缶コーヒー

今日は一日雑用で外に出ていた。

夜はオンライン抄読会だった。

 

今日は阪神淡路大震災から27年。

震災にまつわる早期回想はいくつかある。

そのほとんどが、良い早期回想だ。

私にとっては、危機的状況そのものが良くない早期回想になる、というわけではないようだ。

危機的状況の中で、私は家族に大切にされていることをより実感した。

家族が互いに助け合って、困難を乗り越えるという連続だったあの頃の数年間が、

私の子供時代の一番輝いていた時期だと感じる。

 

家が全壊して、親戚の家に身を寄せて暮らしていた数週間、生活が落ち着くまでは不安もあった。

でもそれは退屈さ、自分のすべきことがないということについての絶望感であって、

転校先が決まってからは、私のすべきことが明確になり、とても幸せだった。

私は学校生活をおくることに一生懸命になり、たくさんの友だちができた。

放課後は同じく被災してきた子どもたちと、弟と一緒に公園で遊んだ。

家では宿題をしたり、母の隣で食器を拭いたり、布団を敷くのを手伝ったり。

 

どう考えても大変な状況だったし、不安でいっぱいだったと思うのだけれど、

私の両親はとても明るかった。

父の会社が借り上げてくれた小さなアパートは、寒くて、和式のトイレで、お風呂場はとても小さくて床はコンクリート貼りで寒々としていた。

家具なんかほとんどなくて、私たちの身の回りの物はほとんどすべてが救援物資やたくさんの方のご厚意の頂き物で、

ありがたいね、でも、不便だね〜とかみんなで笑いながら、

それでもとても豊かだったと思う。

故郷に帰りたくてたまらなかったけれど、友だちに会いたくてたまらなかったけれど、

とても幸せだった。

 

私の人生での一番大きな転機があの時だ。

その後、色々な転機があったけれど、一番大きかったのはあの時だ。

そしてその早期回想のほとんどが良いものとして思い起こされる。

今の私もそこそこ大変な状況ではあるが、状況が大変であるということだけでは、私は特に困らないのだ。

早期回想にそのことがはっきりと書いてある。

大変な状況は、私ひとりでは何ともできないけれど、

必ず私の側には安心できる誰かがいて、

その人たちとの関係の中で、小さなことでも、私にも何かお役に立てることがある。

私がすべきことがある。

それは、私にしか関係しないことかもしれないけれど、私がそれに取り組むことは、私の重要な任務である。

そんなことを学んだ。

私が大変な目に遭えば遭うほど、私は大切なことを学び、成長できるので

私は大変な目に遭うべくして遭っているのだと思っている。

この私の成長が、クライアントさんを援助するためのお役に立てるのだから。

 

 

震災から4ヶ月ほどたって、故郷に帰ってから、

毎年1月17日の早朝に、父は街を見に出かけた。

私も何度も父に連れられて出かけた。

どんな話をしたかはよく覚えていない。

あの日はああだったなあ、とか、この辺の道路も全部亀裂が入ってたなあ、とか、

もうこのマンション建て直ったんやなあとか、ここには何があったっけとか、

みんな無事でほんまによかった、とか、

私はほとんど話さず、父がぽつりぽつりと話していたと思う。

この日が父にとって大きな転機であり、この日を大切にしていることがわかった。

寒くて父のコートのポケットに手を突っ込んだら、強く握ってくれたことを覚えている。

 

そろそろ帰ろか、って家に向かい始めると、

朝焼けが少しずつ街に色をつけていった。

父が自動販売機の前で立ち止まって、熱い缶コーヒーを買った。

小学生の間、私が缶コーヒーを口にするのは、この1月17日の早朝だけだった。

熱くて、甘かった。

 

 

今日は、震災のときのことよりも、

その後、故郷に帰ってからのあの缶コーヒーのことを鮮明に思い出していた。

私は黙っていても、大切な瞬間に、大切な父との間に、所属できていたことを思い出した。

 

気負うことはないのだろう。

私がすべきことを真面目に誠実に取り組んでいれば、世界はちゃんと回っていく。

どんな状況であっても、私は今までも、幸せに暮らしていたんだ。

なんて恵まれているんだろう。

感謝しかない。