同じ冒険

今日は午前中コーラスの練習に行って、友だちとランチをして、

それから出勤して、22時までの勤務をこなした。

体力がついたなあと思う。

それから、仕事にも慣れてきたのだと思う。

運転業務も務められるようになった。

 

1年前の私は、こんな日々が来ることなんて

いや、半年前の私も、こんな自分になっているなんて

想像することもできなかった。

 

今日はコーラスの後、幼稚園に譜面台などを片付けに入った。

次男が年長のときの担任の先生にお会いできた。

先日友だちと話した時、冒険が大好きな友だちの子どもさんが好んで借りる絵本について、

その『チムと勇敢な船長さん』のシリーズ、しゅんちゃんが大好きでしたよ、とその先生に教えてもらったと聞いた。

子どもたちが話したこととか遊んだことなどは覚えておられるかもしれないけれど、借りた本まで覚えてくださっているのだと、本当にありがたく思った。

ひとりひとりの子どもたちを、愛情深くあたたかく育ててくださる先生だ。

私の子どもたちはこの幼稚園で、本当に幸せに過ごさせていただいたと思う。

外の世界を知った今、その有り難さが痛いほどわかる。

 

 

私は子どもたちと、絵本や本を共に楽しんできた。

小学生になった今も、本を読み聞かせて楽しんでいるし、今まで一緒に読んだ本についても話すことが多い。

私たちは共通の話題がたくさんある。

同じ物語を共有している。

友だちや先生とも、同じ物語について語ることができることも幸せなことだ。

世界がどんどん広がって、重なっていく。

 

 

 

『チムと勇敢な船長さん』シリーズはもう絶版になった絵本。古めかしいイギリスのお話。

10歳になるぐらいの男の子チムが、船に潜り込んで、船員見習いとして航海する。

『宝島』と違うのは、海賊船じゃないこと。もう少しリアリティがある。

よく船は嵐に遭って難破するし、海賊に襲われたり、乗組員にひどく虐められたり、大変な目に遭いまくる。

あまり明るい話とは言えないかもしれない。心を病んだ人もよく登場する。

しかし冒険の好きな長男も次男も、大好きな物語だ。

彼らは打たれ強い。

 

人生って冒険だ。

頼りになる船長さんが、嵐の最中、頭を打って気を失ってしまったりするのだ。

そして頼りない自分ひとりで、助けが来るまで、なんとかして船長と共に生き延びなければならない。

私たちは物語があるから強くなれる。

 

 

 

階層構造を駆使して、仕事をしているような気がする。

施設の子どもたちの目で見ようとすると、空が見えなくなりそうになる。

アドラー心理学の思想と理論から見れば、不適切な行動の構造が見える。子どもたちの目的が何なのか、見えてくる。

その構造に対してどうやって施設職員としてふさわしい支援を行うか、というところが大変難しい。

福祉というのは相手を勇気づけることが目的ではないからだ。

それで良い場合もあるけれど、別のことが求められていることが多そうだ。

そして私には、何が求められているのかよくわからない。

求められていることがわかった場合も、穴の淵から覗き込む福祉の従事者には、なるべくなりたくはない。

 

でも今日は、ある子に対して新しくトークンエコノミーを始めようということになり、

私の大切にしている価値を捨てた。

小学高学年に、シールを集めてご褒美を与えることで毎日学校に登校できるように支援するなんて、

間違っていると思うし効力もないと思うのだけど。

でも、その話を他のお姉さん職員と一緒にその子にしてみると、とても嬉しそうに、頑張って学校に行くよと言った。

彼女が決めたご褒美は、私や他のお姉さん職員と一緒に彼女の行きたいところへお出かけする、というものだ。

私は賞を与える育児を良いとは思えないけれど、でも、

彼女が頑張ろうという気持ちになれたことは本当に素敵だと思う。

そして、私たちが彼女と一緒に楽しいことをして過ごすということが、彼女にとっての「ご褒美」になり得るのならば、

それはとても嬉しいなと思えてしまう。

私があなたの居場所になれているのなら、とても嬉しい。

 

 

手法は気にくわないことばかりだし、

子ども自身の力を信じていないような世界観も好きになれないけれど、

でも、職場のみなさんは子どもたちのことを思っておられる。

自分たちにできることを最大限してみようと思っておられる。

「ねえMさん呼んでくれる?」って、小学低学年のKくんが他の職員にお願いをしてくれた。

「どうしたの?」と職員室の窓を開けて私が聞くと、

「Mさん、いつだったら遊んでくれる?」とKくん。

「今から遊ぼうか?」と私が聞くと、「うん、遊んで!」と言った。

職員室にいた全員が、「Kくん、なんて可愛いだ〜♪」と声を揃えて言った。

 

子どもたちが幸せに過ごせるようにと、自立して生きていけるようにと、願っておられる。

それは、私と同じなのだろうと感じる。

色々なところが違うけれど、でも、その願いは同じだと思う。

私は染まらないままで、時々疎まれながらかもしれないけれど、時々私の価値を捨てたりしなければならないかもしれないけれど、

ここで私を使ってもらおうと思う。

 

先日夕方に私が帰る時、「Mさん、気をつけて帰りんさいよ〜」って子どもたちが手を振ってくれた。

私たちは今、同じ物語を冒険しているよね。

些細で小さくて僅かでも、良いところを素敵なところを探しながら、それを伝えていこう。

私が嬉しかったことをありがたかったことを、伝えていこう。

人と協力し合って生きていくことを、学んでいけるように。

それが多分、冒険する上で一番大切なことだと思うから。

無いものを数え上げなくても、ちゃんと学んでいけると思うから。