一瞬の光を

今日は恐ろしく忙しい日だった。

事務仕事が山積みになっていて、残業したけど終わらなかった。

途中で最も苦手な仕事である送迎業務が3回も入り、頑張って運転した。

 

 

途中で急遽中学生の子の宿題対応が入った。

今までもよく一緒に勉強してきた子だ。

その子の母が、私の土日の勤務を尋ねられ、テスト前なので一緒に勉強してもらいたいのですが、と依頼してきた。

日曜日にできるし、今日も後で声かけてくれたらできることを伝えると、

その子がとても嬉しそうに、「うん、今日もする。勉強しなきゃ〜!」と言ってくれたのがとても嬉しかった。

彼が勉強しようと思っていることはもちろん嬉しい。

でも何よりも、私と一緒に勉強するのを喜んでくれていることを感じて、本当に本当に嬉しかった。

 

この子については特に、ここに書けないことがたくさんある。

様々な事情で、私は彼と関われる機会がとても少ないのだ。

だから本当にこの時間を大切にしたいと思っている。

彼が少しでもこの世の中に楽しいことを見出してくれることが、本当に嬉しい。

 

私が想定外に時間のかかった送迎業務を終えて帰ってくると、

彼がひとりぽつんと座っていた。

待っていてくれた。待たせてしまっていた。

待たせてしまってごめんね、と言うと、そんなに待ってないよと言ってくれた。

テスト範囲を確認しようと、ファイルからプリントを出そうとする。

手の力が弱ってきていることがわかった。

どこまで手伝うことが彼のためになるのかわからない。

でも、努めてさりげなく、ファイルの中のノートやワークを押し上げて、彼がプリントを引出しやすいように手を添えてみた。

プリントを広げて、テスト範囲を教えてくれる。

じゃあまずは数学やろうか。ワーク見てみよう。

問題を解き始めた。

そう、問題を解くということは、彼が自由にできることだ。自分の力でできることだ。

簡単に解ける方法を教えたり、前に勉強したことを使ってみて説明したり、私はけっこう先生役をやった。

彼ができた一つ一つを、素晴らしいって心から思い、そのように伝えた。

もっと続けていたかったけれど、先輩職員さんに呼ばれて、別の利用者さんの対応が入った。

「ごめん、ちょっと用事が入ってしまったから、自分でできるところやっていてくれる?またすぐ戻ってくるから!」

うん、と言って問題を解き続ける彼を残して、私は事務室で作業をしてから他の利用者さんの居室へ上がった。

 

事務室へ戻ると、彼が母と共に事務室の外にいた。

母は御立腹である。

「ひとりでしてて、意味ないので、もう上がらせます。」

「すみません、途中で抜けてしまって。これから続きをできますが…」

「もういいです。」

彼にも声をかけたけれど、一言も発することなく、いつものようにうつむいた状態で母に連れられて居室へ帰ってしまった。

 

仕事って、嫌だなと思う。

彼のために私の時間をしっかりと確保することができない。

忙しい時は、どうしてもこうなってしまう。

今までまとまった時間を彼との勉強に当てることができたのは、

私の代わりに先輩職員さんたちが他の仕事をこなしてくれていたからだ。

みんなで仕事を分担している職場だから。

私もすごく残念だった。彼も残念だっただろう。

 

そして要注意人物である彼の母は。

「今日はお母さん昼からずっとキレてるから、何やっても怒ってたと思いますよ」

と上司と先輩が私を慰めてくれた。

日報を読むと、確かに今日は虫の居所がひどく悪い様子だった。

でも、彼女の立場に立ってみると、

息子が勉強したいと指名した職員と約束したのに、ちゃんと対応してくれないなんて酷いわ、って、

そのことについて陰性感情を持つのは、彼女の中にある愛情の部分なんだろうと思える。

不器用だし、攻撃的だし、実際とても自己中心的な行動ばかりではあるけれど、

彼女は多分そういう表現しかできないのだ。

彼女の怒りの裏には悲しみが隠れているんだと、私は信じてみようと思う。

そうすれば、私は彼女に手を差し伸べることができるかもしれない。

彼女が私の手を取ってくれるかどうかはわからないけれど。

 

今回のことは、誰が悪いわけでもなかったと思う。

…いや、私が事務仕事をスムーズにできないのは本当に申し訳ないのだけど。

(そこは私が悪かったかもしれない。でも今のところこれはどうにもならないなあ…)

母の逆鱗が、今後の彼の私との勉強を妨げることにならなければいいのだけど。

母の悲しみを、共に見ることができるようになりたいと願う。

この母の仲間になれたらと願う。

本当になかなかな方なのだけど、でも一点だけ、彼のことを思う気持ちについては、私は彼女と同じものを持っていると思えたから。

 

 

仲間になるのはとても難しいと思う。

互いに心を開かなければならない。

大人になると、しかも疑心暗鬼になりやすい人々にとっては、より難しいのだろう。

その点、一緒にベッドを模様替えした利用者さんは、子どものようなところがあるから、

私はあまり苦労することなく彼女の仲間になることができたんだなあと思える。

 

 

 

 

勉強教えてって言ってくれていた別の中学生の女の子と、久しぶりにすれ違った。

「この前一緒に勉強しようって言ってくれてたのに、なかなかできなくてごめんね。」

「ううん、いいよ〜」ちょっと驚いた様子。

「またしたいときに声かけてね」と言うと、

「うん、ありがと。」私の目を真っ直ぐ見て笑顔でうなずいてくれた。

私は一緒に勉強したいんだけど、それは叶わない。

だけど、私はこの瞬間、彼女と手を繋げたと、はっきりと感じた。

それが本当に本当に嬉しかった。

 

 

私はとても単純なんだろう。

ああ今この相手と私は手を繋げた、と感じる瞬間の輝き、

それだけで生きていける、と思う。

それだけで私は幸せの絶頂に昇れる。

私の望む現実にならなくても、たった一言言葉を交わすだけで、その輝きを感じることができる。

すごいことだと思う。

その輝きを私はひとりで振り返っては何度も数え上げる。

私はこんなにたくさんの光を手にしていると、幸せに浸る。

もうそれだけでいいように思えてしまうのが、私が浮世離れしている所以なのだろう。

それから、そうだ、相手が私ほど幸せの絶頂を見ているかどうかはわからない。

ほんとに、ソーシャルワーカーとしては、私はポンコツにもほどがあるな。

まあでも、こんな人間もいるんだって、世の中は広くて面白そうだって、思ってもらえたらいい。