細切れの物語

『見習い職人フラピッチの旅』という、

原書は1913年発刊のクロアチアの児童文学を読み終えた。

少しずつ、次男に読み聞かせていた。

あまりに面白いので、次男は私の読み聞かせを待ちきれず、自分で読み進めていたが

私に続きを読んで読んでと言ってくれた。

長男は数ヶ月前に読み終えていたが、ほとんどを側で聴いていた。

数ヶ月かけて、3人で一緒に旅をした。

 

フラピッチは、たくさんの人々を、自分にできる小さな力と思いやりで助けていく。

そしてたくさんの人々が、同じようにして自分にできる小さな力と思いやりでフラピッチや他の人を助け、

回り回って、フラピッチの苦境を救うことになる。

 

物語として素晴らしいのは、数々のエピソードが感動的であるだけでなく、

主人公フラピッチと出会う登場人物たちが、それぞれが描かれる場面は少しだけなのに、

他の登場人物たちと関わり合い、伏線の回収が見事であるところだ。

世界全体の中に、人々は組み込まれているのだとわかる。

その全体論的見方を、物語は教えてくれる。

 

人生はままならない。

ままならない人生を、皆が生きている。

そのことを子どもたちと味わいながら、

でもそのままならない人生の中で、輝くものがたくさんあることも子どもたちと味わった。

貧しい人々のつつましい暮らしが、何より美しいと思える。

そして、少年フラピッチの見習い職人としての誇りを、私は羨ましく思う。

 

数年前、学会のシンポジウムで報告するために、ドイツの手工業の職人、徒弟制度、遍歴職人について調べていたことがあった。

結局その話題については報告から全く削ってしまったのだけど、未だにとても興味は持っていて

物語に遍歴職人や見習い職人といった名前が冠されていると、手に取ってしまうようになった。

ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』を手に取ったのも、そういった職人物語への興味からだった。

(続編の『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』をまだ読んでいないことを思い出した。)

 

 

 

 

フラピッチのことが、この本では「誠実」とよく表現されていた。

自分のことをかえりみず、ある人のために、自分にできることをする。

その真っ直ぐな勇気に、人々は胸を打たれ、人々を動かす。

フラピッチひとりの力ではできなかったことが、人々の協力によって成し遂げられる。

例えば火事を消す場面などではそれがわかりやすく描かれていた。

けれどフラピッチは旅人だから、いつまでもその仲間たちと共にいるわけではない。

その一瞬だけ、物語を共にする。

 

私の思う誠実さとは、どんな時もいつまででも、ある人を思い続け、ある人のために行動し続けること、という定義だったかもしれない。

だから、他の誰かのために行動し他の誰かを思いやるとき、

それまで自分が思いやり、行動していた相手を蔑ろにしているように思えてしまっていた。

それはとても薄情なことだと思っていた。

 

だから、私の仕事ぶりは、とても薄情だと思っていた。

ある利用者さんのお話を聴いて、その方のために今私に何ができるかなと考えて、行動して、

これからのことを共に話して、少しでも楽しい時間を過ごそうとして、

そうして一連の対応を終え、事務室に戻り、日報に書く。

日報を書き上げるか書き上げないかのうちに、

また別の利用者さんのお話を聴いて、この方のために何ができるかなと思って、一番良いことをしようと努める。

そうやっているときは、さっきまで私の全てで向き合っていたあの人のことを、私は完全に忘れている。

そして、その別の利用者さんの一連の対応が終われば、

ドライな文章で日報を書き上げるのだ。

この繰り返しを、私は薄情に行っていると思っていた。

 

私の子どもたちに対しても、そうだ。

平日は父親のところで暮らしている彼らのことを、私は常に常に思い続けているかというとそうではない。

でも我が家に来る予定を考えたり、準備をしたりする時や、瞑想するとき、そしてもちろん我が家に来てくれている間は、

子どもたちのために私のできる限りのことをしたいと思って行動している。

でもそれは、薄情だなと思っていた。

 

過去形で書いてみたけれど、やはり、薄情だと思う。

でも、人はいちどきに、幾つものことはできないから。

瞬間を、目の前の相手のためだけを思えることは、薄情ではないと思えるようになった。

裏表だ。

目の前の誰かのことだけを思いやるとき、他の人のことを思いやることはできない。

ペルソナが離散的であるということ、私はこんな風に実感する。

けれども私は、統一されたライフスタイルを持ったひとりの人間であるから、

決してペルソナが変わるごとに私が変わってしまうわけではない。

忘れてしまうわけではない。

そして、私と相手との間の物語が、消えてしまうわけではない。

しかも、どのペルソナでいるときも、同時に、世界全体の幸せのために自分にできることを考えることはできる。

 

 

そう思うと、例えば職場にいるときに、私の子どもたちのことを私がすっかり忘れてしまっているかのように思える瞬間があっても、

それは私の子どもたちに対して、私が薄情であるとは、思わなくてもいいのかなと思えた。

 

そう。職場の子どもたちと一緒にいるとき、彼らが私の子どもたちについて聴いてくれることがある。

私の子どもたちと一緒にいるとき、職場の子どもたちについて聴いてくれることがある。

そんなとき私はとてもとても嬉しくなる。

ああそうだ、細切れの物語が私を通して繋がって、彼らの物語に重なっていくからだ。

私はこのひとつの大きな物語の中で生かされていると、感じられるからだ。

 

 

 

 

