バスに乗っている時だったか、歩いている時だったか、歌っている時だったか、
覚えていないけれど
ああそうか私は人の期待というものに自分の基準を置いてきたんだ、と今日気づいた。
昨日のオンライン抄読会で、子どもの頃になりたかった職業の話をしたからかもしれない。
その後、数年前に自分の劣等感を感じることについてのワークをしたことを思い出したからかもしれない。
心理療法のカテゴリーに入る問いは、さりげなく深層に誘い、
気づいたら手のひらに海底の貝殻を握りしめていたりする。
人の役に立つ、とか、人に良い影響を与える、に近いものが優越性の目標だろうと思ってぶら下げていた。
実際に役立ったという事実、影響という事実、そういう測れる現実的なものを私は求めてはいないような気がした。
だってそれならば、私はいつだって達成していたから。
優越性の目標ならば、そうじゃない、もっと掴みどころのない、私がひとりでどこまでも勝手に追い求められるものだろう。
それで、「期待を超える」かなと思った。
反対側の劣等感は、「期待外れ」だ。
期待されないことは、特に何とも思わない。私に関心を持たない人に、私も関心を持たないから。
私が相手にするのは、私に関心を持ち、私に期待してくれる人々だ。
その人々の期待に、応えるだけではいけない。
というか、人々の期待に応えるのは当然のことであって、
私はその期待をはるか超えたことを成し遂げなければ、私は私を許せない。
そうであるから、人に「期待外れだったな」って思われることは、恐ろしいことだ。
「あなたってそんな人だったんだね、そんなもんだったんだね」と軽蔑されることを
私は何よりも恐れている、かもしれない。
劣等感を感じることについてのワークをしたときに、
グループのメンバーさんが私の話を聴いてくださった後、
「美穂さんって、合格点取るだけでは満足できないんですね〜」と笑いながら言われた。
例えば合格点が60点だとすると、私は90点以上を取らなければならないと思う。
すごく頑張って80点を取ったとすると、私は90点に届かなかった…と落ち込むのだ。
合格点を取れていたらそれでいいじゃないか。それで何も問題は生じない。
それなのにさらに30点がほしいのは私の自己執着だ、と、私は思えるようになった。
それからすごく生きやすくなった。
そこに、私は人の期待値というものも加味するように思う。
例えば合格点が60点だとして、人が「美穂さんなら大丈夫。絶対75点は取れるよ。」と期待しているとする。
そうすると私は、95点を取らなければならないと思うのだ…!
なんでやねん!(笑)
そもそも、いつでも合格点を何が何でも取らなければならないと思っている時点で、思考に偏りがある。
不合格になれば、もう一度挑戦すれば良いだけだ。一番良いタイミングで合格は来るだろう。
そんなことを考えると、色々腑に落ちた。
基本的に良い子の路線で戦略を立ててきたのも納得である。
そのくせ私を評価しない人について私が全く気にしないのも。
全ての人に認められたいわけではない。
私を認めてくれている人たちの、期待を超えたいのだ。
ストイックだなあ。いやあ、しんどい人生だ…
初めてのことや慣れないことに手を出す勇気が持てないのも当然だ。
私はこの数年、たくさんの目に見える失敗を繰り返して、本当に良かったんだと思った。
一番大きかったのは、カウンセラー養成の試験に落ちたことだろう。
そこから、失敗することを恐れなくなってきたと思う。
未だに初めてのことは緊張するけれど、緊張の度合いが低くなったと思う。
職場の勇気をくじかれている子どもたちが、新しいことに挑戦できなかったり、一度失敗すると立ち直れなかったりするのも、それはそうだろうなと思う。
私も彼らと同じように臆病だと思う。
もう何もなくなったから、これ以上ひどくなることはないだろうと思えて、新しいことに挑戦できるようになった。
そういう意味で、彼らも私と似ているかもしれない。
どん底は、強みだ。
劣等感を真正面から見つめることができれば、それはもうほとんど、前進している。
吹奏楽部のAちゃんが、またしばらく学校を休んでいた。
そして、部活を辞めると顧問の先生に言いに行く、と決断した。
その詳細の日報を読んで、驚いた。
部活頑張りたいって、私にはお話ししてくれていたから。
でも、そうだあの日、他にやってみたい習い事があるって教えてくれた。
楽器はいつでもできることをあの日Aちゃんは知って、今好きな楽器ができないのであれば、スパルタな部活で無理をしないで、
今、やってみたい習い事を頑張ってみようって思えたのだろう。
本当に素晴らしいことだと思った。
それを自分で決めて、親や顧問を説得しようと決めて、実際に行動に移すこともできた。
それはAちゃんにとって、とてもとても勇気のいることだったと思う。
良い子でいたい戦略の子だから。遅刻するぐらいなら欠席したいと言う子だから。
いつも小さなことでも、仲良しの職員のお姉さんに相談して、
あれこれ不安を解消してもらって励ましてもらって計画を立ててもらって、
そうやってお膳立てしてもらって背中押してもらって、それから行動に移す子だったから。
急に部活辞めるなんて言い出してびっくりしたって、職場のみなさんが言っていた。
自分で決めて行動する勇気を持てたんだね。
私は一言もアドバイスなんてしないまま、Aちゃんを勇気づけられたんだって、ひとりで満足しておこう。
この職場にいて私が不思議としんどくなかったのは、誰も私に期待なんてしていなかったからなのだろう。
徐々に私の働きかけが意外と良い作用があると、なんとなく思われてきているようだが、
ここが私の優越性の目標に走り出す、苦しみの生まれるスタート地点になる。
初心を忘れず、私は人に期待なんてされていないと思い込んでいよう。
ここはアドレリアンがアドレリアンとして働くことなんてできない職場だ。
私は自分のやりたいことを達成するためにここにいるんじゃない。
自分のやりたいことができない状況でどこまで自分を役立てられるか、という修行だ。
…私の私に対する期待値は恐ろしく高いな。
でも、他人を基準にするよりはずっといいだろう。私の自由は自分の手の中にあるから。