落とし穴

今日は部屋の模様替えをした。

子どもたちが来ると日中はもうエアコンなしでは限界になってきたので、エアコンの掃除もした。

数ヶ月前から気になっていたソファーの凹みが、もう処分していいだろうと思えるようになり、

新しいソファーに買い換えることに決めた。

気に入った物を見つけたので、来週やって来る♪

今のソファーより一回り大きくなるので、搬入に備えて、家具の大移動と掃除を子どもたちと一緒に行なったのである。

気持ちよく働いてくれて助かった。

3人で疲れたーと言いながら、今までお世話になったソファーに並んで座ってアイスを食べた。

もう夏だ。

 

元気な子どもたちが使うソファーは、しっかりしたものでないとすぐにダメになる。

物持ちが良いのはとても良いことだと思っているので、なるべく長く使い続けたいのだけど、

私は家具を見るのが好きだ。

我が家の最寄りのスーパーよりも近くに家具屋がある。

通勤経路を開拓していると、また別の家具屋も発見した。

ひとりでふらっと立ち寄るのが好きだ。

 

この家を整え始めてからもう1年になる。

私は、自分の部屋を好きなように整えることができる。

そして今は、自分で稼いだお金を好きに使うことができる。

私のひとりの時間と空間は、私が良いと思うように差配してよいのだ。

精神的にも経済的にも物理的にも、ああ私はやっと自立したのかもしれない。

今までは誰かにお任せをしていた。

あるいは誰かの意向を気にしていた。

もしくは、自分ひとりでいるところは仮のもの、大切にしようという気が起こらなかった。

今は私を世の中で役立ててもらえるように、私は私をよい状態に保っておくことが大切なのだと思えるようになった。

 

働き者の子どもたちは、生活は自分たちで作っていくものだと学んでいる。

それは、農家の息子として働き者に育った彼らの父親のおかげだと思う。

私は甘やかされた子どもで、怠惰な人間に育った。

私にはない彼らのたくましさは、生活力があるところにも関係するのだろうなと思う。

 

 

 

職場で出会う子どもたちのことを知っていくと、生活力のない子が多いように感じている。

基本的な生活習慣という観点というよりも、それ以前の、

食べること、寝ること、身体を動かすこと、頭を動かすこと、それから直接に人と接すること、

そういう当たり前の人間的な行動ひとつひとつへの関心や気力が、薄いように感じる。

食べれない、眠れない、動きたくない、勉強したくない、誰とも会いたくない…

オンラインの、ゲームやネットの世界での人とのつながりは、ある。

しかしそれが果たしてこの子たちにとって悪いことなのかどうかといえば、もう私にはわからなくなる。

オンラインゲームがこの子たちをこの世に繋ぎ止めている綱なんだと思うことがある。

 

 

底が抜けていくような気持ちになることがある。

ここが底だと思っていたら、とんでもなくて、もっともっと下へ落ちて行く。

そして職場の人々も関係機関の人々も、みんな口を揃えて、原因は何だ?と探す。

自分たちは淵から暗い穴をのぞいて、餌をつけた糸を投げ入れている。

これを食べればいいのにって、何なら食べてくれるのかなって、そんな相談をしている。

それが良いことなのかどうかといえば、それも私にはわからない。

 

 

この職場は、移動を願い出る人がすごく多いのだと上司から聞いた。

利用者との関係に疲れて、辛くなってやめる人が多いのだと。

私も今洗礼を浴びているところだ。

私が業務上必要な注意喚起を行った時、私が縦の関係を作ってしまったことがきっかけだ。

あの時の私の構えは、決して平等で対等な横の関係ではなかった。

失敗、である。

けれど、その話をしたら、それは誰もが通る道ですと上司は言ってくださった。

ここからもう一度関係を作り直すことができたら、それがとても強みになります、と。

それは支援にとっての強みという文脈で仰ったようだったが、

きっとその子にとっても、生きていく上で強みになるだろう。

 

 

落ち込むことはあるのですか?と上司に尋ねられて、笑ってしまった。

私はすごく落ち込みやすいんです。と言うと、とても驚いておられた。

だから這い上がるための訓練をしました。と言うと、もっと驚いておられた。

しんどい思いや、嫌な目に遭ったり悲しい思いをしたり、落ち込むことを私はたくさん体験してきたから、

人と比べて量や質がどうかはわからないけれど、

怠惰でプライドが高く打たれ弱い私にとっては、嫌になる程体験してきたから、

それは良いことだったんだと思う。

私以上にプライドが高く打たれ弱く、大変な状況で閉じ込められている利用者さんたちと、私はどのように接していくべきか。

 

誰かを救うことなどできない私は、せめて、深い穴の底から一緒に空を見上げてみたいと思う。