昨日は初めて、仕事を終えてから友だちと待ち合わせて遊びに出かけた。
今日は午後からの仕事なので、夜遅くまでゆっくり話すことができた。
何人か、こうやって何でも話せる友だちが側にいてくれることがありがたい。
私は恵まれているなあと思う。
職場の人たちとも良い関係を築いていっていると思うけれど、
隠れキリシタンのようにこっそりアドラー心理学の実践をしているので、
私の価値観を表すことはない。
私はここに至るまで、人と衝突することを気にせずに、自分の価値観を貫き、表明し、周りの人たちに押し付けてきた。
まあ、争いが絶えなかったのは当然だ。
今は、価値相対主義という立場に立ちたいと思うようになった。
今生では達成できない目標だと思うけれど。
私の大切なものは、私が大切にすればいいのだなと実感している。
私が子どもたちに、賞罰でなく勇気づけでもって良いことを学んでもらうということを大切にしたいのであれば、
私がそれを大切にして、実践すればいいのだ。
幸いなことに、職場の皆さんは私のやり方を尊重してくださる。
皆がそれぞれのやり方で、同じ目標に向かって働きかけていくことが良い、という共通感覚がある。
大変恵まれた職場だと思う。
昨日、全盲の女の子が、私に話しかけてくれた。
「あのね、昨日、夢にMさんが出てきたんだよ〜」
「え?そうなの?嬉しい!」
「なんかね、Mさんが私のお母さんでね、なぜかお母さんが私の妹だったんよ」
「ヘ〜そうだったんだ。私たち家族だったんだね。」
「そうそう(笑)それでね、夕食一緒に食べる夢だったの。」
「一緒にご飯食べれたんだ。いいねえ。私たち何食べてたの?」
「高級中華料理!」
私には決して彼女とご飯を一緒に食べる機会が来ることはない。
私はただ通りすがりのお手伝いだ。
週に何回か、お薬を渡したり、挨拶をしたり、ほんの10分ずつぐらい接するだけの関係。
だけど、もしかしたら私は前世やその前の前世で、彼女のお母さんだったのかもしれない。
彼女のお母さんの、お母さんだったのかもしれない。
短い時間の中で、それをそっと彼女の受け取りやすいように表すことができなかったから、
その時は言わなかったけれど
彼女がそんな風に良い物語を私との間に作ってくれたということが、本当に嬉しかった。
彼女の大変な状況を知っているから、彼女の物語を作る強さが、より一層輝いて見える。
きっと彼女は大丈夫。
私はどこまで、物理的に時間的に彼女と関わることができるかわからない。
だけど、私は彼女とつながっている。
私はこうやって人々と共に生きていこう。
今から仕事に行ってきます。