過去と未来と連鎖

英語に慣れようと思って、集めてきた本の中から読みやすいものを探して読み始めた。

日本語で読んだことのあるものだから読みやすい。

でも一場面一場面を詳細に覚えているわけではないから、新鮮だったりする。

 

多分私は、常識的な世間に埋没できずに生きていくんだろう。

偶然のように見えても、小さな必然が重なって起こったことだと思えてしまう。

そういう前兆や流れを、このくだらない毎日を送りながらも感じてしまっている。

ちょっと郵便局まで出かけた帰り道に、久しく会えていなかった友だちに出会ったり。

冒頭で述べた本に出てきた石の名前を、野田先生からいただいた二つの石に名付けたことを思い出したり。

そういう小さなことが、私の次の選択を、あるべき道へ軌道修正してくれているように思う。

 

 

 

 

先日、私の意見を興味深く聴いてくださる上司と、ふたりで過ごす時間があった。

利用者さんたちのことについて話をした。

なかなかに困ったちゃんだったり、子どもに対してどうなんだろうかと思えるようなお母さんたちも、

彼女たちなりの精一杯で生きているんだろうと思いますと言った。

子どもに対して愛情を示すことができないような人について、本人が愛情というものがわからないようだから、そのことを気の毒に思いますと言った。

上司はマグカップを両手で包んで、ひとりひとりを思い浮かべているのだろう、小さくうなずきながら天井を仰いでいた。

私は彼女たちをどうこうしてあげようなんて、本当に思っていないようだ。

そうだからこそ見えることがあるのかもしれないと思えた。

 

早々に自分の役目を手放して、自分にはできないと言って頼ってくれる方の方が、

支援職としては付き合いやすいようだ。

できます!自分でしますから!と言う方に任せていて、重大なこと(受験や就職や大きな病気や怪我の治療に関わることなど)がダメになりかけることが多かったりする。

利用者さんと子どもたちの自立を促すことがこの施設の役目ではあるが、

どうしても自活できない方たちもおられる。

生きていくにはトラップがこんなにあるのかと、驚く毎日だ。

 

あれだけ自分でやりますって言ってたのになんでできないんだろうとか、

何回もこうした方がいいって言ってるのに、どうしてそうしないんだろうとか、

熱意ある保育士の職員さんたちがイライラしているのをよく見る。

問題の解決、問題発生を防ぐことが、おそらく福祉職の私たちに求められていることだから、

その視点は確かに正しいのだろう。

でも、私が出会うかなりの人たちは大変に神経症的である。

問題から目を背けて逃げ続けてきた、苦しい道を走ってきた人たちだ。

何も知らない子どもたちに指導するのと同じようにはいくわけがない。

こちらが正しいことを言えば言うほど、

「頭ではわかっているけれど…」「Yes,but…」と

公式通りの模範解答のような神経症的発言を繰り出し続ける。

 

彼女たちを理解して、イリュージョンのからくりを見破って、

逃げようとしているものが何かを見極め、

共に見る勇気を持ってもらえるようにたくさんの勇気づけをしていかなければ、

彼女たちが変わることはないと思う。

それが私にできるとはとても思えないけれど。

でもせめて、この逃避行の苦しみを、苦しいですねと分かち合いたいと思う。

 

 

 

過去の日報を、何年も何年も遡って読んでいる。

今の利用者さんたちの比ではなく、本当に壮絶な家庭崩壊した親子が入所していたこともあったことを知った。

その時の子どもたちから年賀状が届いていたり、

近所の店で働いているんだよと、古くからいる職員さんたちからとても嬉しそうに聞かせてもらうことがある。

大変なことを乗り越えて、若者たちは一生懸命生きているのだと知った。

私は全く知らない子たちだけど、彼らの未来が明るいようにと祈っている。

彼らに関わったたくさんの職員さんたちが、彼らを心から大切に思い、応援していることを知って、私は心があたたかくなる。

 

そんな話も上司にすると、とても懐かしそうに、嬉しそうに、退所した子どもたちのことを話してくださった。

「あの子たちの親も、ひどく虐待されて育った人たちだったんですよ。」と言われた。

「でも、今の利用者さんの中でそういう壮絶な環境で育った人も何人かいるけれど、とても愛情深く子どもを育てているでしょう。

あれって不思議に思えてね。いわゆる虐待の連鎖っていうものって、何なんだろうって。でもそんな風によく言いませんか?」

確かに母親の影響は大きいけれど、大人になるまでに誰かに愛情をかけてもらえていたから、あのお母さんたちは愛情深く子どもを育てられるんだと思いますよと伝えた。

「ああ、あの人にはおばあさんが…!あの人も…!そうですね、子どものときに、ちゃんと大事にされた経験がありますね。」

上司の綺麗な目がキラキラと輝いた。

 

アドラーは、まずは母親が子どもの居場所にならなければならないと言ったけれど、

でも世の中にはどうしても酷い母親というのもいる。

その場合は、他の家族や学校の先生など、周りの大人が子どもの居場所になってあげたらいいんだと言った。

そのことを、上司に伝えることができて本当によかったと思った。

私もそのことを上司に話して、初めて、ここに居る自分の存在意義を、ごまかしなく認めることができた。

私たち施設職員は、子どもたちの居場所になれたらいいのだ。

酷い母親を責めるのではなく、ここにたどり着いてくれたことを、まずよかったと思ってみようと思う。

願わくは酷い母親の居場所にもなれたらと思うけれど、私たちにそこまでの力はないだろう。

それでも、私はこの世の中に組み込まれて、この施設において、

大変な思いをしてイバラの道を歩いてきた方たちと、どうにかして少しは良い社会で生きていけるように、

美しい物語を紡いでいきたいと思う。