打ち寄せる波

先日は半年ぶりぐらいにコーラスサークルの舞台に立つことができた。

幼稚園のお誕生会。園児たちと保護者の前で歌った。

素人芸が嫌いと言いながら、きっちりと素人の舞台を踏んでいる私。

でも、舞台に出る勇気と緊張は、プロもアマチュアも変わらないよと

プロのミュージシャンの顔も持つ私の父は、昔そう言った。

音楽を通じて舞台上と客席とが一体になる瞬間が好きだ。

子どもたちのキラキラした目で見つめられる。

お世話になった先生方がいる。

私の友だちであるお母さんたちも座っている。

コロナ禍で、みんなで歌えない時期があったけれど、こうして聴いてもらうことができる。

そんなことを思うと、この場に居られる幸せをかけがえないものと感じた。

流石に「おばけなんてないさ」で泣きはしなかったけど、

最後に歌ったKinKi Kidsの「フラワー」では最後の方、涙が流れてしかたがなかった。

マスクをして歌っているので泣いているのがバレないだけ、よかったと思った。

泣いていてもきちんと歌えるようになってきたのは、細々とでもコーラスサークルでお稽古している成果だな。

 

率直なJPOPの歌詞で泣けてくるなんてほんとに恥ずかしいのだけど、

この歌はうちの施設の中学生のあの子やあの子のことを思い浮かべてしまう。

思い通りにいかなくて自分の中に閉じこもりがちで、でも彼らなりにすごく頑張っているんだよなと思う。

そして彼らが少しずつ成長していっているのも感じる。

 

 

不規則な勤務体制なので、どこで休みを取ろうかと職員どうしでよく話をする。

10月は私は色々とイベントごとが多くて、(資格試験もあるし)

2日だけ申請できる公休の希望をどこで取るか頭を悩ませていた。

先輩職員さんが、休みどうするの?と聞いてくれたので、

「子どもたちと行きたいコンサートもあるし落語会もあるし、コーラスサークルの舞台もあるんですよねー。2日じゃ足りなくて。」と言うと、

そういう時はとりあえず有給休暇を使うように希望を出しておけば、何日かはいい具合に公休として調整してもらえるよと教えてくれた。

そして、「いいこと聞いた!3月に音楽会があって私企画担当なんだけどね、職員からの出し物は今年はMさんに歌ってもらお♪」と言われてしまった。

「えーひとりじゃ嫌ですよー」とか言いながら、どの曲歌おうかなと考え始めた自分に呆れていた。

だから素人芸は嫌いなんですってば。ほんとです。

でも舞台に立てる機会があるならやってみようと思っている。

マイクがあれば大丈夫だろう。伴奏はどうしようかなとか考え始めている。

…どこまで吹っ切れたのだか、私は。

 

楽しみも必要だと思えるようになったようだ。

おそらく私は、楽しむことに若干の後ろめたさを感じつつ、楽しんできた。

楽しむことは、いけないこと、恥ずかしいことだと思ってきた。

未だに完全にこの後ろめたさを拭い去ることはできないのだけど、

十分すべきことをして頑張っているんだから、楽しみを味わってもいいんじゃない、と思えるようになった。

そして私の楽しみは、ただ快楽を消費するという類のものではなくて、新たな世界が広がったり、新たな人との繋がりが生まれたりするものだ。

そして私自身がそのような楽しみを提供できるようになれたらいいなとも思う。

アドラー心理学を学ぶ場を作りたいというのも、パセージを広めたいというのも、それ自体が私にとっては楽しみだからだ。

そう、楽しみを提供する側になる場合は、どれだけ楽しくても私は後ろめたさを感じることがない。

私は消費者でいたくないのだ。

 

 

 

今日は2歳と3歳の小さい子たちのお相手の業務があった。

特に2歳のKくんとは、2ヶ月前よりもずっと意思疎通がはかれるようになってきたことに感動した。

特に3歳のMちゃんの不適切な行動に、どう対処するかということが難しくて落ち込んだりもした。

 

