自分のやりたいことがたくさんあるのに、どれもほとんど手をつけられない。
そんな状況が続いている。
時々、オンライン勉強会に参加できたり、カウンセリングさせてもらえたり、自助グループに参加できたり、コーラスに参加できたり、友だちとおしゃべりできたり、講座に参加できたり、家族と会えたり、
そんな時々の喜びで、本来の私の居場所はここだ!って言い聞かせて安心させようとしている。
大半の時間は、理想とかけ離れた施設内での仕事と、ひとりきりの怠惰な暮らしでできている。
最近、私は何をしているのかなって落ち込んでいた。
私がしたいことができない。
私を十分に使うことができない。
私は舞台の上に立てていない。
私は、私は、私は…。
野心家の私が心燃やせない。そんな苦しみ。
つまりは自己執着。
そのことに、オンライン勉強会で仲間と話す中で気づいた。
仲間たちは、いつも相手のことを考えている。なんて素敵なんだろうと思った。
私はいかにして「私が」相手に良い影響を与えられるかを考えている。
そのことに落ち込んだ。
そして、それに加えて、今月から産休から復帰された心理療法担当の職員さんが、施設内でのカウンセリングを開始することになった。
利用者さんたちはとても喜んで続々と予約をしている。
私は心理療法担当職員として採用されたけれど、それは形だけのことであって、今後もカウンセリングを担当させてもらうことはあり得ない。
それは昨年からわかっていたことだけど、昨日はその現実に直面して、ちょっと、
いや、かなり落ち込んだ。
今更なんだけどね。
この限りある時間を、私は一体何をやってるのかなって思うんだけど、
でも、これは野心家でメシア願望の強い私に必要な修行なんだと、本当に思う。
誰かのために、誰かが望むようなことを実現できるようにお手伝いする。
職員として求められたことを、求められた通りにこなす。
不本意なことばかり。良いと思えないことばかり。
でも、その中で私は生かされているから、それが私の仕事だから、
その中で私にできる限りのことをしている。
そうしていると、思いがけなく輝く瞬間があったりする。
子どもっぽい私は、その瞬間を拾い集めて、ああ私は幸せだと思い込んだりする。
昨日帰宅しようとした時に、急に強い雨が降り出した。
傘をさして歩いていると、利用者さんが歩いて帰ってきた。
傘を持っていない。「天気予報で言ってたのに、めんどくさくて傘持って出なかったんだよね。降ってきちゃった。」と苦笑いされている。
「一緒に帰りましょ。」と言って私は傘を差しかけた。
「えー、帰るとこだったのに、いいんですか?」
「いいんですよ。風邪ひいたらいけないですから。」
「ありがとうございます。」
それから今日の子どもさんの様子について話された。
この方は、一見するとごく普通の方なんだけど、とてもとても風変わりで、壊れやすい方。
この方と関わっていく中でとても不思議なことが多くて(いわゆる了解不能なことが多くて)、
色々観察した結果、推測を上司に話してみると、詳しいことを教えてもらい、やはりそうだったのか、と納得した。
とても警戒心が強くて壊れやすい方が、少しずつ私に心を開いてくださった。
そして今、私たちは傘の下肩を並べて歩いている。
あなたの風雨にさらされる道中、私は一瞬だけでも、傘を差しかけることができた。
「ありがとうございました」って可愛い笑顔で手を振ってくれた彼女を施設の入り口で見送って、
これは私と彼女の関係のアナロジーとしても、美しい物語だと思えた。
これからも私はこんな風に生きていこうって、思えた。
大それたことをしたい私には不本意だろうけど、こんなことに命を燃やしたりできないけれど、
でも、小さな物語を愛でられる私のことが私は好きだ。そんな私でいたいと思う。
結局「私が私が」の私から離れることはできないんだけど、悪くはないだろう。
昨日の日報で、一緒に勉強しているある中学生の男の子のことが書いてあった。
「俺は何で支援級なの?俺、そんなに頭は悪くないのに。」と、母に尋ねたそうだ。
それを読んで、不覚にも泣きそうになってしまった。
「君はとても賢いと思うよ、練習してないだけだよ。だってすごく理解も早いし、頭の回転も速いもん。」って私は何度も彼に言った。
彼は一緒に勉強するごとに、俺けっこうできるじゃんって言うようになった。
車の中で話していると、歴史に詳しいから、「私よりずっとよく知ってるね、教えてもらわなきゃ」って言ったら、「まあな」って笑っていた。
