長く短い祭

あっという間に5月が終わる。

かささぎ座に行ったのが4月の末。もう1ヶ月が経とうとしている。

1年と2ヶ月ぶりにアドラー心理学の講座に参加できて、私はここに居たいなと思った。

どこに居ても、私は違和感を感じることが多いので

ひとりの部屋がとても快適だったりする。

でも同じ価値観を持つ仲間たちと学べる場は、私が自分を制御することにエネルギーを使わなくても、そこに居られると思えた。

 

職場の人間関係は、とても良好だと思う。

私はそこそこ理想的な自分を演じられていると思う。

無理もしていないし、心身に負担も感じない。

やり切れなくなったり、絶望したりするけれど、それは「私の仕事」についてではない。

私の仕事は、ろくでもない雑用係だと思っている。絶望するほどの価値もない。

私がやり切れないのは絶望するのは、ここで出会う人々の境遇であって選択であって、過去であって現在であって未来である。

そういう人生のドラマを至近距離で見させていただいているのだと思っている。

 

私の仕事は何なのだろう。

雑用をして、それを記録していくことで、お金をいただいている。

経済学をかじったくせに、私は未だに、生産活動以外の活動でお金を稼ぐということが不思議に思えてしまう。私は前近代人のようだ。

実際、細々とした事務作業や、施設管理のための細々とした仕事はたくさんある。

それらをしているときは「仕事してる」って感じる。

でもそれらって、組織として今のシステムで動くために必要なだけであって、本質的な意味はないんだろうと思う。

回覧してハンコ押していったり、出金入金の帳簿をつけたり、出勤退勤の打刻をして記録したり、様々な備品や機材の点検やチェックをしたり。

現代日本社会のシステムは、こういう管理によって回っているんだなあと実感する。

私もその歯車に組み込まれて人並みに歯車として回れるようになったけれど、慣れないなと感じている。

 

今日は利用者さんのイレギュラーの送迎で、今までで一番の遠出をした。

バイパスも走って、片道20kmぐらい。

初めての道で緊張したけれど、無事に送迎業務を終えられて、少し自信がついた。

お疲れだった利用者さんは、途中で眠っていた。

彼女の眠りを妨げずに運転できるようになったんだと嬉しかった。

 

運転もだけど、料理にしても掃除にしても片付けにしても、電話の応対にしても利用者さんとの会話にしても、私はここでたくさんのスキルが上がっている。

私にとってはありがたい。でも、私のスキルが上がってどうするんだって思う。

この施設の本来の目的は、利用者さんたちが自立できるための生活スキルや養育スキルの向上なのだから。

「ここに居たら、何でもできるようになるわよ。というより、何でもできるようにならなきゃいけないのよ。」

と、昨年の春、先輩職員さんに言われた。

職員さんたちはくるくると、生き生きと、笑顔で立ち働く。

頼もしいなと思う。修羅場もたくさんくぐっている。とんでもないことのお手伝いもしている。

本当にすごいなと思う。

私もそうなりたいなと思う気持ちもあるけれど、私はこの仕事に誇りを持ちたくないと思っている。

 

確かに利用者さんたちは、とんでもない方が多い。

確かに職員さんたちは、愛情いっぱいだ。自分たちにできる限りのことをしている。

でも、職員にとって利用者と職員は明らかに違う存在だ。その違いは歴然としている。

その認識の仕方が、私には違和感がある。

私の方が異質であるのだろうけれど。

同じ人間でしょって、平等で対等な仲間でしょって思って、虚しくなる。

そうだ、子どものことを平等で対等な仲間とは認識できない人たちなんだなとも感じる。

そのことも、とても残念に思う。

ただ、私は職員として、職員さんたちの仲間に入れてもらえているのも強く感じる。

日に日に、信頼関係が深まっていくのを感じている。

だから私はとても居心地が良い。とてもありがたい。

でも、私ばかりがこの場所で居心地良く楽しんでいてどうするんだって思う。

 

 

わかっている。

私が職員さんたちの間で良い関係を作っていくことは、仲間になって共に一生懸命働くことは、利用者さんたちのためになるって。

だけど、私と彼らの間には、絶対に交わらない認識の違いがあると感じる。

私と一部の利用者さんたちや子どもたちとの間の方が、認識の違いは小さいように思える。

だって私たちは、互いを平等で対等な存在だと思えているから。

 

 

 

とは言え、私は職員さんたちひとりひとりのことを、より知っていき、より近づいて、より好きになっていっている。

苦手だった人の良いところもたくさん見つかって、良い関係が作れてきた。

 

コロナ禍が収まったことにより、我が町の伝統あるお祭りが今年から大々的に再開となった。

それに伴い、我が社もお祭りに参加することになった。

ギネスにも載った、最大の傘踊り。

会社として連を組むので、各施設から最低1人は供出することとなり、今年は我が施設からは私が踊り子になることになってしまった…。

DVDを見て踊りの自主練を始めたまえと本部から通達があった。

7月からは全体練習が始まり、8月のお盆が本番。

踊りの練習優先で業務分担してください、と上司からは会議で言われた。

一体どうなってるの 笑

DVD見たけれど、4曲もあるし、傘の扱いもよくわからないし、私ひとりではとてもじゃないけど踊れそうにない。

コロナ前は毎年、施設内でみんなで練習してましたよと先輩から聞いたので、

海外まで踊りを教えにも行ったことがあるという上司や、何回も参加したという職員さんに、踊りを教えてくださいとお願いした。

他の先輩たちにも、教えてくださいとお願いした。

みなさん、快く、やりましょうやりましょうと言ってくれた。

みんなほんとにいい人たち…!

所長にも、鳥取市に来たからには、ぜひ一度は踊ってみてくださいと満面の笑みで言われた。

身体を動かすのが苦手な私だけど、踊れるようになったらきっと楽しいと思う。

仲間に手伝ってもらって、練習するのが楽しみになってきた。

きっと子どもたちも一緒に踊ってくれるだろう。

 

小学生の頃、家族で近所の盆踊りに何度か行ったことを思い出した。

弟は踊るのがすごく好きだったな。

私は初めは恥ずかしくて、踊るのも苦手だから嫌だったんだけど、

輪に入って、何回も繰り返して見様見真似で少しずつ踊れるようになってくると、だんだん楽しくなってきた。

これが最後ですってアナウンスを聞いて、とてもがっかりしたことも覚えている。

最後の曲が終わると、みんなでお疲れさま〜って笑顔で拍手し合った。

見ず知らずの人たちとの一体感があった。

私たちは仲間だなって、あの瞬間、感じた。

 

そういうゲマインシャフト、この町にはまだ濃厚に残っていることを、時々感じる。

私は流れ着いた先のこの施設で、この町のお祭りにも組み込まれてしまった。

このあたたかいゲマインシャフトの中で、仲間として踊ることが楽しみになった。

初めは誰でも下手くそなものだ。

仲間たちに手伝ってもらって、練習しよう。

きっとこの夏が終わる頃には、私はまた新たな居場所を得ているだろう。

 

私が大切にしている価値観は、大切にしたらいい。

その価値観を同じように大切にしている仲間たちとの場所が、私の居場所だって思うのは当然だ。

でもそれはそれとして、私は価値観の違う人たちとも、仲間になって、共に暮らして、働いて、踊って、生きることができる。

それは私の心構えひとつで、選べることなんだ。

私はとても恵まれていると思う。

本当に。

ありがたいなと思う。

短い人生だ。祭は、ひとりではできない。

ひとりで居たい私だけど、お祭りも人生には必要なんだろう。