変わらない

今日の業務は引っ越しの手伝いだった。

同じ建物の中の居室を移動するだけなので、最も簡単な部類の引っ越しではあるが

生活するにはたくさんの物が要るんだなあとあらためて思った。

古くて要らなくなったものを処分したり、新しく買い替えたり、

ついでにちょっと自分の好きなものを買ってみてにこにこ眺めてみたり、

利用者さんの気持ちが晴れやかになっているのを感じて嬉しかった。

我々職員はみんなで荷物を運んだり、ゴミを運んだり、

あれをどこに置こうこれはどうしようと相談したり、電球切れてるわと取り換えたり、エアコンのリモコンどこ行ったと探したり、

棚を作ったけどこの段の高さだと使いにくいと言われて、やり直してくれる職員がおられたり、

そんな間にも利用者さんのお昼ご飯の用意をする職員もおられたり、

みんながそれぞれの持ち場で手分けして働いた。

ガスの立ち合いの人もびっくりされるぐらい、5、6人が入れ替わり立ち替わりで、

1時間半ほどで引越しは完了した。

 

一番面白かったのは、昨日私が引っ越したところで、

新居からの初出勤の初業務が引っ越しの手伝いだったということである。

「引っ越しはほぼ完了しました!」と調理中の上司のマクゴナガル先生に報告すると、

「あ、昨日だったのよね?あれ、どっちの引っ越し?」と言っていただいた。

「あ、私の方は昨日無事完了しました。ありがとうございます。居室移動ももうすぐ完了です。」

「オッケーオッケー。じゃあ今日は引っ越した先から?」

「はい。歩いて来ました♪」

「楽になったでしょう。どれぐらいで来れるの?」

「20分もかからないですね。ほんとに楽です〜。たくさん眠れます。」

「そうよね、早番の日なんかも大変ですもんね。よかったが〜♪」

 

そのままマクゴナガル先生と2人で調理室で、夜の調理担当は私だったので、メニューの相談や、下ごしらえをした。

ジャガイモの皮を剥きながら「ここでお仕事させてもらうようになってから、私家事能力上がったんですよ」と私が言うと、

「そうそう!私も私も。」とツナときゅうりを和えながらマクゴナガル先生も笑われた。

「前の引っ越しはけっこう疲れたんですけど、今回は意外と片付けもできるようになったし、テキパキ動けるようになったなって思って。」

「ここの仕事は特殊だから。もう、何でもしなきゃでしょ。

 私毎日お料理して、家でもしてって、この二重生活始まった時なんかは、もう家で作るのしんどくなっちゃって。もう適当に食べて〜って言っちゃったわ。」

「そうですよね。毎日のようにしていただいて。」

「いいえ。でも、いいですね。そうやって楽しみを見つけてお仕事できるのって。」

「他のみなさんもそうですよね。明るくて、色々とできることをしておられて、素敵だなって思います。

この前も、Hくんがなかなか起きなくて給食時間も過ぎちゃった日、Tさんに起こしに行ってもらったんですけど、30分経っても帰ってこられなくて。やっと帰ってこられたら、お昼ご飯作ってたって。」

「ああ、あの日。そうだったの。あ、ちびちゃんたちに食べてもらいたいから、小さく切ってね。ニンジンはこれぐらいに切ったから。」

「はーい!」

 

マクゴナガル先生はここ一ヶ月の間、出勤された日は毎日、事情のある子どもたちや利用者さんのご飯担当をしてくださっていて、

休日や、昼夜の食事が必要な日はどちらかを他の職員が持ち回りで担当している。

栄養があって、食べやすくて、毎日違うメニューを、美味しく食べてもらえるように。

ふたりで向かい合って包丁を使いながら話をしていると、この方は本当に真心で利用者さんに向き合っておられるんだなあと感じた。

「このお肉も、全部使わなくていいからね。少しでも残しておいてもらったらいいから。」

「あ、そうですか?使い切ってしまった方がいいかと思っていました。私、大量に作っちゃうんですよ。山賊料理で…」

「家とは違うからね 笑  なるべく同じにならないようにしたいから。預かったお金で買った食材だから、大切に使ってほしくて。」

「わかりました。量は少なくても、別のメニューとして使う方がいいんですね。」

「そうそう。飽きないようにね。」

「…そうだとすると、このジャガイモ、大量な気がしますが…」

「あ、ジャガイモはいいの。お野菜食べてもらいたいし。でも形が残ってるとちびちゃんたち食べないから。」

「じゃあ煮崩れさせてトロトロにしますか。」

「うん、そうしてそうして〜。あと、お肉が続いてるから、今日のメインはお魚にしてもらいたいの。カレイ冷凍してるから、ムニエルにでもしてもらえる?」

一緒に料理をして、一緒にあの人に喜んでもらえるようにと頭を悩ませて、

こんなmitmenschen(仲間)ができてとても嬉しい。

 