1年生のSちゃん。

「ねえねえMさん、今忙しい?」と私の席の後ろの、庭に面した窓から顔を覗かせた。

「ううん、忙しくないよ。」

「あのね…来て!」

「はいはい、行きましょう。」

「あのさ、いつまで外にいてくれる?」

「あー、あと45分で私のお仕事は終わりだわ。」

「わかった。じゃあ45分、いてくれる?」

「いいよ。」

「うん!来て!」ぴょこぴょこ跳ねるSちゃん。

 

庭に出ると、「こっち来て。あのな、自転車乗るから見てて。」と駐輪場へ連れて行かれた。

そうだ、一昨日お兄さん職員さんに、コマを外してもらっていたね。

私を練習のお付き合いに抜擢してくれたこと、とてもありがたく思いますよ。

ちゃんと丁寧にお願いしてくれるようになった。

私の都合をきいてくれるようになった。

本当に本当に、この子はなんて変わったんだろう。

今日も彼女は悲しいことがあったのに、気持ちを切り替えて、

そしてこんなに一生懸命に自転車の練習をしている!

可愛いな、本当に可愛くていい子だな、って思った。

そんな私の気持ちを感じてくれていたのだろうか、練習したり、休憩したり、練習したりして、

上手に乗れるようになって余裕が出てくると、

「Mさんの小学校ってどんな学校だったの?」なんて、大人っぽい口調で世間話してくれた。

「山にある学校でね、毎日バスに乗って、バス降りてから30分坂道を登って通ってたんだよ。

高い山の上の方にあったから、運動場からは海が見えたんだよ。

6年生の教室からも、山の下に広がる街と、海が見えたよ。

それでね、運動場から校舎の方を見たら、校舎の後ろに大きな山も見えたよ。

学校、好きだったな。

放課後は、お友だちとドッジポールしたりして遊んでたよ。」

「へえー。いいねえ。」

「Sちゃんの学校からも、山が見えるね。」

「うん、きれいに見えるよ。」

「いい学校だね。」

「うん!でも海は見えないな。いいね、そんな学校。」

Sちゃんには語らなかったけれど、思わぬところで、小学校の早期回想を思い出させてもらった。

Sちゃんと良い関係でいられるこの瞬間に思い出したから、良い早期回想が思い出せたのだ。

 

 

Sちゃんと小学校について語りながら、同時に私は、1ヶ月ほど前に、仲良しの利用者さんと話したことを思い出していた。

病院に同行していたとき、娘さんが高校に受かって良かった、とおしゃべりしていた。

高校の話から、「どんな高校行ってたの?」と、私に聞いてくれたのだった。

この方が私に関心を持ってくれたんだということが、とてもとても嬉しかった。

「山の上の方にある学校でね、電車に乗って、駅から40分ぐらい坂道を歩いて通っていたんですよ。

教室の窓からは、山の下に広がる街と、そのずっと先にある海が見えました。

授業聞かずに、よくぼーっと窓の外を眺めていました。

晴れた日の神戸港は、水平線が空に続いていて、船が空に浮かんでいるように見えたんですよ。

部活帰りに長い坂道をみんなで下るとき、その景色を見るのが好きでした。

運動部なんかは、その坂道で坂ダッシュって言って走り込みしたりしていましたよ。」

「へえ〜。眺めがいいなんて、いいなあ。」

しばらくふたりで、海を思っていた。

「私はな、水産高校に行っとったんだ。」

「へえ!そうだったんですか。」

「うん。毎日汽車に乗ってな、船に乗ってな、それからまた汽車に乗って、遠くまで通っとった。

学校ではゴムのエプロンみたいなのかけて、魚さばいて、缶詰にしたり、パック詰めにしたり、色々作業したんよ。」

「へえー!」

「けっこう面白かったよ。だから私、魚さばけるんよ。みんなで機械も使ったりしてな。あの頃は、楽しかったなあ。」

 

思わぬところで、良い中期回想を思い出してくださった。

この方にも、若くてきらきらした青春時代があったんだと知って、私は幸せだった。

私たちは病院の待合室のベンチで、共に美保岬と神戸港を心に描いた。

私たちは別々の人生を歩んできて、ここで出会ったことが不思議な喜びだなあと思った。

 

 

 

 

小学5年生と6年生の女の子。

互いに色々な大変な事情を抱えた子たちだけど、4月にここで出会った時から、ふたりはずっと仲良し。

最近は休日に、近くの公園やスーパーにふたりで出かけたりしている。

今日もふたりで午前中に出かけて、午後からはふたり並んでピアノを弾いたり、並んでパソコンでゲームをしたりしていた。

仲良くゲームをしているふたりを見ながら、

この子たちはいつここを出ていくかわからない境遇だが、どちらかの退所は彼女たちが別れることを意味するのだ、と急に気づいた。

互いの存在がどれほど心の支えになっているか、はかりしれないふたり。

ここで出会えたこと、本当に良かったね、と思えた。

それと同時に、自分ではどうにもできないふたりの別れがやがて来ることに、私はひとり泣きそうになっていた。

 

でも、今の時代は、離れていても繋がることができる。

春から高校に上がる女の子は、ここを退所した仲良しの子が通っている高校に受かった。

今日は、その友だちと遊ぶんだ、と出かけて行った。

 

今、この瞬間、私たちは出会えている。

そのことの儚さと喜びを、大切にしたいと思う。

帰り際、庭に出ていた5年生と6年生のふたりに、じゃあ、またねって手を振ったら

またねーって、ふたりが私の手に手を重ねてくれた。

私たちの物語は、重なっている。