雪のことを思い出した。
アスファルトの暗い色が全て真っ白に変わる夜。
仕方ないなとため息をつきながら、頬を刺す冷たい風は、なぜか好きだったりする。
この土地の冬が、少しだけ、私の一部になっている気がした。
仕事帰りの蒸し暑い夜道を歩いていると、どこでもない場所を漂っているようで
彼我のない感覚を覚えていた。
今日もお掃除お片付けのお手伝いと買い物同行をした。
生きていくこと、生活していくことが不器用な利用者さん。
でも私は真面目で素直な彼女のことがとても好きで、
大きすぎるタスクを背負いながらもゆっくりと前に進んでいく彼女を尊敬している。
掃除や片付けの行き届いていない状態で、他人を家に入れるのはとても嫌なものだ。
だから、手助けが必要でも、清掃支援は要りませんと言う利用者さんは多い。
なるべく職員の手を煩わせたくない、申し訳ない、と思われる利用者さんも多い。
何が良いことなのか私にはもうわからないのだけれど、
お手伝いが必要であったり、お手伝いを求めてくださるのなら、
私を気持ちよく使ってもらいたいと私は思う。
こんなことを人に頼らないといけないなんて、と、自分を情けなく思ったりしてもらいたくないと思う。
人間の尊厳というレベルで、劣等の位置に落ちてもらいたくないと思う。
誰だって、病を得たり歳を重ねたりすると、他人に面倒を見てもらわないと生きていけなくなる。
生まれた時も幼い時も、たくさんの人に面倒を見てもらって、みんな育っていく。
私たちはそうやって助け合いながら生きていく。
だから私はどんなお手伝いをしていても誰の奴隷でもないし、どんなお手伝いをしてもらっていても王様でもない。
こうしたら便利に使えるかな?ここは、どういう風にしたら使いやすいですか?
これはしまってしまってもいいですか?これはよく使いますか?
ひとつひとつ、利用者さんが生活しやすくなるように、相談しながら片付けていった。
物で埋まっていたスペースが空くと、ついでに掃除しちゃいますね〜と言って拭き掃除をした。
「本当に、ありがとうね、ごめんね。」って言うから、
「全然いいんですよ、ほら、きれいになりました!
お片付けって頭使いますよね〜。他人の家の片付けの方が楽ですよ。自分で考えないといけないから、自分の家の整理する方が私は難しい 笑」と言った。
「確かにそうかも。すごく頭使うよね。」
「ね。でも、一度使いやすいシステム作ってしまったら、あとは楽だから。」
「そうかも!使いやすくなってきたよ。」
「それは良かった!」
本当に、良かったって思う。
ゴミもこまめに捨てられるようになって、お料理する頻度も高くなって、物の所在地も決まってきて、掃除もできるようになってきて。
彼女の生活が少しずつ少しずつ、整っていく様子を間近で見ることができる。
そのことがとても嬉しい。
そして、彼女がとても子ども思いであることが、生活の全てからも伝わってくる。
これはどうしよう?と聞くと、必ず、子どもたちが使いやすいようにという理由でこうしたいああしたいと応えてくれる。
彼女は生活の整え方を知らなかっただけなんだとわかる。
買い物同行をするときも、私だったら食材や日用品を他人に全て見られるのって嫌だなと思うから、
できる限り気にならないでいてもらえるようにと努めている。
カート押しますよって言ってみて、喜んでくれる利用者さんのカートは喜んで押す。
でも、いいですいいですって言われる利用者さんだったから、
じゃあ私は隣で暇そうにブラブラ歩いときますね〜って言ったら、笑ってくれた。
これは子どもの好物なんですとか、これ美味しいんだよとか、そんな会話に自然となる。
これ美味しいよねとか、これは苦手とか、食べ物の話をしていたら自然と心が近くなる。
「あーなんかお腹空いてきた!私も買う!」って言ったら、笑っていた。
ふたりで、おやつに食べようって菓子パンと甘いコーヒー飲料を買った。
まるで友だちだ。
レジを通ってから、お肉や魚のパックをビニールに入れたりカバンに詰める手伝いをした。
まるで家族だ。
重たい荷物を持って、車まで運ぶ。
「Mさん、本当にありがとう。」って、言ってくれた。
「いいんですよ、任務ですから!」って言うと、笑ってくれた。
施設に着いてからも、「本当にありがとう。」と言ってくれた。
それは、家がきれいになったとか、重たい物を買えたとか、
多分そういうことに対するありがとうだけじゃないんだって、私は感じた。
きっと楽しい時間を過ごしてもらえたんだ。
私も、すごく楽しかったから。
そういう役に立たないけど豊かなものを、私が彼女と共に作れたなら、
それが私は一番嬉しい。
私はちゃんと、奢侈品を提供できている。
それが私のしたい仕事だ。
友だちと映画に行って、夜遅くに帰ってきた高校生の女の子。
「おかえり〜。楽しかった?」って聞くと、
ゆっくりうなずいて、「楽しかった。」としみじみと応えてくれた。
「良かったねえ!」
自分でも驚くぐらい、私は喜んでいた。
彼女はちょっと驚いて、満面の笑みで「うん!」って言って、手を振ってくれて、部屋に向かった。
時々彼女が夜ご飯を作るのを手伝うことがある。そして一緒に夜ご飯を食べる。
どんどん明るくなり社交的になっていく彼女を見ている。
泣きそうになるぐらい、それは本当に嬉しい。
その意味を、共有できる仕事場の仲間がたくさんいることも、私は嬉しい。
ああ、書けないことばかりだ。
どうしてこの当たり前のような小さな出来事に、私が大きな喜びを見出すのか。
幾つもの悲喜劇が並走して、私の人生と交差する。
雪の季節が嫌でなくなってきたのも、不思議ではない。
私はドラマチックな物語を今、共にしているんだ。