おかえり

早朝の5時半は真っ暗だった。

17分歩けば職場に着く。

今日はどんなことが起こるのかなと、少し楽しみに思いながら歩く。

昨日のオンライン勉強会で、仲間のみなさんからとても勇気づけていただいた。

自分にできることを探しながら、真心で子どもたち、利用者さんたちに向き合っているけれど、

彼らにとって役に立てているかどうかわからなくて、

一瞬ああよかったうまくいったと思えても、次の日には何歩も後退りしているような日々だ。

でも、私は今子どもたちの早期回想の現場に居合わせ、子どもたちの良いところをいつも見つめ、伝え続けるという役回りをすることで、

彼らに自分が美しい物語を作ることができるっていう灯をともしてあげられるのかもしれない。

今の私にそれができているとは思えないでいるけれど、そうなればいいなと思えた。

私が子どもたちを利用者さんたちを大切に思う気持ちは、本当だ。

これはアドラー心理学というより、仏教のおかげだと思う。

瞑想するときはいつも彼らのことを思う。

白ターラー菩薩が彼らを見守ってくださるようにと祈る。

私の体を使ってくださるようにと祈る。

 

 

 

私が頑なにアドラーの実践を手放すまいとすることで、幼い子たちのご機嫌を損ねて大泣きさせてしまうこともある。

泣かせないことが優先される場面も多い。

落ち着けるまで抱っこをして、泣いて叫ばずにどうしたいのかお話ししてくれるまで待つ。

すべきことすべきでないことを説明し、理解を求め、納得してもらって、協力してもらうように話し合う。

私がそんなことをしようとしていて、「いやだー!」と3歳の子が3回ぐらい叫んだら

「ほら、アンパンマンのテレビ見よう、ジュース飲もうか、ほ〜らいないいないばあ〜」

とベテラン保育士の職員さんたちが手伝いにやって来てくれる。

そうやってその場しのぎの対応で子どもたちのご機嫌をとり、大人の都合に合わせて動かしていく。

この前はちゃんとお話し合いをしてくれて、私たち分かり合えたんだけどな…だから今日もきっとお話し合いをして、協力してくれると思うんだけどな…ちゃんと学んでくれるはずなんだけどな…

そんな風に寂しく思いながらも、私は手を離す。

 

子どもを泣かさないための工夫が様々にある。

私もそれに頼ることもある。大きな音でEテレをつけながら保育園に送迎したりもする。キャラクター付きの服や靴を可愛いねと言ってみたりもする。

こんな風にしてコンテンツが消費され、衣服家具おもちゃ食品までキャラクターで埋め尽くされた生活、ずっとテレビがついている生活、

私はとてもとても嫌いだ。

でも、それでもこの子たちが健やかに育つには、関係性によるんだと昨日の勉強会で気づけたことで、

その潔癖な私の私的感覚を一旦手放して、私がこの子たちとどうやって良い関わりを持っていくか、良い物語を作っていくかに集中しようと思えた。

それしか、できない。

それなら、できる。

 

 

毎日毎日、次から次へと色々なことが起こる。

今朝は7時過ぎから「足が痛い〜」という泣き声の内線がかかって来た。

膝のサポーターが丸まって足を圧迫し、鬱血していた。

サポーターを外し、足と腰をさすり、気持ちを落ち着かせて、

体を起き上がらせるのを手伝い、痛み止めを飲ませて、トイレに行くのに肩をかして、

お大事にしてくださいね、また様子見に来ますねと言って退室した。

担当の先輩職員さんに報告した。いつもありがとう、と言ってくださった。

私たちは家族みたいだね、と時々本当に思う。

 

その後、先輩職員さんが病院に連れて行ったと聞いた。

昼過ぎ、その利用者さんが帰ってこられた。

おかえりなさい、と声をかけると、

病院で痛み止めの注射してもらえて痛くなくなったんよ、歩きやすくなったわ〜って

笑顔で話してくれた。

よかった!朝はどうなることかと思ったんですよ〜

うんうん、とにこにこ手を振って、部屋へ入って行かれた。

私が、あなたが元気であることを喜ぶって思ってくれているんだなあとわかった。

とても嬉しかった。

 

注目関心も大いにあるのはわかっている。

でも、望み通りにたっぷり注目関心を注いだら、気持ちの落ち込みが軽減されるということ、肌でわかるようになった。

今このとき、この方の心細さを共有できるのは私しかいないのだから、

私は側に居て、痛いのは辛いですね、そう言いながら足腰をさすっていた。

そのことに何の治療効果もないことはわかっている。

でも気休めを言うのは嫌いだ。

ただ私が、この方を大切に思っていることだけが伝わればいい。

それがこの方にとって一番安心されることだから。

いや、誰にとっても、自分がどんな状態であっても、人との間に所属できていると感じられることが、一番安心できることだから。

 

 

 

