プレゼント

今年はクリスマスイブもクリスマスも、朝から仕事だ。

子どもたちとの恒例のクリスマスを過ごすことができないので

少し早いけれど、今日プレゼントを渡した。

前々から一緒に相談して、リクエストされていたもの。

長男は財布、次男はギズモ(グレムリンになる前の生き物)のぬいぐるみ。

それから、これはサプライズで『M.C.エッシャーと楽しむ算数・数学パズル』という本。

 

ギズモは今日の夜に届く予定だったので、待ちかねていた次男は

届くと早速、お気に入りのぬいぐるみたちと挨拶をして親睦を深めていた。

いつものように曲が聴きたいと言い、今日は歴代仮面ライダー戦隊もののテーマソングを流し始めた。

ぬいぐるみを操るのが大変上手な長男に「お兄ちゃん踊らせて!」とギズモを渡す。

テーマソングの振り付け通りの見事なダンスを披露してくれたギズモは、

側にいたぬいぐるみたちとバンドを組むことになり、

ドラム、ベース、ギター2本、キーボード、ボーカル、(時々、三味線、トランペット、サックス)の演奏が始まった。

曲に合わせて3人がそれぞれ2、3匹のぬいぐるみを演奏している風に動かすという地味な遊びなのだが、

楽しすぎて我々は1時間も延々と演奏をしていた 笑

楽器の音を聞き分け、リズムに合わせて動かさなければならないので、なかなか頭も使うのである。(ほんまかいな)

 

十分に演奏を楽しんだ後、

「あー、うちに来てすぐにこれだけみんなと仲間になれて、ほんとによかったね!」

と言って次男はギズモを抱きしめていた。

寝る前に布団に入って、ふたりに本を読んであげている時も

次男はギズモを撫でたり抱きしめたりしながら聴いていた。

もうちょっと読んでと言うのを繰り返しながら、きりのいいところまで読んで

おやすみを言って明かりを消すと、すぐに寝息が聞こえてきた。

 

暗闇の中でふたりの寝息を聞いていると、まるで満ち足りていることを感じた。

これ以上何かしようと思うことがない。

 

 

ひとりでベッドを抜け出して、バンド活動で忙しくて洗えていなかった食器を洗った。

今日と昨日、自助グループや個別に、私のもとへアドラー心理学を学びに来てくれた人や友だちのことを思った。

今年、私に色々な話をしてくれた何人もの友だちのことを思った。

一緒にちょっとした美味しいものを食べて飲んで、笑って、少し泣きそうになったりして。

私がいなくても世界は同じように回っていくとはっきりあきらめがついてから、

私は私が必要に思うひとりひとりの心の中に、ちゃんと私の居場所があること、私のことを同じように必要に思ってもらえていることを感じられるようになった。

 

 

それは長男と次男についても同じだ。

彼らの生活は、私がいなくても元夫が愛情深く、きちんと整えてくれている。

彼らは健やかに育っている。

そして、私は彼らのひとつの居場所でもあるし、彼らの中に私の居場所もある。

 

私が座ってヒーターをつけようとしていると、横に立った長男が言った。

「なんかお母さんがすごく下の方に見える!僕、昔、立ってもお母さんのここぐらいだったよね。」

しゃがんで目を合わせて笑う。

「そうだよ〜。小さくて、すっごく可愛かったんだよ。あまりに可愛いから、もうひとり子どもがいたらいいなあって思ったんだよ。」

「それでしゅんすけが来たんだね。」

「そうだよ。」

「僕、お母さんがこんなに僕たちのこと可愛いなって、大事に思ってるって、前は知らなかった。今はわかるようになったけど。」

「ありがとう。十分早いんじゃない?」

「え?そうなの?」

「うん。中学生の反抗期って、親が自分のことそんなに大事に思ってくれてないって思っちゃうからだと思う。だから中学生になる前に知っているのは早いよ。」

「ふーん。」

嬉しそうに少年は笑った。

次男がお座りができるようになった頃、次男の周りにぬいぐるみたちを座らせて、みんなを同じように可愛がっていた君を思い出した。

次男がいて本当によかったね。

 