学校に行けるようになってきて、体育が楽しいからって、体育だけには遅刻しないで行くようになった。
給食当番の週は、給食の準備だけは参加するようになった。
たとえ自分が今日は給食食べたくないって早退する日でも、たとえ自分が今日は5校時から授業を受けるって遅刻する日でも、給食の準備はちゃんとしなきゃって言って取り組んでいる。
なんて素晴らしいんだろうって思う。
当たり前のことが当たり前になされない生活の中で、彼は自分には能力がないと思い込んでしまっていた。
でもそんなことはないって、気づき始めたんだと思う。
自分がみんなのためにできることがあるってわかって、その役目を果たすことで所属するという喜びがわかったんだと思う。
彼の困難な人生を思うと私は苦しくなるけれど、彼のために私にできることはほとんどないことにも苦しくなるのだけれど、こうやって前を向いて進んで行く彼がまぶしい。
どうか強くたくましく育ってほしいと願っている。
他の職員さんたちの価値観や対応は私には良いとは思えないことがとても多い。
過保護過干渉、賞罰を使って、相手を裁きまくる。自分たちは絶対に安全圏にいる。
でも、他の職員さんたちの理想とするものと、私の理想とするものは、とても近いなと思える。
みんなが利用者さんたちとも職員同士でもあたたかい関係を築くことができ、
子どもたちの成長を共に心から喜び、子どもたちの大変な状況に共に涙して、
どうしようもない困ったちゃんの利用者さんたちに共に絶望しかけたりする。
そして共に、この泥沼の日々の中で、少しでも楽しいことを見つけて、笑顔で働いている。
もしかするとこれは、すごいことかもしれない。
昨日、マクゴナガル先生が、頂き物で…と立派なカツオを持って来られた。
魚を捌くのが得意なお兄さん職員さんたちが、調理室で解体を始めた時、
不登校気味の釣り好きで魚捌くの得意な中学生の男の子が、学校行きたくない〜って事務室横でだらだらしていたところ、
魚の匂いを嗅ぎつけて「俺もやりたい!」って来て、
お兄さん職員さんたちと「じゃあ捌いたら学校行けよ」って話になって、
制服脱いでエプロン締めて、一生懸命捌いてくれた。
その立派なカツオが、数人の職員さんと彼の手によって、焼き物、たたき、あら汁になり、
昨日の勤務の職員みんなの昼食になった。
12時半に送迎業務から帰ってきたら、私の机にカツオづくし定食が置いてあって、とても嬉しかった。
感動的に美味しかった。
昨日の帰り道、学校帰りのその男の子とも会った。
「カツオ本当に美味しかったよ。ありがとう!」って言ったら、
「ほんと?よかった〜!」ってこぼれるような笑顔を見せてくれた。
「でもほとんど職員さんが中心になってやってたけどな。」って照れていた。
「あいつはすごい。包丁に迷いがない。ってみんな言ってたよ。」と言うと、
「えーマジかー!」って手を振って走って帰った。
本当に本当に、みんないい子たちだ。
この子たちが輝ける場所として、この施設は存在できていると思う。
そのことはこの子たちにとって、本当に大きな意味があると思う。
昨晩、「明日勤務の職員さん、カツオの竜田揚げ定食をたくさん作りますので、食べたい方はお昼持ってこないでくださいね〜」とマクゴナガル先生からグループLINEが来た。
いの一番に上司が嬉しいです!仕事頑張れます!とハイテンションな返事を返していて、
続々とみんながわーいわーいと返事をしていた。
私も、すぐに「嬉しいです!いただきます♪」って送ったんだけど、
よくよく考えたら私は13時出勤だった。
慌てて「あ、遅番でしたすみません!」と送った。めっちゃ食いしん坊やん…
今日の13時前に行くと、事務室にはなぜか上司2人しかいなくて、
みんな今必死で調理室で後片付けしているから、昼ミーティングは30分遅らせるって言われた 笑
「たっぷり作ったからMさんの分もあるよ。今お腹空いてる?」
「ほんとですか!昨日、遅番のくせに食べたがってしまって恥ずかしかったです 笑
でも今ご飯食べてきたところなので…」
「大丈夫大丈夫、夜ご飯にしたらいいし。でも、揚げたて、ちょっとだけでも食べてみたら?」
「食べんさい食べんさい、一口だけでも!魚っていうか、もう、肉。すごいから!」
と勧められ、調理室に行った。
6人ぐらいの職員さんたちが、厨房の熱気のような中で
お皿や焼き網洗ったり、残ったカツオの竜田揚げやエビやホタテを持ち帰り用に包んだり、お皿に盛ったり、残ったご飯包んだり、忙しく働いていた。
お疲れさまです〜いただきます〜と言ってひとりつまみ食いをして、(めちゃくちゃ美味しかった!!)
