パラレルワールド

今日は本当に珍しく、危機的に落ち込むことがあった。

友だちにSOSを送った。

電話で話を聴いてもらった。

私の仮想的目標は絶対に絶対に達成することはできないと理解できて、

諦める決心がついた。

私の望んでいること、私の優越性の目標をよくわかってくれている友だちだから、

そしてエピソード分析を共に学んでいる友だちだから、

私を決して「かわいそうな私」のままでは置いておかない。

私以上に怒ったり呆れたり悲しんでくれたりするけれど、

建設的な方向に目を向けさせてくれた。

私の良いところをたくさん見つけてくれた。

 

心身が弱っているときは、電話してくれなきゃだめですよ、と

「この前落ち込んでたんだ」って話したときに言ってくれた。

過去形なら言える。

現在進行形で言うのは、とても勇気がいる。

でも今日は、がんばれそうになかった。

だから勇気を出して、落ち込んでますって伝えられた。

がんばらないのにも勇気が要るんだな。

弱ったままの私でも、大丈夫なんだって思えた。

ありがとう。

 

 

 

エピソード分析では、というかアドレリアンセラピーでは、

その対処行動ではない別の対処行動をしていればどうなるか、ということを考える。

代替案、オルタナティブウェイを探す。

今日の私のエピソードは、いわゆる隠れた相手役に対する陰性感情を抱いていて、

相手役はその場にはいなかったから、私は対処行動をすることがなく、事件は起こらず、

私が勝手に1人で落ち込んでいた。

だから私は今度その相手役に向き合うとき、まるで今日のエピソードが起こっていなかったかのように、行動しようと思う。

パラレルワールドを生きてみようと思う。

 

 

 

 

夕方、仕事を終えて歩いていると

向こうから制服を着た2人の男の子が仲良さそうに並んで歩いてきた。

私の子どもたちみたいに可愛いなあと思っていたら、

私の子どもたちだった。

交差点で向かい合って、互いに手を振った。

私の職場は、彼らの家の近くにあるのだ。

こんなところで会えるなんてね!ととても嬉しそうに駆け寄ってきて、色々とおしゃべりをしてくれた。

このままうちの家に一緒に帰れたらなあと言うと、それはすごく嬉しいけどお父さんが心配するからね、と大人っぽい返事をするふたりだった。

立派に育っている。

明後日会えるもんね!と、ふたりの頬と頭をなでた。

何度も何度も振り返りながら、手を振りながら、私たちは反対の方向へと別れた。

 

私は、こんな生き方を選んだ。

ふたりもそれぞれに、こんな私と付き合うことを選んでくれた。

私たちの選んだことは変わっているけれど、私たちは良い関係を築いていると思える。