛けを作っていかなければならない。
その仕掛けのうちの一つがプチパセージの開催である。
パセージは基本的には1章2時間半、1週に1回で8週間のコースである。
値段は基本的には2万円。パセージテキストは2千円。
時間的負担と金銭的負担がある。
大人のお稽古ごととして考えると、おそらく安い方だと思うけれども、
何も知らずに飛び込むのに躊躇するのは当然だと思う。
それで、自助グループの定例会や勉強会に来ていただいて、アドラー心理学の育児を学ぶ場とはどんな様子なのか見てもらったり、
プチパセージに来ていただいて、パセージの体験をしてもらったりする。
私のプチパセージはとんでもなくフリースタイルなので、プチパセージをしようと思っているリーダーさんにとっては、あまり参考にはならないと思う。
多くのパセージリーダーさんたちは、パセージを紹介したり体験したりしやすいように、プチパセージのテキストを作ったり、ある程度のパッケージングをされているように思う。
私の場合は、来てくださる方たちの、アドラー心理学やパセージへの様々なご興味ご関心に興味があるので、
なるべくそのニーズに沿うような内容にしたいと思っていて、毎回大いにアドリブで進めている。
1、自己紹介
2、アドラー育児の歌かアドラー保育の歌の読み合わせと質疑応答、話し合い
3、パセージテキスト1L子育ての二つの目標の読み合わせと話し合い
4、エピソードを話していただいて、みんなで代替案を考え、ロールプレイ
というようなざっくりの進行をするようにしている。
トータルで2時間か、2時間半。
今日は4ができなかった。これがメインなんだけど 笑
エピソードをお聞きすることはできて、子どもさんとお母さんのそれぞれの良いところについて話し合うことはできたが、
代替案を話し合う時間はなかった。
なぜなら、たくさんの質問をしていただいたので、
アドラー心理学の成立の歴史や理論についても、所属についてや勇気について、子どもの教育についてアドラーがどう考えていたのかとか、精神疾患についてアドラーがどう考えていたのかとか、不登校のこととか、それからスピリチュアリティについても、
様々な話題についてお話ししていたからだ。
プチパセージや自助グループに初めての方が来られる時、何回かに一度は、こういう深層心理学としてのアドラー心理学の話題になることがある。
私はとても嬉しくて、いつも、野田先生はこう仰っていました、と話す。
アドラー心理学というものは、誰から学んでも同じ内容なのだろうと思う。少なくとも、基本的なところにおいては。
科学であり学問なのだから、そうでなければならない。
でも、誰から学ぶかというのは、そこに人間関係が生まれるわけだから、学ぶ側にとっては大きな大きな差異があると思う。
私は野田先生の弟子だ。そして優子先生の弟子だ。
私の師は、アドラー心理学の内容を教授してくださっただけではなく、生き方で、私との関わりの中で、アドラー心理学を生きるということを伝えてくださった。
私は援助の技法としてのアドラー心理学を使うことについては、まだ駆け出しで稚拙だが、
野田先生と優子先生の生き方、アドラー心理学の実践から、アドラー心理学の実践とはどういうことかを学んだ。
師のように、相手を尊敬して信頼し、勇気づける人になりたいと思っている。
アドラー心理学とはどういうものかなんていう内容は、本や論文に書いてある。
そんな内容は、実は些末なことであると、私は思う。
(何度読んでも難しくて理解できないんだけど。だからみんなで学び合っているところなんだけど。)
最も大切なことは、どうやって生きていくか、人々とどんな世界を作っていくか、という思想であり行動であると思う。
今日来てくださった方たちは、アドラーの思想に触れて感動してくださっていたように思う。
育児の方法なんてね、些細なことだと思うんですよ。
大事なのは、私が子どもたちとどうやって協力して、助け合って、生きていくかということ。
そのためにパセージは確かに有効だと思う。
けれど、決して、自分の望むような子どもにするためにパセージを使ってはいけないと思う。
子どもが生意気に育ったら育児は成功ですって、野田先生は言っておられた。
親の意に沿わず、自立して、社会で居場所を見つけてなんとかやっていける、自分を世のため人のためお役に立てながら人生を楽しめるような、
そんな風に育てばいいなと私も思う。
翻って、私もそんな大人になっていると思う。
母もパセージで私たちきょうだいを育ててくれた。子育て成功ですね、お母さん。
私はとんでもなく生意気だ。野田先生に笑われたぐらい。
野田先生の話をするとき、私はとてもあたたかい気持ちになる。
野田先生を知らない方たちが、面白く、ためになると、聴いてくださるから。
そこに先生がいらっしゃるような気持ちになる。
聴いてくださった方たちが、もちろんパセージを受講してくださったりしたら嬉しいけれど、
もしかしたらもう二度とお会いできないのだとしても構わなくて、
私が野田先生から学んだことを、楽しみながら受け取ってくださることが嬉しい。
その方たちと野田先生をつなげたことが嬉しい。
翻って、会場の鍵を閉めて1人になると、野田先生がもうおられないことを、今さらながらそのことにため息をついてしまう。
「野田先生はよくこう言っておられたんですよ。」
私は、いつまでもそう言って、たくさんの方に野田先生のことをお話ししていくのだろう。
そして、そのうち野田先生を知っている人たちが少なくなって、やがて野田先生を知らない人たちばかりの世界がやってくる。
ああそうだ、私の子どもたちは、野田先生と共に生きた。
そのことが、今、私の希望に思えた。
先生は、いつもここにおられる。
私たちの中にいらっしゃる。