片付けを手伝おうとしたけど、大丈夫です大丈夫ですと言われてしまい、
また事務室に戻った。
美味しいですねえと上司と盛り上がった。
職員のグループLINEは、本来は災害時の連絡手段として、会社本部から作れって言われ作ったんだけどねと上司が言われた。
でも、こんな風な美味しいお誘いとか、子どもたちの合格報告とか、そういう使われ方しかしていなくて、
それはすごくいいことだよね、ほんとうちの施設のいいところだと思う、という話になった。
でもみんなと一緒にご飯作ったり後片付けしたりしたかったなってちょっと寂しく思っていたら、
後片付けで手が回らなかった職員さんの代わりに、送迎業務が入った。
おかげで昼ミーティングには参加できなかった。
そのミーティングもみんなと一緒に参加できなくて寂しかったのだけど、誰かがしなければならない仕事を、引き受けることができて嬉しかった。
みんなで一斉にする仕事の方が私は好きなんだけど、ここの仕事はほとんどがひとりずつで対応する仕事だ。
ひとりでする仕事は、任される種類がどんどん増えてきた。とてもありがたいことだ。
さて、懸案の傘踊りの練習だが、
踊りを教えてほしいと依頼した職員さんが真面目な方で、私と勤務の重なる日をわざわざ表にしてくださって、一緒に練習やっていきましょう!と言ってくださった。
そして今日、物置から踊り用の傘を出してきて、遊戯室で練習をした。
踊りのDVDを見ながら、先輩が踊り、その踊りを見ながら私も踊るという。
時々上司も覗きに来たりして、
汗だくになりながら50分ほど練習した。
なんとか1曲の振りは、大体できるようになった。
「細かいところはこれから手を入れていきましょう。とにかく繰り返して、体に叩き込みましょう!
傘をなめらかに動かせるようになることと、視線を傘の軸に置いておくことなど、追々やっていきましょう!」
この先生は優しいけれど、言ってることは厳しいぞ 笑
初めてとしては上出来!と、海外まで傘踊り教えに行っていた上司も嬉しそうに言ってくれた。
初めは踊り子になることにかなりの抵抗を示していた私が、思いの外真面目に熱心に取り組んでいるので、
上司たちはとても驚いていた。
踊るからにはちゃんと上手に踊りたいですから!と言うと、真面目だねと笑われた。
先生も熱心に教えてくれて、とてもありがたい。
私が一生懸命に苦手なことに取り組んでいると、なぜかみんなが笑ってくれる。
なぜかみんなが協力してくれる。なぜかみんなが応援してくれる。
私は苦手なことに取り組むの、いつだって嫌いなのに、いつも逃げ出せない状況ばかり降りかかってくる。
車の運転だってそう。家事のお手伝いだってそう。そして極め付けは、最も何の役にも立たない傘踊り!
でも、逃げずに取り組んでいると、楽しくなってきちゃって、仲間が増えてしまって、
どうなってるんだろうって思う。
カッコつけるのやめて、私はこれが苦手だからみんな手伝ってください教えてくださいって言うようになったからかな。
そして、誰かを手伝いたい人たちに囲まれているから、私はひとりじゃなくて、みんなに助けてもらえるのかな。
私は恵まれているなあ。
理想とはかけ離れた職場。
でも理想的に仲間たちと共に一生懸命になれる職場。
絶望しながらも、とても楽しい。
帰宅したら、
オンライン勉強会の仲間が、この理想通りではない場所で、「私にできること」を揺らがずに実行している私のことを素敵だと思うとメッセージを書いてくださっていた。
とても嬉しかった。
どうしたって自分中心な私は、そのわがままな私のままで、でも、みんなのために自分を役立てることができる。
何もかも思い通りにならないけれど、予想外に楽しくてありがたいことが多々ある。
美味しいカツオの竜田揚げ定食を夜ご飯に食べて、綺麗に調理室を片付けて、
今朝落ち込んでいたのが嘘のようになって、帰宅した。
仲間がいてくれるから。
みなさん、本当に、ありがとう。