離れてみると

今日は雨だった。寒さは少し和らいだが雪はまだまだ積もっている。

夜勤明け、雪を踏みしめて歩く。

少しずつ明るくなる時間が早まっていることに気づく。

大きな図書館の駐車場は、今は人影がないが

以前はこの早朝の時間帯に、ラジオ体操をしたり綱引きをしたりしているお年寄りたちがいた。

雪が溶けたら、あの人たちがまた現れるんだろう。

 

いまいち仕事場に馴染めない状態が続いている。

大失態もやらかしたし、自分が「役立たず」とか「足手まとい」だと思えて落ち込む。

これが私のライフスタイルの特徴なのだと、嫌というほど認識させられる。

ただ、この仕組みを知っていると、這い上がる術もすぐに見つかる。

自分が役に立てているという実感を重ねていくことが、私の処方箋だ。

家事をしたり、少し用事をすることで、かなり回復したように思える。

 

でも一番の薬は、友だちと楽しい時間を過ごすことで、

それは友だちの役に立てていると私が思えるからなんだろう。

その役立ちは、ほんの小さなことでかまわないらしい。

いや、ほんの小さなことでよくなったのは、私のライフスタイルの成長ということにしてみよう。

 

 

今晩は久しぶりに母とおしゃべりをした。

母にたくさんの友だちがいることが嬉しい。

母が良い仲間たちの中に組み込まれて、大切に想ってもらいながら、その中で何らかの役目を果たそうとしていることが嬉しい。

そのように、はっきりと言語化して思えたのは初めてだった。

それから、その仲間たちの中に、私も入れたらいいのにとは思わなくなっていることに気づいた。

私がどうであるかということから離れて、私は母のことを思えるようになったようだ。

 

それは、もしかすると大きな変化かもしれない。

母に対してだけでなく、私の友だちが幸せであることを聞くと、私はとても嬉しい。

私がどうであるかということを結びつけずに、友だちのことを思えるようになったと思う。

同じように、母や友だちが苦しんでいると、私はとても悲しい。

ただ感じている私がいるだけだ。

その話を共有しているその瞬間、私は相手と手を繋いでいる。

そのこと自体が私にとっても相手にとっても、幸せであることを感じる。

それを私は「役に立てている」と変換しているのだろう。

 

相手のことを思い、ただ感じている私というのを、私は好んでいるように思う。

その私でいる限り、自分が幸せになろうとして苦しむことがないようだから。

 

 

私が自分のことを考えていると、私は苦しくなる。

役に立ちたいというのもそう。仕事ができるようになりたいというのもそう。

優越性の目標を追求するということは、その目標がどれほど貢献的に見えても、

結局は自己執着に向かっているから。

職場の利用者さんたちとの関わりで、相手を落ち着かせることができたときはいつも、

私は私から離れて、相手のことだけを考えている。

その訓練をさせてもらっているおかげで、母に対しても友だちに対しても、私から離れて向き合うことができるようになってきているのかなと思う。

彼女たちに本当に感謝をしている。

私は大切なことを、彼女たちから教わっている。

 

 

 

仲良くさせてもらっている上司が、この職場に来てから、人に対して疑心暗鬼になってしまってね、と話をしてくれたことがあった。

「ごくごく普通に見えている人も、家に帰ったら生活も精神的にも無茶苦茶だったりするのかもしれないって思えてしまって、

新しく出会う人と深く関わるのが怖い時期があった。」と言われた。

今はどうですか?と尋ねると、

「今は外の世界の人と新しく出会うことがほとんど無くなったから、もうそう感じる機会がなくなった。新しく出会う人はみんなこの中の世界の人だからね。

例えば趣味の付き合いの人なら、趣味のことだけで繋がっておけばいいとか、そんな風に思っちゃっているなあ。」と言われた。

この方でさえ、そんな風に思ってしまうんだと驚いた。

Mさんはそんなことはない?と尋ねられたので

「私は、逆かもしれません。大きな精神疾患を抱えた人の中にも、すごく健康的な面があるんだって知って、驚いて、そのことに感動しています。」

と応えると、目を丸くしておられた。

 

私たちふたりは、同じものを見ていると思う。

その見方が違うだけだと思う。

健康と不健康は、2つにはっきりと分けられるものではなくて、

私の中にも不健康な面がたくさんあるし、病気の方の中にも健康な面がたくさんあって、

その濃淡の違いや、社会生活を送る上での問題の大きさに違いがあるだけだと私は思っている。

私は努めて良い物語を見たいと願っている。

そうでなければ、治療なんてできないから。

私がたとえ治療に関われなくても、私は人々を救うことができなくても、人々を少しだけでも癒すことができたらいいなと、多分願っているんだろう。

そういう類の役立ち方ができたらいいなと願うようになったのだと思う。

 

 

上司の気持ちはよくわかる。

過酷だけれどどうしようもない状況にある人々、

そこから抜け出す道をいくら伝えようとしてもなぜかより酷い道へ突き進んでしまう人々、

そういう虚しさを抱えた環境で仕事を続けることで自分の家族を守っていかなければならない自分の人生、

現場で真面目に生きていこうとすると、何かを割り切らないとやっていけなくなるのだと思う。

最近チェーホフの『六号病棟』をよく思い出す。

支援する人も、支援される人も、同じ人間だよって、思う。

違う文化、違う生活、違う価値観、違う状況だけど、同じ時間を同じ場所で過ごし、同じ物語を共有して、心を通わすことができる。

私も時々、それをできないと思い込みそうになって、絶望しかけることがある。

ああそうだここはそういう場所だったって、はっとすることがある。

でもそれもこれも全て私の思い込みなんだって、アドラー心理学を共に学ぶ仲間たちと話し合うと、思い出すことができる。

ベイトソンの考え方に触れると、この世界の美しさを思い出すことができる。

 

 

こうやって言葉にしていくことが、私の心を保つために必要なことだ。

現実はいつだって、そこにただあるだけ。

それをどう捉えるかは私の自由。

治療というのは、共に美しいものを探し出すことなのだろう。

現実をどれだけ変えても、美しい物語を生きない限り幸せにはなれない。

そして現実が何も変わらなくても、美しい物語に変われば幸せに生きられる。

 

 

私がいない間に、他の職員さんたちが、今まで勉強を見て欲しいと言ってこなかった中学生たちに宿題を教えてあげていたようだ。

私と勉強したいと言ってくれていた子たちが、他の職員さんたちにお願いしたみたいで。

よかったって心から思えた。

私が見てあげられなかったこと、やっぱり残念に思う気持ちはあるけど、私がきっかけを作れたのなら、少しは役に立てたんだろう。

彼らが勉強する勇気を持てたことが嬉しい。

他の職員さんたちが喜んで教えてあげている様子の日報を読めたことも嬉しい。

 

 

私は私から離れられるようになった。

とても静かだ。

私から離れると、私はあるべき場所に存在できているように思う。

世界と一致しているのかもしれない。