 

クリスマス前の私の楽しみで、3人でシュトーレンを食べた。

輸入物のシュトーレンで、少しクセが強い。

ふと、母も今スイスでシュトーレンを食べているだろうかと思った。

「今、おばあちゃまはスイスのイヴォンヌ先生のところに、優子先生と一緒に行ってるんだよ。」

イヴォンヌ先生とその夫さんは、長男が生まれたときに野田先生が日本へお招きされていたから、新生児の長男を抱いていただいたこともある。

長男「あ、絵本もらったことなかった?」

私「そう!しゅんすけが生まれたときに、『Pitch』の英語の絵本をプレゼントしてもらったの!」(日本語版では『こねこのピッチ』)

長男「今日、なんでか僕『Pitch』と『たんじょうび』が目に留まったんだよね〜。」

私「きっとふたりのことお話ししてくれてたんだわ。」

次男「ピッチ大好き〜♪」

 

でき過ぎのように、私のすべてのエピソードが編み込まれ、この今に繋がっていく。

私は本当にたくさんの人たちのあたたかい繋がりの中で生かされている。

 

 

 

 

先日、廊下ですれ違ったとき、「娘の成績がクラスでトップだったんよ!」って、ある利用者さんが嬉しそうに話しかけてくれた。

そんな風に娘さんのことを喜べるようになったんだ、そしてそれを私に話してくれたんだって、

とてもとてもびっくりして、嬉しかった。

その方と娘さんとは以前に色々あったことを知っているから。

 

認知の歪みの大きな方で、いつもその不健康なところで注目関心を得るために一生懸命だ。

でも8月だったかの夜に初めて私と電話をしたときに、

私に興味を持ってくれて、私の話を聴いてくれたことがあって、

何の気なしに色々しゃべっていたら、「Mさんも大変なんだなあ。がんばってなあ。」って言ってくれたのだった。

バカな私はそれをただの社交辞令とは受け取れなくて、とても嬉しく、ありがたく受け止めた。

それから、彼女とたまに話す機会があると、彼女の不健康な話じゃなくて、普通の世間話ができるようになった。

身体が健康になってこられたことも大きいと思うけれど、ああこの方も健康なところがたくさんあるんだって思えるようになった。

私はそこで繋がっていようって思えた。

 

そうしたある日、スーパーでばったりその母娘に会ったことがあった。

娘さんに会えたのはもちろん心から嬉しかったんだけど、お母さんに会えたのも、懐かしい友だちに再会したようで、嬉しくなってしまった私に驚いた。

「1人分のお弁当なんて作るの面倒でしょう、私は娘がいるからなんとか準備しようかって思えるけど」

って、私を労ってくれたことも嬉しかった。

その日は私は夜勤だったから、また後で会いましょうねって手を振って別れた。

夜出勤してから娘さんとすれ違ったとき、いつもとは違ったいたずらっぽい顔で、にこにこ笑って手を振ってくれた。

 

そんな風に、どうしようもないぐらいにこちら側が不健康な側面しか見えなくなっている相手とも、

私たちは必ず、健康な側面で繋がって、美しい物語を編んでいくことができるんだって、

私は彼女から教えてもらった。

 

 

 

3年生のMくんが、折り紙のサンタを「Mさん、これ」ってプレゼントしてくれた。

ありがとうと言うと、「俺、折り紙うまいけーな!」と男気ペルソナで応えてくれた。

少しずつ、ひとりひとりの職員のために折って渡している。

少しずつ、事務所のパテーションにカラフルなサンタが増えていく。

私は仏教徒だけど、みんながそれぞれにささやかなプレゼントを贈り合って、あたたかい気持ちを分かち合うクリスマスというものは素敵だなって思う。

 

私は本当にたくさんのものごとを、たくさんの人たちからプレゼントされている。