まるで群像劇。ドラマの中にいるようだ。
生活していくのってこんなに難しかったかなと驚く。
確かに私も、インターネットの契約とか電気やガスの契約とか、賃貸物件の契約とか退居の手続きとか、とてもエネルギーが要ったし疲れた。
でもわからないことは業者さんにしつこく質問したし、友だちに側にいてもらったり、細々としたことは友だちの力をたくさん貸してもらった。
周りの人に恵まれているのは大きいけれど、私は人の助けを借りるということができる。
その能力が私にはあるんだと、今の職場に居ると感じる。
そして私の子どもたちにも、その能力が十分にあると感じられる。
その能力は、相手を信じることができるから身につけられる能力だと思う。
利用者さんたちの過去は壮絶だ。
今、不適切な行動をしている方も、それはその方が生き延びるために選んできた手段なのだと思う。
その方の不安や寂しさから、この世界に適応するために編み出した方法なのだと思う。
その不適切な方法はもちろん競合的だけれど、誰かを傷つけたりもするけれど、
でも協力的な方法を知らなかったり、協力的な方法では自分の居場所を作れないと思い込んでいるだけであって、
その方が悪い人であったり、倫理がなかったりするわけではないんだと、しみじみ思う。
本当は誰もが、家族とも、周りの人たちとも、良い関係を作って所属することを望んでいる。
でも私たちは臆病だから、競合的な手段に固執してしまう。競合的な目標を掲げてしまう。
協力するのがとても難しいのは、
自分が差し出した手を、相手が優しくつないでくれると信じられないから。
もしも払いのけられたり、叩かれたりしたらどうしようって思うから、
自分から手の平を見せることができないんだろう。
そうやって臆病なまま拳を握りしめていては、手をつなぐことができない。
だけど、本当はみんな手をつなぎたいんだってわかったから、
私は相手の握りしめた拳も、手の平で包んでみようと思う。
子どもに対しても、大人に対しても、それは同じように必要で、大切なことだと思うから。
我々に怒りをぶつけてくる利用者さんもいる。
でもその怒りの裏には不安や寂しさが見えて、私はもう怖くはなくなった。
「何をされるかわからない」という思考が私の怖さを生み出していたのだろう。
怯えているのは相手の方なのだ。
だから感情的になって、怒ったり泣いたりするだけ。
実際に私に危害を与えようとする人など、ここにはひとりも居ない。
私が穏やかに手の平を広げて話を聴いていると、相手の感情が落ち着いてくる。
自分が怒ったり泣いたりしたら、もっと大きな怒りや泣き声、あるいは暴力でもって反応が返ってくるような
そういう環境を生き延びてこられた方たちだ。
それがどういうことなのかを、私はおそらくどこまでいってもわかることはできないだろう。
だけど、だからこそ、そういう方たちに対してだからこそ、
私はどこまでも手の平を見せていたい。
私は武器を持っていないって、あなたを傷つけたりなんかしないって、信じてほしい。
あなたが私を傷つけようとしているなんて思っていないと、わかってほしい。
私たちは仲間だから。
大兄弟の中間子、6歳のNくん。
いい子で泣き虫の年子のお姉ちゃんと、自分と同じかそれ以上にやんちゃだけどものすごく可愛い2歳下の弟Lくん。
さらにその下に可愛いもっと小さい子たちがいて、お母さんは小さい子たちのお世話で忙しい。
体格が良くて体力があって活発なNくんは、お母さんの注目関心を得るためにどうするかというと、
典型的に悪ガキをやるわけだ。
お姉ちゃんを突き飛ばす、弟の持っているボールを引ったくる、滑り台で順番抜かしをする、砂場で他の子に砂をかける。
「やめて!」ってみんなに言われて、「うるせえ!」って応える。
「ママが怒らんと言うこときけんのか?ごめんなさいって言いな!」というお母さんの喝で、やだよ〜って逃げて行く。
ああ、あまりにセオリー通りだ。
毎日毎日、この可愛いNくんが不適切な行動を続けていく悪循環が回っていく。
Mちゃん3歳が、「抱っこして一緒に滑り台すべって」って私にお願いをしてくれた。
Mちゃんは、ちゃんと言葉でお願いしてくれるようになったのだ!
