芳しの

金木犀の香りが漂ってきた。

香りの記憶は強い。

学校帰りの坂道を思い出す。

それから、2年前の子どもたちとの家の近所の生垣。

いつも私はぼうっとしながらひとりで歩いていた。

金木犀だねって母が教えてくれたもっともっと遠い昔は、

ふたりでどこを歩いていたんだろう。

幼稚園からの帰り道だったかもしれない。

 

父は金木犀があまり好きじゃなくて、

父との思い出の香りは沈丁花だ。

春先、どこからともなく漂ってくる。

ああ父が好きだと言っていたなって、思い出す。

歩きながらふたりで花を探したことを思い出す。

 

雨の降り出す前の香りも、

雨上がりの香りも、

その湿った空気に混じる花の香りも、

記憶と変わらない。

私の周りの景色がどれだけ変わっても。

 

 

私の家族との記憶は、どれもあたたかく輝いている。

わかっているつもりだったけど、それはとても稀有なことなのかもしれない。

施設の利用者さんと子どもたちのことを知っていくにつれて、そう思う。

衛生的な環境を保つこと、家を整えること、健康や食事に気を使うこと、居心地良く暮らすこと。

落ち着いて話し合いができること、安心して自分の意見を言えること、相手と協力して問題を解決すること。

それらは、心身が健康で生きていくために大事なんだと、今更ながら思う。

この施設は、無いに越したことはない。必要悪だと思う。

でも、ここは、ひとつのオアシスであるべきだと思う。

戦い破れ疲れ果てた戦士たちの憩いの場であって、ここで傷を癒し、力を蓄え、

自由な世界へ旅立てるようにと立ち寄るところであるべきなんだと思う。

 

そう思えるようになって、私は少し自由になった。

利用者さんや子どもたちと関わることが、楽になった。

私のすべきことがわかった。

利用者さんのためになることを、今のお役に立てることだけでなく、将来を見通して学んでもらいたいことを考えた上で、真心で関わろうとしている先輩方がわかったから。

相手を変えようとか操作しようとか教えてあげようとか、守ってあげようとか救ってあげようとか、そういうものが一番邪魔なんだと思う。

私は自分の子どもたちに向き合うときのように、

にこにこと話を聴き、小さな小さなよごとをいつも見つけては伝え続けて、

そして、何かお手伝いできることはありますか?と尋ねればよいのだとわかった。

私のすべきこと、私のできることは、いつだって、誰に対してだって、ただそれだけなのだ。

 

そうしていると、本当に小さなことで、

エレベーターのボタンを押したり、荷物を持ったり、薬を飲んでいるときに側に座ったり、

宿題している横に座ったり、ピアノを弾くときに一緒に歌ったり、

ちょっとかがんで目を合わせて挨拶したり、手をつないで歩いたり、手を振ったり、

すれ違うときに少しだけ立ち止まってお天気のことを一言二言話したり…

それだけで、私たちは少しだけあたたかい世界を作っていけるんだと信じられるようになった。

大変な境遇をくぐってきた人たちだからこそ、その心地よさをより大切に味わっておられるように感じる。

今施設内では色々なことがあってとてもとても忙しくて、利用者さんとも子どもたちともほとんど一緒に過ごせないのだけど、

私がそう思えるようになって迷いがなくなったから、わずかな時間だけれど、あたたかく芳しい時間が過ごせるようになった。

 

 

子どもたちは、みんな本当にいい子だなと思えるようになった。

特に小学生以下の子たちとは、仲間になれたんじゃないかな。中学生はまだまだだけど。

一緒にご飯を食べたり、学校や保育園に迎えに行ったり、宿題を見たり、トランプをしたり、YouTubeを見たり、タブレットでゲームをしたり、おしゃべりしたり。

そのわずかな時間を、何をするかではなくて、私と一緒に過ごす時間を大切にしてくれているということが、とても嬉しい。

私もこの時間を本当に大切に思うんだよということ、伝わっているだろうと感じる。

小さい子たちはお手伝いをたくさんしてくれるようになった。

長い廊下のブラインドを閉めたり、洗濯物を運んだり、洗濯物を畳んだり、布団を敷いたり、電気のスイッチを入れたり消したり、お風呂のお湯はりをしたり、掃除をしたり、泣いている小さい子をあやしたり。

本当に、一緒に暮らしている。

もう一度こんな風にして子どもたちと暮らせること、ありがたいなと思う。

 

 

小学校低学年のSちゃんとFくんは、ピアノが好きで、よく弾いている。

2週に1回、ピアノの先生が来られるのを楽しみにしている。

YouTubeで、楽譜が読めなくてもピアノが弾けるような動画がたくさんあるみたいで、それを見ては練習している。

 

