妖精と

今日は絶対的休日。

コーラスのお誕生会の舞台があった。

その後はアドラーの勉強を一緒にしている友だちふたりと、1人ずつゆっくり話をしたりご飯を食べたり。

 

今年度の舞台はこれが最終。

幼稚園の子どもたちが、お誕生会の私たちの舞台を楽しみにしてくれている。

一緒に歌ってくれて、手拍子したり体を揺らしたりしてくれる。

工作が得意なお母さんたちがたくさんの小物や人形を作ってくれる。

盛り上げ上手なお母さんたちが司会をしてくれる。

面白い演出を考えてくれるお母さんたちもいる。

なぜか毎年毎年、素晴らしい人材が集まっている。

私の子どもたちが園児だった時から、このコーラスサークルはそうだった。

長い方は、ここの園児だった子どもさんがもう大学を卒業していたりする。

卒園してからもずっと続けることができるサークルだけど、

年度が変わる時にはやはり、さようならしてしまうメンバーさんが多い。

 

歌うことでひとつになれる。

それぞれの舞台はどれも一度限り。

この場所があることで私は精神の安定を図れていると思う。

きっと吹奏楽をしていた中高生の時も、そうだったんだと思う。

そして中高生の時も、先輩方の引退や自分たちの引退がとても寂しかった。

今この音楽を奏でられるのは、一度限りで

このメンバーで演奏できるのも限られたこの時だけなんだと、深く深くわかった。

 

同じように、一時的な入所施設である私の職場も、異動のあるこの会社も、

人々は同じメンバーでは留まらなくて常に動いていく。

私の自助グループもそうだ。人の移動が大きく動き始めているのを感じる。

遠くへ行ってしまったメンバーさんや、これから遠くへ行かれるメンバーさんが多い。

いや、パセージだってそうだ。

 

すべて、一度限り、その時限りのメンバーで構成される。

そして私は、いつも、そのことをひとり寂しく思う。

一番大きなさようならをしてきたくせに。

 

 

 

☆☆☆☆☆

 

そろそろ退所することになりそうな利用者さんたちがいる。

その子たちのことを思う。

一緒にいられる時間は限られているから、私にできることをしたいと思う。

福祉職としては、生活のノウハウを伝えたり、関係機関との連携を強めたり、

具体的な外部環境を整えることが主眼となるようだ。

でも私は心理職的な発想でいるので、何があっても前を向いて生きていけるよう、勇気づけることが主眼となる。

 

 

妖精のような子どもたちがいる。

週に数日、数時間だけ学校に行くような、それ以外は部屋でひっそりと過ごしているような子たち。

会えたらラッキーって思えるぐらい、姿を現すことが珍しい。

彼らが母に何かを要求することもほとんどない様子で、静かに、自分の世界に閉じこもっている。

でもそんな彼らと、私も時々出会えるラッキーな日もあって、昨日はそんな妖精くんのうちのひとりを学校へ送った。

 

13時に出発という予定を告げてくれていた。

5校時からの登校だ。

12:50に仕事から帰られたお母さんに、13時に出発するので様子みてあげてくださいと伝えると、

寝てます〜と内線があった。

登校時間を学校に連絡しているのでどうしようかと担当の職員さんと相談して、もうちょっと起こしてみますとお母さんが言われた。

何とか起きて、妖精くん自身は6校時だけでも行きたいんだけど、それでもいいかなと本人が気にしているので学校に連絡してほしいと言われた。

学校に連絡をして、いつからでも来てくださいとの先生の伝言を伝え、13:40に出発することとなった。

5校時の途中に学校に到着して、「あー6校時、間に合ってよかった!」と喜ぶ彼。

「よかったね、行ってらっしゃい」と、私も嬉しく思って生徒玄関で見送った。

「行ってくるー!」と大きく手を振って妖精くんは校舎の中へ入っていった。

 

彼の場合は、怠けているとかそういうのとはまたちょっと違うのだ。

よく気のつく優しい子で、

障害のあるお姉さんのご飯を用意したり、働くお母さんを労ったり。

とても礼儀正しい、聡明な子だ。

とてもとても繊細だ。

学校がすべてとは思わないけれど、この繊細な彼がどうやって社会に適応していけるのかなと気にかかっていた。

でも、オンライン勉強会でアドラー心理学について仲間と話し合っていると、

私たちが彼らと良い関係を作っていくことで、あるいは私たちが彼らの周りの家族と良い関係を作っていくことで、

良い物語が私たちとの間で、その家族の間で作られていき、

そうやって社会と調和して暮らせていけるんじゃないかと思えるようになってきた。

 

受けたかった6校時の体育を終えて、彼がバスで帰ってきて道を歩いているところに、

ちょうど勤務が終わった私が通りかかった。

「体育できた?」と声をかけると、「うん!」と手を挙げた。

「よかったねー」と言うと、うなずきながらしばらく黙って歩いて行って、

かなり離れたところから「あのねー〜で〜だったよー!」と言って走り去った。

何がどうだったのか全然わからなかったけど(笑)

彼が私に何か伝えたいと思ってくれたこと、何かを発してくれたことが、とても嬉しかった。

大事なのは、中身じゃないって思ってしまう。

私たちが繋がろうとする互いの気持ちを、あたたかく受け止め合えること。

それが何よりだと思える。

 

少しでも学校に行こうって思えていて、毎日毎日、今日はどうしようかなって一生懸命考えて、実際に1時間だけでも行けるようになってきたことは、

これまでの彼を知っている職員さんたちからすると、激変だという。

確かに夏頃までは、お母さんから、今日も休みますっていう内線が入っていた。

それが、少しずつ彼自身が内線に出て、私とも登校時間について相談できるようになってきた。

…わかっている。学校ってそういうところじゃないって。

これはとてもとても微々たる成長だって。

でも彼にとっては、ものすごく大きな成長なのだ。

その彼の尊い成長を、共に喜び合える職員さんたちや、お母さんがいることが、私は嬉しい。

彼はその妖精のように美しく繊細な彼のままで、共に生きていきたいなと思う。

彼が彼らしく社会と調和して暮らしていけるように、勇気を持てたらと願う。

 

 

 

私が彼ら彼女たちに対して何ができるかなんて、本当にわからない。

でも、共に生きていくということが、なぜだろう、嬉しいと思える。

この限られた人生で、出逢えたことを大切にしたいと思う。

中身なんて本当はどうでもいいように思えてしまう。

同じ歌を歌って、同じものを食べて、同じことで笑って、そうやって過ごしたエピソードが物語を作っていく。

そうやって最後に私に残るのは、物語だけなんじゃないだろうか。