今日は快晴。職場でプール開きだった。
暑い最中、博物館の恐竜展に同行もしたし、濡れた子どもたちの世話もしたし、
もう夏休みが来たようだった。
ここのところ元気のない中学生のAちゃんが、今日は転校前の学校の仲良しの友だちと遊んでくる、と嬉しそうに出かけた。
帰宅した様子は見ていなかったけれど、
19時頃に、運動したいから近くの公園に行ってもいい?と言ってきた。
Aちゃんの積極的な姿を見るのはとても珍しいので、嬉しかった。
でもこの時間からひとりで行くのはどうかと思ったので、私も同行してもいい?と尋ねた。
それならバドミントンをしたいと言うので、バドミントンのラケットを持って、
2人で薄紫の夕暮れの中を歩いた。
Aちゃんは吹奏楽部に所属している。
私も吹奏楽部だったんだよと言うと、色々な話をしてくれた。
転校して楽器が変わってしまったこと。
スランプを乗り越えて、やっと好きになって、やっと上手になってきたところだったから、
今の楽器も好きだし頑張っているけど、本当は前の楽器を吹きたいこと。
今の学校はコンクールに向けて熱量が高くて、ちょっと馴染みにくいこと。
でも音楽は好きで、今練習している曲は吹いていてすごく楽しいこと。
挨拶以外ほとんど話したことがなかったから、Aちゃんがたくさんおしゃべりしてくれて嬉しかった。
高校に入っても大学に入っても吹奏楽部はあるし、大人になってからでも、市民吹奏楽団などは全国のどこにでもあるから、楽器は続けられるよと言った。
身につけた前の楽器のスキルは消えないから、少し練習をすれば思い出して吹けるようになるから、きっと前の楽器も吹くことができるよ、と言った。
そうなんだ!と、とても嬉しそうにしていた。
楽器吹きの先輩としてお役に立てたようでよかった。
久しぶりに吹奏楽の話ができて、私もとても楽しかった。
バドミントンをしながらも、音楽以外のことも色々なことを話した。
もう帰らなきゃと言うと、え、もうそんな時間なの?とびっくりしていた。
楽しい時間はすぐに過ぎちゃうね、と言うと、にこにこしていた。
またお話聞かせてね。ちょっとは元気になった?と聞くと、うん、楽しかった。元気出ました。と、笑顔を輝かせてくれた。
他の職員の先輩たちがAちゃんと話したことを日報にあげてくれていて、
とても落ち込んでいる話だったり、暗いことばかり考えてしまうことだったり、
なんか本当に大変そうだなと思っていた。
マイナスの話を延々と聴いて、そのことについて原因を探し、対処していくというのが支援というものらしい。
でも、そういう支援のあり方が、より神経症的策動を生み出しているようにも思う。
これはAちゃんに限ったことではなくて、多くの利用者さんたちに共通している。
パセージの心理面の目標で言うと、支援によって「人々は仲間だ」が達成できることは多いけれど、「私には能力がある」はほとんどの場合達成できていない。
実際に生活リズムが崩れていることや暗い表情でうつむいていることが多い様子からも、
私はAちゃんの健康なところに目を向けられないでいた。
でも今日私は、Aちゃんの粘り強くて一生懸命なところや、自分の好きなものがちゃんとわかっているところや、楽しくおしゃべりできるところや、自分をメタで見れる賢いところなど、
たくさんの素敵なところ、健康なところを感じることができた。
学校のことや家庭のことなどで、Aちゃんがマイナスの意味づけをして話をするときは、
私は黙って話を聴いていた。
私の意見は言わなかった。
私は彼女の健康なところと、つき合っていきたいなと思った。
音楽という世界の拡がりを彼女は持っているから、きっと大丈夫。
音楽を通して出会う人々との繋がりがあるから、きっと病気を使わなくたって、彼女は所属して生きていくことができる。
20時に帰ってきて、おやすみなさいと挨拶した。
すると20時半に、勉強したいから部屋を貸してほしいと、またAちゃんが来た。
そのままひとりで21時半まで勉強をしていた。
きっと、Aちゃん、前向きな気持ちになれたんだと思う。
自分は生きていても意味がないなんて数日前に言っていた子だとは、とても思えない。
一緒に、穴の底から空を見上げることができたのかもしれない。
自分で自分の人生を生きて行こうって思えたなら、もう大丈夫だ。
だってAちゃんはとっても粘り強い頑張り屋さんだもの!
私は満足な支援ができそうにないけれど、勇気づけることはできると思う。
私は子どもに対しても、何かをしなさいなんて言いたくない。
子どもがしたいことをできるように、援助したい。
自分のしたいことをわかっていることは、本当に大事なことだと思う。
帰宅して、Aちゃんが今練習しているという曲を聴いてみた。
私も知っている作曲家の曲で、懐かしくなって幾つも吹奏楽曲を聴いてしまった。
吹奏楽の音楽は、基本がマーチだったりして、とても明るい。
オーケストラの音楽と比べると、ちょっとアホに聴こえるぐらい、哀愁がない。
私は吹奏楽的なトランペッターとして、他人からアホに思われるぐらい、明るい音色を響かせようと思った。
Aちゃんとも一緒にアンサンブルしよう。
コンクールの曲を練習していた日々の夏の青空を思い出した。