サクラガエル

今日は絶対的休日。

朝から子どもたちと、子どもたちの友だち、私の友だちと待ち合わせをしてお花見に出掛けた。

 

お城跡の山の公園が桜の名所である。

昨年はまだ少し頑張っていた屋台も、今年は一店も出ていない。

それでも花を愛でにたくさんの人が集まって来ていた。

 

登ると、花霞の向こうに町が見渡せる。

頂上まで登る組と中腹で遊んでいる組に分かれた。

私は中腹で遊んでいる組だった。

次男と、もうひとり小さな友だちと一緒に、石垣の上に座って

小さな石垣を積んだり、松ぼっくりを解体したり、ホトケノザの蜜を吸ったりして遊ぶ彼らを眺めたり、

石垣を登り降りする彼らを眺めたりした。

かなりの時間が経ってから、長男ともう1人の友だちが下山して来て、

みんなで角の取れたガラスのかけらを探し始めた。

宝石みたいだよ!と言って、夢中で集めていた。

 

 

昨年も友だちと子どもたちの友だちと、私の子どもたちと一緒にここに来た。

次男もよく覚えていた。

花吹雪の舞う中を走り回っていた彼らが美しかった。

私はこの先どうなるかわからな過ぎて、今だけを焼き付けようとしていた。

あれからちょうど1年。

今年の桜は少し遅いみたいで、まだ満開ではない。

花びらは散らず、これからもう少し咲こうとしている。

 

 

お昼になって帰った友だちたちもいるけれど、

私たちはお昼ご飯を買って、また別の大きな公園に行くことにした。

幼稚園の親子遠足で毎年来ていた公園だ。

桜もたくさん植っていたと初めて知った。

こちらの公園もほぼ登山だ。

平衡感覚がやられるミステリーハウスに入ったり、アスレチックをしたり、生垣の迷路をしたり。

親子連れがたくさんだった。

私たちも普通の親子みたいだった。

 

帰り際、落ち葉の積もった斜面に、動くものを見つけた。

アマガエルだった。

長男はそっと捕まえて、お昼ご飯に食べたいなり寿司のパックを出してくれと言った。

落ち葉と一緒にカエルを入れて、

すっごく可愛いねえ!飼いたいから連れて帰っていい?お願い!

とふたりが言った。

ちゃんと飼えるの?と聞くと、飼育の仕方はわかるし、うちには餌もあるから大丈夫!と言う。

じゃあどうぞ、と言うと、

ふたりはその後まったく、まったく、一言も言い争うことなく、嬉しそうにカエルを覗き込みながら仲良く過ごしていた。

出かける前、喧嘩していたんだけど。

 

帰る前に、自由帳を買ってくれと次男が言った。

買って帰ると、早速「ぼくカエルちゃんスケッチするんだ!」と言って

玄関でカエルの側に腹ばいになって絵を描き始めた。

絵日記だよ!と見せてくれた。

カエルも、葉っぱも木の枝も、パックに貼られているお寿司屋さんのシールまで描いてある。

絵の下には線を引いて、げんきなアマガエルをつかまえました、などと書いてある。

 

幼稚園のときから、彼らは本当に小さな生き物が好きだった。

幼稚園のお散歩で捕まえて来たおたまじゃくしたちを洗面器に入れて庭で飼っていたら、

カエルになって逃げ出して、おたまちゃんがいなくなっちゃったと次男が泣いていた。

長男は飼育ケースに入れたヤモリのやもちゃんと、毎日毎日一緒に登下校していたことがあった。

 

パックの中のカエルは、移動すると時折葉っぱの色や木の枝の色に合わせて体の色を変えた。

見て、ここに茶色の点ができたよ!とか、緑になった!とか、ふたりは飽きることなく眺めていた。

 

 

YouTube見たり、勉強したり、ご飯食べたり、

彼らの父親が迎えに来るまで音楽を聴きながらおしゃべりしたり、

ゆったりした午後を過ごした。

今日は子どもたち中心の一日だった。

 

次の週末に会うときは、長男は6年生、次男は2年生になっている。

会えないでいる日々は、特別寂しさを感じたりなんかしないけれど

またね!って手を振って扉を閉めた瞬間から、寂しさに覆われる。

幸せな時間があればあるほど、よけいに寂しい。

桜の花びらと、小さなカエルと。

映像化され、象徴化され、物語化してしまったから、よけいに。

一体、今までの時間を私はどうやってやり過ごしてきたんだろうと思うぐらい、

いつもこの時間の過ごし方がわからなくなる。