Sちゃんは楽譜がまだ読めないから、ドレミで書いてと言ってくる。

はいはいと言って、色んな童謡などの楽譜を紙に書き写した。

2週に1回職員と一緒にピアノレッスンができる時間があるが、それだけでは足りなくて、

しばらくはSちゃんと顔を合わせるたび、「ねえねえ、Mさん今ピアノのお部屋行ける?」と誘われた。

そのうち紙がバラバラになってしまったから、今度はこのスケッチブックに書いてと言ってきた。

見ると、お母さんも同じようにして童謡をドレミで書いておられた。

忙しい時間の中でも、こんな風にして関われるようになったんだなととても嬉しくなった。

お母さん、たくさん書いてくれたんだねと言うと、

うん♪と、Sちゃんはとても嬉しそうに笑った。

じゃあMさん歌って、Sは弾くから。と言い、30分ほど、次々と童謡を歌わされる。

Sちゃんは自分で伴奏を作って弾いたりもする。

音楽に入り込んでいるSちゃんの横顔は、とても芳しい。

小さな指が、美しい形で鍵盤を弾く。

正直、羨ましい。才能なんだろうなと思う。

お母さんに、Sちゃんピアノとても上手ですね、と言うと

ほんと、ピアノだけは好きですね。と嬉しそうに、照れながら言われた。

 

 

FくんはまたSちゃんとは違ったタイプで、何度も何度も繰り返し練習して、上手に弾けるようになったら私に聴かせてくれる。

上手だねと言うと、とても嬉しそうに、照れ臭そうに笑う。

じゃあMさん、この曲は知っている?とこの曲は弾ける?と聞いてくれるので、一緒に弾いたり歌ったりする。

私が弾くのをドレミで口ずさみながら、その場で覚えてしまおうとする。

昨日はお母さんに買ってもらった小さな小さなおもちゃのキーボードを持ってきてくれた。

使い込まれた状態から、家でも熱心に練習していることがうかがえた。

Fくんは本当に、集中し始めると本当に根気強く続けられる。

苦手だった漢字も計算も、とても上手になっている。

不登校の子がほとんどのうちの施設の中で、ひとりだけ、雨が降ってもカンカン照りでも、毎日毎日歩いて登校している。

もうトークンのご褒美で釣ったりしなくても、自分で毎日コツコツと宿題をするようになっている。

本当に尊敬する。色々なことに対して、苦手意識が強かっただけみたいだ。

Fくん集中するとすごいですね、ピアノも計算も熱心に練習していますね、とお母さんに言うと、

そうなんです、でも集中するまでがなかなかなんですけどね。とお母さんは笑われた。

 

 

子どもと一緒に過ごして、お母さんと子どものことについて話して、

一緒に子育てしているように感じる。

アドラー心理学の技術はところどころで使っているかもしれない。

でも、大事なのはそこじゃないんだろうなと思う。

私が子どもたちを、お母さんたちを、裁かなくなったことだと思う。

そして、私が諦めなくなったことだ。絶望しなくなったことだ。

 

 

 

2歳3歳のきょうだいの預かりが数種間続いていた。

ご飯、お風呂、寝かしつけ、保育園送迎など、ガッツリ育児をさせてもらった。

ふたりは大変な中、とても頑張って、私たちと一緒に暮らしてくれた。

あまりに可愛くて、抱っこ抱っこと言われて、重たいけれど幸せだった。

抱っこしながらたいていの業務をこなせるようになってしまった。

利用者さんも子どもたちも、みんなふたりのことを微笑ましく見守ってくれた。

数ヶ月前まで見知らぬ人だった職員のみんなと、

オムツ代えましたー!たくさん出ましたー!とか、そろそろお風呂沸かしてきましょうか?とか、ご飯できたよー!魚の骨取ったつもりだけど気をつけて見てーとか、はい抱っこ交代〜とか、ふたりのお世話をするチームとして仲間になれた。

寝かしつけに成功すると、ひそひそ声で、お疲れさまー!!と、心から喜び、労いあった。

 

毎日のように何時間も一緒に過ごす中で、今はわかってくれなくても、きっと学んでくれるって、信じる勇気を持てるようになった。

きっと私のことは忘れてしまうだろうけれど。

でも、今、こうして過ごせる時間を、できる限りよい時間にしたいと思った。

できる限りテレビやYouTubeを消して、おままごとをしたり、ぬいぐるみで遊んだり、絵本を読んだり、庭に出たりした。

抱っこをしていないと寝れないから、長い日は2時間ぐらい立って抱っこで揺らしていた。

子守唄をエンドレスリピートで口ずさんでいたけれど、最後の方は白ターラさまのマントラを口ずさんでいた 笑

みんなを守ってくださるようにと、心から願う。