食べるということや子育てや暮らすということ、その全てに関われること。

それらをみんなでお手伝いしていくこと。

とてもとても不思議なんだけど、楽しいなと思えてしまう。

そして、他の職員のみなさんも、明るく楽しそうに働いておられるのが心地いい。

必死になっていたりどん底に落ち込んでしまったりする利用者さんたちも、職員が楽しそうにお手伝いをすることで、生活の方に気持ちが向いていっているように思う。

生活の中に楽しみを見つけていくことは大切だと思うようになった。

生活するということを楽しめるのは素敵なことだと思うようになった。

少しでも穏やかな生活が、少しでも笑顔の多い生活が、そんな生活がこの施設で、みんなで営めるようにと願う。

そのために私にできることはたくさんあるのだと思えている。

不安なときは側にいて手をさすったり、

嬉しいときは話を聴いて共に喜んだり、

私にはそれだけのことしかできないけれど、それだけのことも捨てたもんじゃないと思えている。

ある職員は一緒にゲームで遊んだり、ある職員は一緒にスポーツをしたり、ある職員は一緒におしゃべりをしたり、ある職員は一緒にドライブに出かけたり、ある職員は一緒に釣りをしたり一緒に魚を捌いたり、ある職員は一緒にお菓子作りをしたり、ある職員は美味しいご飯を作ったり。

みんな、それぞれの持ち場で自分を生かして働いている。

その中で、利用者さんや子どもたちが、少しずつ変わっていく。少しずつ癒されていく。

いい職場だなって、思えてしまう。

 

 

私はどこか「世の中をついでで生きている」ようなところがあって、

生活に必死になれない。

(いや、子どもたちがとても小さかったときと、長男が小学1年生のとても荒れていたときは、私は生活に必死だったな。でもそれはかなり特殊な時期だった。)

「世の中をついでで生きている」というのは落語の与太郎につく接頭語なのだ。

仕事もせずふらふらしていて、常識を知らなくて、いてもいなくても大した違いがない、その割にふと世の中を俯瞰で見たりする。

私もいてもいなくても大して違いがないような存在だろう。

何か大きな人物になりたかったけど。

でももう、私はその野心は葬ることにした。

私は現代の一般的な価値観に馴染めないでいるし、能力もさしてないし、役に立つことも大してできない。

私はそういうしょうもないちっぽけな存在だ。

だからこそ、守るものなどないしょうもない存在だからこそ、冒険ができるのだと思う。

この施設、小さな小さな暮らしの現場で働くことも、大冒険だ。

 

もう通勤で気力体力を使う冒険は終わり。

早番のときなど、始発のJRに乗るために4時半に起きてお弁当作って、6時前に家を出て25分歩いて、1駅乗って、20分歩いていた。

それが、これからは20分歩くだけ!

通勤にかけられていたエネルギーと時間とを、私はもっと冒険に使えるようになる。

読めないままでいる本が大量にある。

野田先生からいただいた本も大量にある。

学ぶという冒険に、エネルギーを注いでいきたい。

 

私はとても変わったようでいて、幼い頃から何も変わっていない。

私はいつだって、自分で自分の楽しみを見出すのが上手だった。

そして人々が穏やかに暮らしていることが好きだった。

私は同じようには暮らせないなと思いながら。

夕暮れ時、窓に灯りが灯るのを見るのが好きだ。

あの家の中にはどんな人が住んでいて、どんな風に暮らしているんだろうって想像するのが好きだ。

学校帰りやピアノのレッスンの行き帰り、大きなお庭のあるお屋敷の横を歩いた。

今でも何軒かのお屋敷を覚えている。

マンションなどの広告の、家の間取りを見るのも好きだった。

だから結婚してから、一軒家を建てることになり、色々な物件を見たり色々な施主のブログを見たり、家の雑誌や本やテレビ番組を見たりするのは、とても楽しかった。

でも私自身は家事も生活に熱を持つことも好きではなくて、ただただ、人々の暮らしに夢を見るだけなのだ。

それは今も変わらない。