何度も本を投げる、おもちゃを蹴る。

つい、「本は大事だよ、拾ってくれる?」「おもちゃ、大事にしてね。優しくしてあげて。」

と不適切な行動に注目をする私。

完全に操られている。

しかしMちゃんは適切な行動もランダムに繰り出すので、そこに正の注目をするように努めた。

Kくんがお片付けを始めたら、一緒になってお片付けをしてくれたり、落ちているぬいぐるみを拾ってくれたり。

「ありがとう!助かる〜!」と言うと、

「助かる〜?」とにこにこしていた。めちゃくちゃ可愛い。

でも、不適切な行動もランダムに繰り出す。

また本を蹴った。

「それは、いいこと?」

「いいこと、じゃなーい!」

「そうだね。いいことじゃないね。いいことをしようね。ご本、拾ってね。」

「やーだー!」

そう言われると、私は黙って、権力争いになる前に降りる。

落ちている本を気にせずにしばらくMちゃんとおままごととか別の遊びをしていると、

ふと、Mちゃんが「これどうぞ!」と拾って来てくれる。

「ありがとう!ご本大事だもんね。これ読む?」と聞くと、「うん」と私の膝に乗ってくる。

「ん、んー」と、注目関心を求めてKくんが私の膝に乗ってくる。

状況は目まぐるしく変わり続ける。

 

Kくんは、時にはMちゃんが投げた本をすぐに拾って持ってきてくれたりもする。

周りをよく見ていて、とても賢いことにびっくりする。

「ありがとう!Kくんいい子だねえ!」と言うと、満面の笑みで「うん」と言う。

「Mちゃんも!」と、Mちゃんがぬいぐるみを拾ってくれる。

「Mちゃんもいい子!ありがとう!」と言うと、「Mちゃんもいい子!」と目をキラキラさせる。

私はMちゃんとぬいぐるみのクマの頭を撫ぜる。

「クマちゃんもいい子!」とMちゃんはクマの頭を撫ぜる。

「クマちゃんもいい子だね。Mちゃん大好き!」私はクマをMちゃんに抱きつかせる。

Mちゃんは天使のように微笑む。

でも私がKくんの方に向いた次の瞬間、Mちゃんは椅子を投げ飛ばす。

状況は目まぐるしく変わり続ける。

 

不適切な行動をしたら、大人は必ず注目をするんだね。

あなたはとても賢い。大人を振り向かせる効果的な方法をよくわかっている。

そしてあなたが適切な行動をしている時には、注目が思うほどには得られないんだね。

この子たちのお相手をしていた40分ほどの間に、私は何度絶望しかけただろうか。

Mちゃんは少しのことで叱られ続けているようだった。

いや、私の想像にしかすぎないけれど。

適切な行動を選んでもらえるように、子どもを勇気づけていきたい。

あたたかい雰囲気で、決して罰することなく、良いことを学んでもらえるように働きかけていきたい。

でも、Mちゃんの周りはそのような環境ではないようだ。

でも、それなら尚更、私が今、できる限りのことをしてみたい。

多分それは、砂浜に城を作るようなもので

すぐに波にさらわれてしまうのだろうけれど。

もう明日には跡形もないのだろうけれど。

 

Mちゃんは積み木を投げた後、

「おててあらうー」と言った。

その前に汚れた手を洗おうと私が言っていたから。

「おてて洗おうか。お利口さん〜」と私はMちゃんを手洗い場に連れて行った。

Mちゃんは誇らしげに手を洗った。

「石鹸でゴシゴシできるかな?」

「うん。ゴシゴシ。」

「上手だね。きれいになったかな?」

「うん!きれいなったよ。」

「じゃあこれで拭こうね。きれいきれい〜」

「きれいきれい!」

Kくんが「ん、んー」と蛇口に手を差し出した。

「はい、どうぞ」とMちゃんが石鹸を出してあげた。

「Mちゃん優しいね〜。Kくんもお利口だね〜。ゴシゴシしようか。」

私はKくんの小さな小さな手を洗ってあげた。

Mちゃんはじっとして、にこにこと見ていた。

 

この小さな2人も、過酷な環境に生きている。

本当に本当に小さなことしかできないけれど、

私が関われる限り、その小さなひとつひとつの場面が、どうかこの子たちにとって楽しい時間になるようにと願う。

天使のような笑顔が輝き続けることを願う。

この波打ち際に、何度だって城を作ろう。

何度も何度も作っていれば、そのうちこの子たちが自分で作り方を覚えるかもしれない。

乾いた地面の上に、自分で城を作る日が来るかもしれない。

不確かな未来しか描けない。

でも私があきらめてしまったら、終わってしまう。

私がこの子たちと過ごすことがとても楽しいのは、本当だ。

この子たちの力になりたいのは、本当だ。