Look Your Back!

あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いいたします。

 

昨日と今日、どちらも夜までの仕事を終えて、私は明日からお正月休みだ。

31日は夜勤明けで昼過ぎに目覚めた。

冷たい風雨が吹き荒れていて、もうこのまま買い出しに行くのはやめようかと思ったけれど

せめてお雑煮だけは食べたいなと思い、白味噌のために買い物へ行った。

そうすると、ちょっとだけでもおせちを用意しようと思えて、ついでにあれこれ食材を買った。

帰宅して、お煮しめを作ったりブリを焼いたりして、ざっと掃除して、

新しい年を迎える準備ができた。

 

小さなことだけど、すべきことをすると気持ちが良い。

私は、きちんとしていたいんだなと思った。

理想が高すぎるから動くのが億劫になってしまうんだけど、本当はきちんとしていたいようだ。

でも、私が望むほどにはきちんとできなくても、きちんとしようという努力は、少なくともできる。

それがわかってから、少しずつ、小さな努力ができるようになってきたかなと思う。

今年の目標は、小さな努力を続ける、にしよう。

家事についてもそう、語学にしてもそう。私の理想にはきっと届かないけれど、でも努力を続けていれば、今よりは先に進めるはずだから。

私の高い理想を変えることは出来なさそうなので、達成可能な目標として、あきらめずに続けることを設定してみよう。

 

年越しは、ジャズバーで迎えた。

友だちに、年越しライブに行くんだと言うと、今までと全然違うことができるの素敵だねと言われた。

確かに、新しい行動を選ぶことができた。

こうやって小さな新しい選択肢を重ねていけば、私はもう少し自分に縛られずに自由に生きられるだろう。

同じ曲でも、一回一回がまったく新しいHさんのピアノのように、私も新しい毎日を奏でていきたい。

 

タイトルは、菊池ひみこの曲。

昨年の11月の路上ライブで、子どもたちと一緒に聴いたことを思い出す。

仕事に行く気になれないときなどにこの曲をかけると、身体が動き始める。

エネルギーが湧いてくる。ネガティブな思考で自分にはめていた足かせを解いてくれる。

私は、音楽によってある程度制御できる。

単純なものだ。私が元気でいるためには、Hさんの音楽を聴かせておけばいい。

そう思えるほどの音楽家、音楽に出会えたことは本当に稀有なことだと思う。

 

 

 

 

今日は、仲良しの上司とふたりでゆっくり話をする機会があった。

昨年のうちに私の退職の意思を伝え、理解していただけた。

だから、私がここで共に仕事をするのは2月末までのことだとわかった上で、様々な利用者さんの対応について話をした。

利用者さんたちの小さいけれど大きな変化や成長を、尊いことだと感じながら確認していく上司との会話が、私はとても好きだ。

そんな風に利用者さんをあたたかく、興味深く見守っているのは、この上司の他は、ふたりの先輩ぐらいだと思う。

 

そのうちのひとりの先輩とは、もう会えなくなってしまった。

あの先輩は、どれだけある利用者さんの対応で忙しくても、他の利用者さんにとってはこちらの事情は全く関係のないことなんだから、どの家庭の支援も疎かにしてはいけない、いつだってどの利用者さんに対してもむらなく対応しなきゃだめだって言っていた。

そしてその言葉に違わず、先輩は自分がどれだけ大変な時でも、事務室に来られる利用者さんに対して真っ直ぐ向き合っていた。

損得を考えずに、一生懸命にできる限りのことをしようとしていた。

その姿から私はたくさんのことを学ばせてもらった。

そんなことを、今日上司に伝えた。

上司は嬉しそうに聞いてくださっていた。

私がある利用者さんに支援拒否された時、夜勤明けにもかかわらず、上司と共に私の指導のために来てくれたのもその先輩だった。

この施設を支えている中心の存在だったから、長年一緒に苦労をされてきた上司にとっては、先輩がいなくなったことに私たち以上に大きなショックを受けておられると思う。

 

どんどん大変さが極まっていく状況で、私は裏切り者のようにここから立ち去るのだけれど、でもここにいる最後の瞬間まで、役に立ちたいと思っている。

それは利用者さんたちに対してだけでなくて、共に頑張ってきた職員の仲間たちに対しても。

だから今、職員同士の関係が色々なところでこじれていることが気がかりだ。

皆が皆、ひとつの出来事を自分なりの物語で捉える。

憶測が憶測を呼び、事実はどこにあるのかわからなくなる。

私は、ただ良きモデルであった先輩の物語を口にしてみた。それは、私にとってひとつの真実。

でももう私はここからいなくなるのだから、私が先輩の思いを受け取っていることに意味を見出すことは無駄なことかもしれないけれど、

でも私がその話をすると上司が嬉しそうにされていたから、よかったと思えた。

 

この泥沼のような大変な現場を、あの先輩と共になんとか支えてこられた上司が、今、ほとんどひとりで支えようとされている。

そのことを思うと

本当に、ものすごいことをされていると思う。

…たとえ私が残ったところで、到底力不足である。

わかってはいるけれど、一緒に苦労をすることを選ばなかったことを、少しだけ後悔している。

そう思えるほどに、私は上司のことを大切に思っていることに気づいた。

 

私が今年度末で退職をしたいと伝えた時、上司はびっくりしてしばらく固まっておられた。

まさか私がそんなことを言い出すとは思わなかったそうで。

「引き留めたい気持ちはたくさんあるんですが、でも、Mさんがそう言われるということは、これは辞めようかどうしようかっていう相談ではなくて、よく考えた上で決められたことなんでしょうね。

元々心理の仕事をしたいということでしたし、まだお若いし、新しい人生を選んで行かれたらいいと思います。」

そのように言ってくださった。

とてもありがたかった。

 

私は恐ろしくバカなところがあるので、大人の事情はよくわからない。

上司のことも、先輩のことも、他の職員さんによれば、私とは全く違う捉え方をしていたりもする。

でも私はバカであっていいから、すべてを美しい物語として受け止める。

上司が私に対してあたたかく接してくださったこと、先輩が一生懸命にできることをしようとしていたこと、それらは私にとっての真実で、

他に様々な別の真実が絡んでいるのだとしても、

それによって私と上司や私と先輩の美しい物語が否定されたり汚されたりすることはないと信じようと思う。

 

私はきっと、何度も何度もここに居たことを振り返るだろう。

少しの後悔と共に、たくさんの感謝を持って。

 

 

昨日も今日も、これが最後になるかもしれないとどこかで思いながら、一瞬一瞬を大切に感じながらお母さんたち子どもたちと過ごした。

出会うひとりひとりに、新年の挨拶をした。

急にかしこまって挨拶し合う大人たちに、子どもたちは照れて笑う。

私たちは日本の文化のもとで、共に生きている。

ああでも、今年もよろしくお願いしますなんて、嘘だ。あと2ヶ月しか残されていない。

でも、どうかみんなにとって今年が良い年になればいいと願う。