年末年始は故郷に帰っていた。
友だちや仲間や母と過ごした。
子どもを産んでから私の人生は変わった。
私の人生の最優先事項は子どもを育てることになった。
今の生活になってから、母親という有難い仕事もさせてもらいながら、私は自分の人生を考えられるようになった。
今回故郷の港に行ったのは、結婚する前、13年以上ぶりだったのだと思う。
冬の青い空が好きだ。
水面が午後の陽で金色に光っていた。
お洒落だとか何だとか、見てくれの良いイメージを売りにしている故郷を、私は少し軽蔑しながら、
でも、やっぱり緑の山並みと港と強い風が懐かしく、どれだけ街が変わっていっても、大切な愛しい故郷だと思った。
私はもうここに住むことはないだろう。
私自身も大きく変わった。
けれど、私には昔からの仲間が変わらずにいて、その仲間たちの中に私は変わらず所属できていることを感じることができた。
いつも私の選択に驚いたり少し呆れたり心配したりしながら、「よくわからんけど、それでいいと思うんやったらいいんちゃう?」って見守ってくれる仲間たちに、支えてもらってきた。
とてもありがたいことだ。
私はいつも1人で、容易く幸せの絶頂にのぼる。
そして理想に手が届いたと感じた瞬間、その幸せが壊れて、全く違う地平に倒れる。
多分これが私の人生のパターンだ。
起伏の激しい波だ。
多分バカなんだろうと思う。
でも、やがて消えるものと知っていても、瞬間の幸せの絶頂を味わい尽くそうと思う。
小学5年生の頃、放課後にドッジボールをしながら、濃い青い空を眺めて、私はいつかこの日を懐かしむんだろうなって、思いながら遊んでいた。
山の緑と坂の下に広がる港を焼きつけておこうと思っていた。
あの日から私は大して変わっていない。
ひとつところに居ながら、過去へ未来へ、自在に旅している。
高校生の時もそうだった。
仲間と一緒にくだるあの坂道の先に見える港は、ちゃんと私に焼きついている。
いつか、みんなそれぞれの違う道を進んでいくんだろうと思っていた。
この瞬間は、終わりがあるから輝いているんだと思っていた。
だけどこれだけの長い時間が経っても、また同じ仲間とこの街で会えるんだってわかった今の私は、あの時より幸せだと思う。
大晦日と元旦は、オンラインのチベット仏教の集まりに参加していた。
午前11時から午後6時まで、ターラー菩薩のお唱えをするというリトリートである。
母と2人で瞑想しお唱えし続けるという、なかなかに浮世離れした時間を過ごした。
昨年は本当に色々なことがあった。
お世話になった方々、新しい出会い、悲しませてしまった人たち、本当にたくさんの私に関係してくださった人々をひとりひとり思いながら、
そしてこれから新しく出会う人々のことを思いながら、心を鎮めて祈ることができた。
私を使っていただこうと思った。
私が幸せになるためではなく、人々が幸せになるように。
母と過ごした静かな時間は、リトリートもそうだったけれど、2人で色々おしゃべりしたことも、美味しい食事も、河原を歩いたことも、いつまでも続いてほしいと思う時間だった。
私が帰れば、母はまたひとり暮らしになる。
私はもう、自分の自由に私の時間を使うことができるけれど、結局私は滞在予定を延ばすことをやめた。
そして帰宅した今晩は、元夫の実家から今日帰ってきた子どもたちが私の家に泊まりに来ている。
大切な人たちと過ごす時間はとても短くて、さようならするのが寂しい。
でも人と会うたびにそんな寂しさを感じられることは、きっと幸せなことなんだと思う。
いつかは本当にさようならしなければいけない。
その日が来るまで、また会おうねって言い続けていくんだろう。
港のようだ。
私はここに居る。船を待っている。
大切なひとりひとりのことを思って、祈っている。