夜遊びを覚えた。
仕事帰りに別世界への扉を開ける。
オーナーさんたちともバイトの子たちとも、既に顔馴染みになってしまった。
昨晩は練習中の楽器で参加する方や、特訓中の方や、飛び入りの学生さんなど、メンバーの一体感が希薄で
「今日は音楽教室です」とプロのギタリストさんが苦笑しながら指導している場面も多々あって、
いつものように音楽に身を委ねることはできなかった。
「でも、これなら自分も歌えるかもって思ったでしょ?」と言われたりもして
こうやってみんなでお稽古しながら音楽を作っていっているのだと感じた。
私が音に浸っていたいという自分の快楽や執着を捨てれば、
この場所がどれほど素晴らしい場であるか、気づくことができる。
連休中は、金沢であった練成講座に参加してきた。
どんな時でも、私が平等の位置を思い出すことができれば、この劣等の位置から優越の位置へという縦の関係、矢印の向かう方向から抜け出して、
相手と私の新しい理想郷を作ることができるのだと学んだ。
そしてその平等の理想郷では、相手と私だけでなく、周りの人々も、そして目に見えないもっと広い社会にとっても、もっと先の未来の社会にとっても、
より良い関係性が広がっていくのだということを学んだ。
必要なのは、「私が」というこのわがままを捨てることだ。
一度それを捨てて、相手を見て、それから、私が相手のためにできることを考えてみる。
その相手のためにできることは、いつも、私のストレンクス、つまり、劣等と優越の裏表の「私」自身を使うことでしかなくて、
いつだって私は私でしかないのだということにも気づいた。
「この私」を使っていくしかないのだ。
そんなことを、理想的ではない音楽を聴きながら、反芻していた。
ありがたいことだ。全てが。
オーナーでプロのギタリストのMさんがAfter Hoursに「また来てくれたんですね」と話しかけてくださったので
初めておしゃべりさせてもらった。
「全然違う話題なんですけど、私会社でしゃんしゃん祭りに出ることになって、今踊り練習中なんですが、
しゃんしゃんシャングリラを編曲されたのってMさんなんですか?」
Mさんが顔中くしゃくしゃにして笑われる。
「そうなんですよ。私はプロなので、著作権などがややこしくなるから公募を編曲したって形にしてますけど、あれは私が作曲したんですよ。」
東京でずっと仕事をされた後故郷に帰ることにされて、帰ってすぐの頃に、
このお祭りのために新しい曲をというプロジェクトが市から依頼されたそうだ。
公募で作られた歌詞は、全て鳥取弁になっている。
調べてみたらこんな力の抜けている歌詞とは知らず、笑ってしまった。
「お祭りに若い人たちも呼び込むためには、足りないものがあるってわかってたんですよ。
いつまでも♪よいよいよい♪っていうんじゃ、ダメですよ。
それで1年考えさせてくれって言って、仕上げたんですよ。」
お祭りで踊られる4曲のうち、確かにこの曲だけカッコ良くて、ノリノリの曲だ。
この曲は創作踊りの曲になっており、様々な連が自分たちのオリジナルの振り付けで踊っている。
アップテンポなので重たい傘を振り回したりしながら踊るのは大変なのだが、
他の曲よりも踊り子さんたちはいい表情で踊っている。
創作踊りのグランプリなどもあったりして、入選する連の演舞は素晴らしくて、
みんなこの曲で、連どうし競い合っているのだった。
すごい世界もあったもんだと思っていたが、まさかの仕掛け人さんと出逢えるとは思っていなかったので
ますます、ご縁というのは本当に面白いと思う。
若い人たちを育てたいというMさんの熱い思いが、昨晩のステージにも、お祭りの話にも、通じていることを感じた。
Mさんの熱い思いを胸に踊ってきますと言うと、
また顔中をくしゃくしゃにして、暑いですから気をつけてくださいね、楽しんでくださいと言っていただけた。
さあ今日からは、しゃんしゃんシャングリラの創作踊りの練習が始まる。
行ってきます!