雨夜

引っ越して1ヶ月が経って、一昨日ようやく本を全て本棚に収めた。

読んでいない専門書や勉強に必要な本が大半だ。

この古紙の束のために私はかなりのコストをかけている。

この半年間、ほとんど本を開いてもいないというのに。

贅沢なことだ。

でも私の一番大切にしたいことは本を読み、学ぶことなのだ。

それは幼い時から変わっていない。

 

引っ越して1ヶ月が経って、今日ようやく自分で無線ルーターを設置して接続ができた。

やっと高額なオプションサービスを解約できた。

と言っても一筋縄ではいかず、途中でインターネットが使えなくなったり、色々なトラブルがあったのを、

長男と一緒に説明書を読んだり色々試してみたりして、なんとか快適な環境に整えることができた。

10回ぐらいは心折れたかな。

でもインターネットが繋がらなければオンライン勉強会に参加ができないから、長男がいてくれる間に何とかしてしまおうと頑張った。

繋がらなければ死活問題だと思って、ライフラインになっているんだなと思って、あれだけネット環境に感謝をしたというのに、

もうあの必死さを忘れて、私はYouTubeで音楽を聴きながらこうしてブログを書いている。

当たり前のように。

贅沢なことだ。

 

 

本当に私は贅沢な人間だ。

もっと我慢をできていれば、子どもたちとも一緒に暮らしていただろうに。

今晩は後悔を味わっている。

子どもたちが来てくれて楽しく幸せな時間を過ごして、彼らが帰ると

私は寂しさととり残される。

だけどやはり、この生き方を選んでよかったと思う。

理由は様々にあるが、

一番は、私が私の面倒を見ていけるようになったこと。自立し、自分を大切にできるようになったことだ。

 

 

子どもたちはこの生活に十分に慣れたようだ。

長男は受験生。自分でコツコツと勉強を進めている。

絵を書いたりプログラミングでゲームを作ったり、遊んでばかりのように見えるが、勉強もしっかりしている。

彼の父がうるさく言うこともなさそうだ。

私の家にいる間、ほとんどずっとしゃべっているのではないだろうか。

たくさんのことを話してくれる。

あまりにずっと喋り続けているので、私が用事をするときには「ちょっと今は私の頭に入らないからね」と言うこともある。

「いいよ、また話すし、あのね、それでね、」と延々と話す。

私がいいかげんに聴いていても彼は構わないみたいだけど、「あ、それってこの前言ってた本の話?作者一緒だったっけ?」などと私が言うと、

「そうだよ!あれ、お母さんちゃんと聴いてくれてたんだ〜」と感動してくれる。

私はできる限り、君の話を聴いていたいと思う。君とおしゃべりをしていたいと思う。

私と似ているなと思う。

…そういえば私も、母といるときはほとんどずっとしゃべっているような気がする。

 

次男は九九に苦労している。

練習するのが嫌いな彼は、こういう練習量がものをいうことが苦手なのだろう。

お母さん問題出して、と言ってくれるので、喜んで九九の問題を出す。

真面目な彼は、少し間違えただけで「あ〜覚えれてない〜」と悔しがる。

一生懸命覚えようとしていて、素敵だなと思う。

お風呂でもご飯中でも、ふとした瞬間に九九の問題出してって言ってくるのがすごいなと思う。

すぐに泣いたり泣き真似したり機嫌を損ねてわあわあ言ったりするけど、この人は多分ものすごくしっかりしていたい人なんだろう。

できることならばなるべく練習をせずに、良い結果を叩き出したいんだろう。

それも私はよくわかる。

でも私よりずっと要領の良い彼は、楽々こなせているように傍目からは見えてしまうだろう。

涼しい顔を保つために、水面下では結構頑張っているんだなあと思う。

 

お仕事でどんな面白いことがあった?お話して!と次男にせがまれた。

急に小さい子たちが増えてより大変になった毎日のエピソード、喜んで聴いてくれる。

1年生までの子たちを同時に2人ぐらい抱っこしたりおんぶしている話をして、

あ、そうだ、今の私なら多分次男をおんぶとか抱っこできると思うよと言うと、

次男が飛びついてきた。

重かったが、まだ大丈夫だ。抱っこからおんぶへ移動するのを「世界一周〜」と言いながらやっていた。

長男は足のサイズは私より大きくなり、身長も体重も私に迫ってきているので、もう抱っこはできない。

「もうすぐ僕がお母さんを抱っこできるようになるよ」と笑っていた。

 

私が職場の子どもたちと良い関係を作っていることを、

子ども同士が良い関係を作っていっていることを、

彼らはひとつひとつ味わいながら、喜んでくれる。

私と一緒に、子どもたちを可愛いねと愛でてくれる。

子どもたちと関係を作っていくことを、彼らにいつも勇気づけてもらっている。

きっとこれでよかったんだって思えてしまう。

私にはそんな彼らの良いところがはっきりと見える。

彼らといつも良い関係でいたいと思う。

 

 

状況がどうであっても、関係は、変えることができる。

アドラーが、ベイトソンが、教えてくれている。

それは救いだと思う。

 

 

そして私は、いつも幸運にめぐり合う。

子どもたちを通して、パセージを通して出会ったたくさんの大切な友だちが私にはいて、

この小さな町で、もう一度帰ってきたこの町で、予期しない再会を重ねている。

子どもたちの幼稚園でお世話になった先生方にも、

長男の幼稚園時代のお友だちのママ友にも、

他にもたくさんたくさん。

私は環境に恵まれ、その大切な方たちと良い関係を作っていっている。

 

 

時々寂しくなって、後悔に浸りそうになるけれど

落ち着いて考えてみよう。周りを見回してみよう。

私は不運に避けられているようだし、

私を不幸にできるのは私だけだ。

寂しくなった夜、友だちに電話をしなければ押し潰されそうだったのはもう過去のことで、

ああ寂しいなと思いながら、ひとりでゼミの資料を作ったりブログを書いたりできるようになった。

寂しさに浸れるBGMに身を任せることもできる。

今日は休むと決めて、あれこれ言い訳せずに、すべきことを後回しにすることもできる。

ちゃんと自立している。