今日からは3連休。
今日は大切な友だち2人、それぞれとゆっくりおしゃべりすることができた。
もちろんアドラーの話もできる方たち。
こういう時間が、私を生かしてくれる。
私が友だちに生かしてもらっているように、
私も、出会う人たちの友だちになっていければいいなと思える。
職場で出会う利用者さんたちと私との関係は、支援される側と支援する側だ。
その「支援」という概念をめぐっては、正解というものがない、というのが、少なくとも私の職場の共通認識らしい。
そうであるなら、私の「支援」という行動は私の業務として求められていることをこなすが、
「支援」する心構えとしては、勇気づけ、仲間になる、ということを目標にしても問題ない。
利用者さんたちと、友だちでいたいなあと思うのだ。
個人的なことを何でも話し合える関係という意味ではなくて、安心して共に過ごせる関係という意味で。
できることなら、相手が私に相談をしてくれたら、より良い支援につながるので、望ましくはある。
相談事を聴ける関係を築けているスタッフたちは重用されている。
でも、別に私に対して何も相談してくれなくたっていいと、私は思う。
様々な深度の人間関係があると思うので、様々な深度の良い関係性を作っていく、という体験をしてもらえたらいいなと願う。
オンライン勉強会でも、この支援と友だちのテーマについて話し合ったことがある。
支援職は、ほとんどの場合、話を黙って聴くということでは終わらない。
必ず「ではこの調子で頑張るようにしてください。」とか「こういう風にしていく方がいいですよ。」、「あとは自分で決めてくださいね。自分で決められるようになりましょう。」という風に指針を示して、つまり命令文で終わる。
別に、そうやってアドバイスをすることが必須と定められているわけではないのだけれどね。
こうしてほしい、これについて手伝ってほしい、と求められれば、基本的にはわかりましたと要望を叶える。
言葉ではっきり依頼されたことはできる限り引き受ける。
それ以外については、基本的には介入しない。
ただし、困っている様子であれば、様子伺いをする。
あるいは、自分から困りごとについて相談ができない方への支援計画に「生活の困り感についてサポートする」などが組み込まれている場合は、気をつけて声をかけていく。
…こんな感じで匙加減が謎すぎるので、ようやく慣れてきたところではあるが、よくわからないのが正直なところだ。
でも、心理的に落ち着いて前向きに生きていけるように援助する、つまり勇気づけるということは、誰に対しても必要で良いことだと思うので、
とにかくすべての対応で勇気づけ!と、変換して務めようとしている。
話を聴く。
相手の話をさえぎらずに、相槌を打ちながら、
相手の関心に関心を持って、相手の方に身体を向けて、
プラスの感情を持って、自分の意見を口にすることなく、聴く。
パセージの基本ですね。
でも子育ての中で一番難しいところでもある。
ついつい意見しちゃう(笑)
もちろん良かれと思って!
だけど私は、職場は修行の場だと思っているし、
他のスタッフのみなさんが会話の度にまっとうなご意見をこれでもかというぐらいにアドバイスしておられるし、
私が意見を言うことを手放しやすい状況にあるので、ただ聴くということに努められている。
友だちってそういうもんですよね、とオンライン勉強会で仲間が言ってくれたことが嬉しかった。
友だちが、ねえ聴いて〜ってグチを言ってくれたときは、黙って聴くもの。って。
別に何か言ってほしいわけじゃないって、私もそういうときは何も言わずに聴いてほしいからって。
支援職が側にいる施設での生活というのは、頼みもしないのに全部に気を回してバタバタと動き回ってくれる働き者の暑苦しい口うるさいお母ちゃんと一緒に暮らしているようなものだと思う。
危機介入時には、そういうお母ちゃんは必要かもしれない。とってもありがたいと思う。
でも、多分1人でも多すぎるぐらいだと思う。
だから私は、友だちでいようと思う。
「心理職というのは、何もできないんです。ただ側にいるだけなのです。」と、
(一般の)心理学の勉強をしていたときに何人もの先生方が繰り返していた。
学んでいた当時は、もうちょっと積極的に、有効な手立てだって信じて関わっていこうよって思っていたけれど、
今は、そういう控え目な姿勢が少し好ましく思えてしまう。
私が大好きな友だちに話をすることが、何よりも私の支えになっているのは、
その友だちが、私に素晴らしいアドバイスをくれるからではない。
私の話を、共に楽しんだり共に悲しんだり共に驚いたりして、聴いてくれるからだ。
どんなことが起こっても、「でも美穂さんならきっとやっていけるよ、応援してるよ」って、いつも言ってくれるからだ。
また聴かせてね、って言ってくれるからだ。
そして同じように、私が友だちの話を聴きたいからだ。
一緒にいる時間を、幸せだなと互いに思えて、またすぐに時間が過ぎてしまったねって笑えるからだ。
そんな友だちが、今連絡を取れていない友だちも含めて、私にはたくさんいるということに、
あらためて私の幸運に感謝している。
そういう友だちのうちの1人に、私の父も母も弟も入っているなあと思う。
そのことも、私の幸運だ。ありがたいことだ。