Judas

この1週間の間に、新しい利用者さんが増えて、私の担当する子どもさんも増えた。

月末になると支援計画の検討や報告文書を作成したり、何かと業務も増える。

ルーティンワークは少しずつ慣れてきたが、慌ただしい1週間だった。

 

そうだ、でも私の子どもたちが2泊しに来てくれたりもした。

新しい子たちが入ってきて忙しくなったんだよ、と言うと、

何して遊んだの?と長男と次男が聞いた。

他の子たちも一緒に、かくれんぼとかバドミントンとか卓球とか鬼ごっことかしたよ、と答えると、

初めて来て、すぐに一緒に遊んでもらえて良かったね!その子たち嬉しかったと思うよ!と言った。

どうしてこの子たちは、こんなに嬉しそうに言ってくれるんだろう。

本当にいい子たちだなと思う。本当にいい子たちだね、と言う。

「ぼくはいい子ですよ。でもお母さんに甘えたいので甘えます〜」と次男は言う。

きちんと言葉でお願いしてくれるので、ご飯にふりかけをかけたり、かけたふりかけを混ぜたり、膝の上に乗せて頭をなぜたり、ほっぺたをなぜたり、依頼された通りにさせていただき、存分に甘えていただいている。

ついでに長男の方も頭をなぜたり、ほっぺたをなぜたりする。

まだ嫌がらずに甘えていただけている。

 

 

 

毎日、仕事からの帰り道は、歩きながらその日の子どもたちの様子を思い出す。

子どもたちのこれからについて考える。

子どもたちの素敵なところを思い出す。

子どもたちに学んでもらいたいことを考える。

次会ったときに、どうやって学んでもらえるかと考える。

 

私に懐いてくれる子が、日に日に増えている。

とても嬉しいことだ。

今日は高校生の男の子とけっこう話すことができた。

中学生の男の子で、かなり私と仲良くしてくれる子もいる。

小学5、6年生の女子たちも、遊んで遊んでとひっついてきてくれる。

遊びの部屋のソファーに女子3人で座ってしゃべっていると、中学生男子や高校生男子や低学年男子がそれぞれのやり方で私たちにちょっかいをかけてくる。

これまで交流のなかった子たちが、私というちょっと変わった新参者を媒介として、関係を築き始めたみたいだ。

 

それから、今日はもうすぐ1歳の子と、2歳になったばかりの子の面倒を見るという幸せなミッションもあった。

1歳未満の子は、独特の甘い香りがする。

またこうやって小さな子を抱っこさせてもらう機会に恵まれるなんて、ありがたいなと思った。

本当に、ただただ可愛くて、一緒に居られて幸せだなあと思った。

 

 

 

養育困難とか育児能力が低いとかいう家庭の資料を見ていると、

一体、理想とされている健全な養育だとか育児能力が高いだとかというのがどういうことなのかよく分からなくなってくる。

私自身だって、ろくな親ではないだろう。(でも私の子どもたちは立派に育っていると思う。)

また、そういう子どもたちへの具体的な支援というのが、私からするとたいへんに過保護・過干渉な育児で、

注目関心はたっぷりするけれど、結局賞罰でもって適切な行動を植え付けようという目的に向かっていて、

自立して自分で考えて行動する子どもには育っていかないような働きかけに思える。

 

しかし私自身も過保護過干渉な対応を、業務として行わなければならないこともある。

ああ今私はアドラーを裏切っていますと心の中で呟きながら、言われた通り業務を遂行する私は裏切り者である。

 

不適切な行動に注目してしまうことも多々ある。

命令口調を使ってしまうことも多々ある。

慌ててお願い口調に直すこともあるが、気持ちとしては完全に命令気分である。

不適切な行動で私の注目関心を引こうとする子たちのなんてたくさんたくさんなこと!

でも、みんなの必死の適応努力なのもわかる。

どの子もとても可愛くて、大好きだ。

私の身体はひとつである。みんな、私と遊びたいと言ってくれる。私の取り合いになる。

これが終わったら、これが終わったら、という予約が何重にも入る。とてもモテている。

 

おかげで全然デスクワークが進まない。

おかげで短時間で文章を考える訓練ができている。

大丈夫、たくさん遊んでコミュニケーションを取る、というのが私の重要な業務なのである。

子どもたちに誘われて私がすぐに外に遊びに出るので、上司に私が体育会系だと思われていたことが今日判明した。

前代未聞のことである。

しかし、身体はついていきませんがメンタルは体育会系です、と、今日は心から言うことができた。

 

 

少なくとも私は、理想の子どもに仕立て上げようという目的は唾棄すべきものと思っている。

より良い所属の仕方を学んでほしいと思っている。

私は子どもたちを矯正するんじゃなくて、適切な行動を学んでもらえるように働きかけ、適切な行動を選ぶ勇気を持ってもらえるように働きかけたいと思っている。

できる限り、過保護過干渉な支援の方針は裏切りつつ、

支援計画の目的(適切な行動をできるようにすること)には向かうように、

勇気づけというアドラー心理学の技法や、パセージで学ぶ技術を使おうと努めている。

 

でも、時々、やっぱり、私は子どもを支配しようとしているかもしれない…。

ごめんね。

他の家庭の子どもたちを養育していくことは、自分の子どもの子育てより、難しいと思う。

この仕事をしていて、悲しいなと思うことも多いけど、

楽しいなとか嬉しいなと思うことの方が、多いと思う。

私がこの1年で失ったものと得たものとを比べれば、

得たものの方がはるかに多いと思えてしまう。

悲しさを知っていることは、私の強みなんだと思ってもいいかな、と思う。

それでもやっぱり、この子たちのことをわかることは、私にはできないと思う。

私はあまりにぬくぬくとした温室で育ってきた。

でも、だからこそ、美しい物語を知っている私だからこそ、この子たちのお役に立てる日が来ればいいなと思う。

物語が変われば、ライフスタイルが変わり、現実も変わってしまう。

そういう「物語」を信じるクレイジーさが、私が他の支援者の人たちと一番違うところだと思う。