今日はオンラインのベイトソンゼミだった。
メッセージとメタメッセージとコンテクストとメタコミュニケーションについて学び、
議論し、より混乱し、これまで学んできたことと結びつけたり切り離したりした。
時間をかけてどこまでも考えること、自由に意見を交換すること。
安全な枠組みの中で仲間たちと学ぶことはとても幸せだ。
今日はたくさんの電話を取った。
やっと事務室内の仕事がみんなのお役に立てるレベルになってきた。
車の運転はまだまだだが、昨日は駐車の練習をさせてもらい、今日は比較的長い距離を運転させてもらった。
上司と二人で車屋さんまで遠出して、借りてきた福祉車両を掃除した。
あの子の外出が楽になればいいなと思う。
毎日新しいことが起こる。
大変な背景が濃厚すぎるが、顔色変えずに受け止められるようになった。
何か麻痺してきているかもしれないぐらい、外の世界がライトなものに感じる。
でも、私たちは職員同士でも、子どもたち利用者さんたちとも、冗談を言い合って、たくさんの楽しみを作り楽しみを見つけながら、笑顔で過ごしている。
コンテクストについて思う。
人間の強さは、多層の多重の物語を自在に生きられることだと思う。
ドラマのように一面的な人間なんて、多分ほとんどいなくって、
悲惨な出来事を笑えたりもするし、消えてしまいたいほど泣いてもお腹はすくし、将来を悲観してもテレビを見たりできる。
それを私は現実逃避とは思えなくなった。
みんな、曖昧でファジーな現実を生きている。
そう思うと、理想に向かって堅く凝っていた身体が柔らかくなる気がする。
怖いからついてきて、とよく言う低学年の女の子が、
私がいつもハイハイと機嫌よくついて行くようになって、
私に対しては叫んでああしてこうしてを言わなくなった。
荷物持ってとか、ここで待っててとか、まあ色々と命令してくださるわけだが、
私ができるだけハイハイと機嫌よく依頼を引き受けるようになって、
姫は言葉の調子が柔らかくなった。
反対側持って、一緒に運ぼうよって言ったら、うなずいて持ってくれるようになった。
ここで待ってるよって言って、ちゃんと待っていたら、待っててよ!待っててよ!って叫ばなくなった。
ボルタリングを上の方まで登ると、降りれなくなって「Mさん助けて〜!」と呼んでくれる。
「はーい助けまーす!」と抱っこして降ろしてあげる。
「ありがとっ!」と笑顔を見せると、姫はまた壁を登り始める。
私が他の子と遊んでいるとまた、「助けてください〜!」と呼ぶ。
私は「はーい助けまーす!」と走って抱っこしに行く。
私と遊んでいた他の子も、「Mさん走ってった〜」と笑って見ている。
今までの私なら、これを良いことと捉えることがきっとできなかった。
でも今は、私の心にはどこにも陰性感情が見当たらなくて、
そしてその子が以前は「ねえ降ろしてよ!早く!」と叫んでいたことを思えば、
それに対して他の子たちが「うるさい!」って言っていたことを思えば、
…私たちには一体何が起こったんだろうと思う。
この小さな身体で、びっくりするような悲しいことも超えて、今私の前で笑ったり泣いたり怒ったりして力一杯生きていること。
私の膝に乗ってきて、私の背中に飛びついてきて、私の手を繋いでくれること。
そのことを思うと、いつまでこの生活が続くかもわからないことを思うと、
一緒に楽しい時間を過ごしたいなと心から思う。
その楽しい時間の中で、色んなことを学んでほしいと思う。
そのためには、私が彼女の仲間でいることがまず大切だ。
甘やかしなのだろうか?
私が甘やかしという行動を取ることもあるのかもしれない。
もう私は何が甘やかしなのかわからなくなってしまった。
どこまでも優しく甘い職場の人たちの中に、私も染まっていっているのだろうか。
それは私の理想ではないな。でも、
誰もいない部屋へ荷物を取りに行くのが怖いからついてきてほしいという依頼にも、助けてって言われたときも、私は喜んでお手伝いしたいなと思うようになってしまった。
いや、きっと子どもたちはたくさんのことを学んでいる。
でも、適切な行動をする勇気がくじけている場合が多いように思う。
キーキー叫ばないと手伝ってもらえないという思い込みが、きちんとお願いしたらきいてもらえるという思い込みに変わって行くことは、
それはより社会に良い方法で適応することだろう。
もちろんどれだけお願いしてもきいてもらえないこともある。でもそれは、多分、悲しいほど学んでいる。
今日「Mさん、外で遊ぼ!」とその子が言ってくれたとき
「ごめんね。今日私はもう帰る時間なんだ。」と言うと、
「じゃあ、お玄関までついてきて。」と、私に手を差し出した。
こんな風に妥協案という代替案を出してくれるようになったんだと、すごく嬉しかった。
「いいよ〜。今度一緒に遊ぼうね。」
手をつないで、ほんの少しの距離を小走りで駆けた。
「うん。じゃ、またね!」
同じように私に遊ぼうと言ってくれた子が他にもふたり。
ごめんね、また遊ぼうねと言うと、またね!と言ってみんなで機嫌よく外に走って行った。
大変なことがたくさんある仕事だけど、今日もあの子たちに会えるんだと思うと嬉しくなってしまう。
子どもたちはどんどん良い方向へ変わっていっていると思う。
このまま心理職として勤められないとしても、別にいいやと思えている。
ひとつひとつの小さな場面が、私にとって大切な物語になってしまった。
成長していく子どもたちに、私を仲間と思ってくれる子どもたちに、私が一番勇気づけられている。