毎日毎日が新しい。

また新しい利用者さんと子どもたちが来られた。

今日はほとんどの時間、私は小学低学年と保育園児たち8人ぐらいと遊んでいた。

新しい子たちが来ると、俄然張り切るのが1年生のSちゃんと3年生のMくんだ。

Sちゃんはずっと2歳のAくんのお世話をしてくれていた。

うまく言葉をしゃべれないAくんは、泣いて要求を通そうとする。

Sちゃんはとっても根気強く付き合ってあげていた。

「Sちゃん、お疲れさまです!ほんとにありがとう!」と言うと、「いいえいいえ♪」と言う。

時々「ちょっとあっちで遊んでくるね!Mさんお願い!」とSちゃんが息抜きをしようとすると、

私の抱っこではご不満なAくんに泣いて「Sちゃーん!」と呼ばれるようになってしまったぐらい。

「もうAくん、仕方ないなあ〜」と言って優しいお姉さんは走って帰って来てくれるのだった。

 

Mくんは、みんなが集まっている砂場にさりげなく近づいて、ブレードボード(ローラーボードのようなもの)に乗って砂場の周りをぐるぐる回り始めた。

「あ、すげえ!」と年長児男子たちの憧れの眼差しを一身に浴びて、得意そうだけど恥ずかしそうで、言葉を発しないMくん。

「Mくんはブレードボード上手なんだよ〜」と私がみんなに言うと、

「こんなん誰でもできるで。Mさんは下手だけどな!」いつもの調子が戻って来た。

「そうそう、Mさんは下手だよ〜」

「あはは。乗ってみる?」年下の新しい子たちを誘って、ブレードボードの乗り方を教えてあげていた。

「Mくん優しいお兄さんだなあ〜」って私がつぶやくと、得意そうに背中をそらしていた。

やっぱ砂場で遊ぶ!と小さい子たちの気が変わると、「じゃ、俺も落とし穴作ろっと」とMくんが大きなスコップを出して来た。

「落とし穴作ろー!」と小さい子たちは大興奮で砂まみれになった。

SちゃんはAくんを連れて来て、小さなスコップやバケツの入ったカゴをみんなのために持って来てくれた。

 

午前中の遊びの時間が終わる頃、

なぜか裸足で遊んでいた子たちの手足を洗った。

「さぶい〜」って言うから、

「そうだね。裸足になるのはもっと暑い日にしよっか。」と冷たい足をタオルで包んだ。

「うん、もう秋だもんな。」

いいことを学んでくれました。

 

小さい子たちを部屋まで見送った後、

Sちゃんは「あーあ、子どもって大変だなあ!」と伸びをした。

「お疲れさまでした!助かりました!」「S先輩、ありがとう!」と職員みんなで労った。

照れ臭そうに笑うSちゃんはちょっと大人になっていた。

 

 

午後からも、子どもたちは前庭で遊び始めた。

小さい子たちが多いので目が離せない。

私も再び外に出てお付き合いをした。

2歳のAくんが滑り台を気に入って、延々と滑ってくるのを下で抱きとめていると、

他の子たちも次々に滑って来た。

私はひとりひとりを抱きとめる。

わあ速い!とか、寝転んできた〜とか、足が引っかかった〜とか、適当なことを言いながら。

速いぞー!とか、寝転んで滑るよ〜とか、次は後ろ向き〜とか、子どもたちも口々に適当なことを言いながら。

はーいAくんおいで〜!次はRちゃんだ〜!って言って抱きとめているうちに、子どもたちの名前を覚えられた。

SちゃんはAくんを抱っこして滑ってくる。

Aくんは「ばばーい」と満面の笑みで両手を振って、よたよたと走ってまた滑り台の階段をよじのぼる。Sちゃんがその後を追う。

おなじみの1年生のRくんも2年生のFくんも、いつも滑り台なんて見向きもしないのに、今日はみんなと一緒に楽しそうに滑ってくる。

久しぶりに私たちの肌と肌が触れ合う。

最近、小さい子たちのお世話に追われていて一緒に遊んでいなかったもんね、ごめんねって思った。

私たちは、こうやって一緒に時間を過ごして、一緒に何かをすることを求めているんだね。

滑り台でなくても、鬼ごっこでなくても、砂遊びでなくても、何でもいいんだろうね。

何かを上手にすることや、何かを上達させることが目的じゃないんだろう。

そんなことはどうでも良くて、ただの口実なんだろう。

あたたかい関わりを、私たちはみんな求めている。

 

 

お母さんのお買い物について行ったLくんが、帰って来てすぐに滑り台へ駆けて来た。

「おかえり!」と言って抱きとめた。

「うん!」と笑顔で私の腕に飛び込んできた。

今日初めて会った私たちなのに、もう自然におかえりと言えるようになっていた私に驚いた。

ここはあなたたちの居場所だよ。