芍薬

父と電話をした。

ある相手役との関係について困っているので、私の意見を聞きたい、と言ってくれて。

「嫌な話聴かせて悪いなあ。」と父は言う。

「嫌な話聴くのが仕事やから。」と私は笑う。

「ああ、そしたら、溜め込まないような対処がちゃんとできるんやな。それなら安心や。」と父も笑う。

いつだって父は、どんな瞬間であっても父は、私のことを思いやってくれる。

それは今までもずっとずっとそうだった。

私が何があっても倒れないでいられるのは、両親からのこの確かな愛が私を支えているからなのだと思う。

この確かさは、いつの日か両親がこの世から姿を消した後も、私を支え続けるだろう。

 

 

自分の子どもたちとはとても良い関係を築いている父だが、

不幸なことに、父は自分の父親と折り合いが悪い。

今も関係が良くない。

昔から今に至るまでの、父と祖父との不幸なエピソードを私も少しは知っている。

祖父は父に対してはなかなかに酷い父親だと思うけれど、そんな父親に対して孝行息子でいようと決めている父は偉大だと思う。

「信じられないかもだけど、私はおじいちゃんのこと、好きなんだけどね。」と私が言うと、

父は大変驚いていた。

そしてそれから、「そうなんか。それは、ありがとうな。」と言った。

自分は好きにはなれないけれど、彼を好きでいてくれてありがとうって、

この人はどこまでも寛容だなあと驚いた。

 

 

私にとって祖父は、とても良いおじいちゃんだ。

初孫の私は、文字通り、目に入れても痛くないほど祖父に可愛がってもらった。

とても頑固で気難しい人なのに、私にだけ甘いと家族みんなに笑われていた。

私にとっての祖父は、優しくて、賢くて、働き者な、趣味人。

花が好きで、クラシックが好きで、小説が好きで、美術、建築、陶芸が好きで、落語も好きで。

舞台も好きだったに違いない。宝塚歌劇の大道具をやりたくって神戸に出てきたと聞いたことがある気がする。

 

世の中の美しいものを、私は祖父を通して知ったように思う。

 

「一級の良いものを見なあかん。二級のものなんか見たらあかん。ほんまの良いものだけを見ていたら、何が良くて何が悪いか、ちゃんと見定められるようになるんや。」

お酒を飲んで饒舌になる祖父のこんなお説教話が、私は好きだった。

美しい文章を、美しい建築を、美しい絵画を、美しい音楽を、なんでも、時代をくぐり抜けてきた美しいとされる一級のものを味わいなさいと教わった。

私の頑固さも古風な趣味も、ああ本当に祖父の影響が大きい。

 

「でもな、人がどんだけ美しいものを作ってもな、自然にはかなわんのや。花のようなこんな美しいものは人間には作れんのや。」

 

酔っていないときは寡黙な祖父は、寡黙に庭仕事をしていた。

幼い頃の私は、よく祖父の側に一緒にしゃがんで、草抜きをしたり、葉っぱで遊んだりしていた。

祖父は小さな庭で、凝った花や盆栽を育てていた。

カラスウリの花が咲いたのを見せてもらったことがある。

一夜だけ花を咲かせるカラスウリの白い花。

暗い庭から、「今日あたり咲くと思ってたんや。これはな、一晩だけしか咲かないんや。」ときらきらした目で鉢を掲げて入ってきた。

見事なシャクヤクを見せてくれて、「立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は百合の花って言ってな、美人を表す花なんや。美穂もべっぴんさんにならなあかん、な。」と笑っていた。

 

脚立に乗って、松の木の剪定をしていたりもした。

「松はな、難しいんや。うまくいかんな。あかんなあ。」

あかんあかんと言いながらも嬉しそうにハサミを動かしていた。

「お茶煎れましたよ。美穂はおやつ。」祖母が縁側にお盆に乗せたお茶とお菓子を持ってきてくれた。

縁側に座って、3人で庭を眺めて過ごした。

春の日も、夏の日も、秋の日も、覚えている。

冬は、コタツに入って雪見障子から眺める。

あの小さな庭で、季節を感じていた。

餌台を置いていたこともあった。メジロが飛んできて、ウグイスがさえずって。

 

 

 

 

こんな幸せな穏やかな時間を私が祖父とも過ごしていたこと、父は知らないのだろう。

今度話してみよう。

 

ひとりになってしまった祖父は、悲しみを真正面から受け止められずにいるようだ。

私にできることは何なのだろうね。

父と祖父の物語を変えることはできないけれど、

私は父との物語と祖父との物語を、大切に抱きしめることはできる。

それで現実が何か変わるわけではないけれど。

 

大切な父と、大切な祖父と。

以前なら、私の大切な人たちが仲良くできないことに私は苦しんでいた。

でも今は、祖父の「かのように」と父の「かのように」が違うんだと思える。

噛み合わないんだと思える。

そして、寛容で優しい父が、祖父の物語に乗ってあげるか…と言った。

私もそれが最善だと思った。

父にとっては不本意な物語だけれど。

 

でも、そうやって自分にとって不都合な選択肢を、父はこれまでも何度も選んできたことを私は知っている。

「正直者は損するんや。そやけどな、俺は正直でいて、損した方がええと思う。誰かを押し退けて自分だけいい思いするような人になってほしない。」

父は、子どもの私に対して、いつも真剣に向き合ってくれていたと思う。

誤魔化すことなく、真っ直ぐに倫理観を伝えてくれていた。

父からは、美しい生き方を学んできたんだと思う。

 

私は父と違う価値観も持っているし、祖父と違う価値観も持っている。

でも、私の中にある大切な価値観は、父と同じのものであったり、祖父と同じものであったりするみたいだ。

血の繋がりというより、同じ価値観の繋がりが、人と人とを強く結びつけているのかもしれない。