数週間前はそういう時、「抱っこー!」って泣き叫んでいたのに、この人にはちゃんと話をした方が話が早いって学んでくれたのかな。
「いいよ!一緒にすべろう!」私はとても嬉しくて、Mちゃんもとっても嬉しそうで、
Mちゃんを抱っこして滑り台の階段を上った。
すると滑り台の上で、Nくんが通せんぼをした。
「来ちゃだめー!あっち行け!」
「通してちょうだい。」私はにこにこして言った。
「だめ!」
「困ったねえ…」Mちゃんと私は顔を見合わせた。
Nくんはどうするのかなと思って、私はしばらく階段の上でじっと黙って待っていた。
「このすき間から通るんじゃないとダメ!」
Nくんは少し寛容になってくれたようだった。
でもそのすき間は細すぎて私は通れない。
「通れないや。」
「降りる。あれで遊ぶ。」Mちゃんは太鼓橋を指差して、滑り台を降りることに決めた。
「そうしようか。Mちゃん、ごめんね。滑り台できなくて。」
「いいよ。」
「ありがと。じゃああれで遊ぼ。」
「うん!」
Mちゃん、嫌なことは絶対に「いやー!」だったのに、なんて柔軟になったんだろう。
穏やかに代替案を考えてくれて、本当に素晴らしいなと思った。
私とMちゃんは太鼓橋で楽しく遊び始めた。
するとNくんがやって来て、「これで遊んじゃダメだ!」って言って、Mちゃんが登ろうとしている反対側から登って、Mちゃんが上に上がれないように近づいて来た。
Mちゃんは上まで登るのをやめて、下の方で遊ぶことにした。
Nくんは私の目の高さにいる。
「Nくん、大きくて強いのはだあれ?」
「ん?」
「ここで、大きくて強いのはだあれ?」
「…」周りを見回してから、俺かな?という顔をする。
「Nくんだよね。大きくて強い人はね、優しくなきゃいけないんだよ。」
「…」
Nくんは真顔になって息を吸った。
「あ、Mちゃん、滑り台する?」
「する!」
私はMちゃんを抱っこして、滑り台に向かった。
すると、Nくんが走って私たちよりも早くに滑り台の階段を上り始めた。
滑り台の上まで階段を上る。ああ次もまた同じことの繰り返しなのかなと覚悟する。
「通っちゃダメー!」今度は、Lくん4歳が私たちを通せんぼした。
すると、既に滑り台の上にいたNくんが、「ダメだで!通してあげろ!」と言って、Lくんをたしなめた。
「いやだ!」Lくんが叫ぶ。
「ダメ!」NくんがLくんを押す。
ここは狭い狭い滑り台の上。
「Nくん、ありがとう。でもLくんを押さないで。」
「わかった…」
Nくんは私が通れるように道を譲ってくれた。
「Nくん、ありがとう。優しいね。」
Nくんは胸を張って、こっくりとうなずいた。笑顔がまぶしかった。
「ダメー!」LくんはNくんを押しながら、滑り台の斜面で足を踏ん張っている。
「じゃあ、Lくんも一緒に滑る?」
「いやだー!」
「Nくんも一緒に滑る?」
「うん!」とNくん。
「やっぱりすべる!」とLくん。
滑り台の上で団子になりながら、Mちゃんを抱っこした私の前にNくんとLくんが座って、みんなできゃあきゃあ言いながらすべった。
他の子たちも集まって来て、滑り台を滑り始めた。
私が下で抱きとめようとしていると、Nくんが私の前に来てしゃがんで、
「A!おいで〜」と、両腕を差し伸べて、2歳の弟を呼んだ。
「Nくん!優しいお兄ちゃんだねえ!」私はNくんの肩を後ろから抱いて、頭をなぜた。
Aくんは満面の笑みで、お兄ちゃんの腕の中にすべって来た。
Nくんも満面の笑みで、Aくんを抱きしめた。
「Aくん、よかったね〜!優しいお兄ちゃんがいていいねえ!」
「N!」Aくんはお兄ちゃんの名前を呼んで、ばばーいと言って階段の方へ走って行った。
一緒にすべってあげよ!と言って、NくんはAくんの後を追った。
私は下で、Aくんを抱っこしたNくんを抱きとめた。
ね、私は知っている。Nくんはとても優しいいい子だって。
その後、私が誰も抱っこしてない時を見計っては、
「抱っこして!」ってはにかみながら言ってくれるようになった。
Nくんはずっしり重いけど、「いいよ!」って言って、抱っこする。
時々、「おんぶして!」って言われることもある。「いいよ!」って言って、おんぶする。
「Nよかったな〜Mさんにおんぶしてもらって!」と他のお兄さん職員さんが言った。
「おう!」Nくんの影が手を振っていた。
その後、いつもいつもというわけではないけれど、
それはダメなことで、代わりにこういう風にしてくださいと決まりを教える時、
Nくんは「わかった!そういう風にします!」と言ってくれることがある。
とても嬉しくて、「ありがとう!助かります!」と言うと、
満面の笑みでうなずいてくれる。
ダメなことをダメと私が言う時、Nくんが私を叩くこともある。「うるせえ!バカ!」と言うこともある。
私は黙ってNくんを見つめる。
Nくんは、しまったって顔をする。
それでやり取りは一旦終わり。
また仕切り直して、たいていはNくんから、遊んで!って言いに来てくれる。
そうしてまた遊ぶ。そういうときNくんは、もう叩いたりバカって言ったりしない。
そんなことをして、誰も嬉しくないって、自分も悲しくなるだけだって、Nくんはもう十分にわかっている。
私たちはお互いに優しくすることで、そうやって所属することで、幸せを感じる生き物だから。
あまりにセオリー通り。
アドラーの言う通り。
波にさらわれていく砂の城。
瞬間瞬間にしか、存在しないとわかっている。
だけど、人生はドラマだから。物語だから。
Nくんの心にも、この一瞬がもしも刻まれたらと思う。
実際Mちゃんは私と過ごした日々で、良いことを学んでくれたんだって感じる。
そうであるかのように私は感じている。
暴力を支配性を手放して捨て去って、抱き合うためだけに手を差し延べたい。