師曰く

今日はプチパセージと、野田先生の論文のオンライン勉強会でした。

 

 

プチパセージには、最近プチパセージや定例会に来てくださっているママ友がおふたりと、現在パセージ受講中のメンバーさんが来てくださいました。

子どもさんのことを大切に思って、できるだけのことをされていて、本当に素敵なお母さんたちだなと思います。

そしてもっとよいはたらきかけや方法があるのならば、とパセージに興味を持っていただけて、とても嬉しいです。

 

私はプチパセージが一番苦手で、終わったら未だに若干の落ち込みを感じます。

売り込むのが苦手なのです。

満足してもらったらパセージの受講につながらないし、

でも疑問やご質問には答えたいし。でも説明しきれない部分はたくさんあるし。

けれどもパセージを受講していただくことが目的ではなくて、アドラー心理学の育児の考え方を採用される人が増えることが大きな目的なので、

定例会やプチパセージで一緒に学び続けてくださる方が増えることが、とてもありがたいです。

 

 

小さなひとつのエピソードをお聴きして、

お話ししてくださった方の良いところ、子どもさんの良いところ、をみんなで話し合うと、そのエピソードの物語が急に別の可能性を持った物語へと変わります。

より良い対応について代替案を探して、みんなで話し合うと、お互いに協力し合う物語へと変わっていきます。

ロールプレイをして、みんなが子どもさんの役になってみて、なんだか嬉しいな、という気持ちを感じられたとき、勇気づけられたと実感できたとき、

ああよかった、と私は安堵します。

…ロールプレイはいつも緊張します。

 

 

 

 

 

私が何かを教えられるわけでもないのです。

ただアドラーはこう考えていたということ、アドラー心理学ではこう考えるということ、野田先生はこうおっしゃっていたということ、

私はメンバーさんたちとアドラーと野田先生とをつなぐ、透明なパイプなのです。

 

野田先生がお話ししてくださったことを、パセージでも、プチパセージでも、私は思い出したときにいつもお伝えしています。

過去形で話さなければならないのを寂しく思います。

そして、何もかもが前進していないように思えてきて、自分のしていることにあまり意味を見いだせなくなってくるのです。

 

アドラー心理学という名でアドラー心理学でないものを信じている人は世の中にとても多いようです。

しかし、それは私の偏見でしょうという反論はいつもあり得るのです。

私が野田先生から教わったものを誰かに伝えることはできるのか、遺していくことはできるのか、

揺らぎそうになります。

 

 

 

けれど、今日この日の、こんな風に子どもに接していけたらいいなと言ってくださった方たちの笑顔が、私に勇気を与えてくれます。

私には大きなことは成せないかもしれないけれど

こうやって小さな場面で、誰かのお役に立てることができるのなら、

そんな日々を重ねていこうと思います。

 

私がひとりで野田先生の言葉を繰り返しているわけでもないのです。

仲間たちが、一言一言、共に学ぶ仲間たちに伝えていっているのです。

それが大人たちに伝わって、それが子どもたちに伝わって、いつまでも生きてほしいと思います。